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M’s Room


       

 1    ◇◆ Profile ◇◆
更新日時:
2012.01.27 Fri.

   花石眞人(はないし まなと)
 1964年5月5日(A型・牡牛座)神戸市生まれ
 
   滋賀県   金勝(こんぜ)小学校
   滋賀県   栗東(りっとう)中学校
 滋賀県   東大津高校
   京都府   京都市立芸術大学打楽器専攻卒業
 
   山本毅 ・上埜孝両氏に師事 
 
   現在 大阪交響楽団 主席打楽器奏者
 
   オーケストラ以外では中学・高校・大学・一般の吹奏楽
   コーラスの指揮指導も務める
 

 2    ◇◆ メッセージ ◆◇
更新日時:
2004.07.21 Wed.
     
   『出会い』って大切ですよね。この世に生を受けた瞬間から
 
   人はどれ程の出会いを繰り返してきたんでしょう。
 
   それは様々な物や場所、あらゆる事象と際限がありません。
 
   でもやはり人との出会いが一番の宝だと思います。
 
   日頃コンサートで出会えた方達だけでなく
 
   こうやってネットを通じて出会える・・そんな時代にいること
 
   そしてこうして人と通じ合える音楽の活動をしていることに
 
   感謝しているんです。


 3    ◇◆ おいたち秘話・・・幼少時代 ◇◆
更新日時:
2004.07.21 Wed.
 
             〜ロックへの目覚め〜
 
   1964年5月5日 神戸生まれ。5年後滋賀県栗東町に引っ越す
 
   金勝(こんぜ)幼稚園、金勝小学校と大自然に囲まれた環境で
 
   大いに暴れまくる。
 
   そこは、栗東トレーニングセンターといって知る人ぞ知る
 
   日本中央競馬会が運営する競走馬を調教する場所で
 
   父が神戸で勤めていたテーラーから
 
   厩務員(きゅうむいん)という馬の世話をする仕事へ
 
   デューダにより、その社宅で過ごす。
 
   野山を駆けずり回るか野球に明け暮れる毎日だったが
 
   小学校高学年の頃、家に帰るといつも兄がかけていた
 
   ザ・ビートルズのレコードを耳にしているうち
 
   音楽(というかロック)にも興味を覚え
 
   そしてザ・ベイシティーローラーズというエディンバラ出身の
 
   ロックグループに憧れバンド結成を夢見る。
 

 4    ◇◆ おいたち秘話・・・中学時代 ◇◆
更新日時:
2004.07.21 Wed.

          
           〜ドラムとの出会い〜
 
   栗東中学校入学。クラス担任の藤池聡先生、そして
 
   隣の席の林秀樹君との出会いが人生を大きく変える。
 
   先生は音楽教師で吹奏楽部顧問。
 
   林君は小学校で音楽クラブ。
 
   2人で相談した結果、第1希望吹奏楽部、第2希望演劇部
 
   第3希望放送部。すんなり第1希望獲得!
 
   入ったはいいが知ってる楽器はトランペットぐらい。
 
   先生が新入生を集めパート決めをした時は
 
   トロンボーンになったが、他の人達を決めている最中に
 
   棚の中のドラムセットを発見。
 
   「あっ、先生これやりたい!」の一言で打楽器に。
 
   運命の出会いとはこの事か・・・!
 
   竹内京子先輩の厳しい指導の下、練習に励むとともに
 
   家ではギターの練習に余念がなかった。
 
   1年間新聞配達(時々牛乳も)をし
 
   念願のギターアンプを手に入れ、中2の1年間
 
   ザ・ノーティーズ(naughty・・・やんちゃな)という
 
   ロックバンドを組んだ。
 
   高校進学時、先生の勧めで個人レッスンに通うことに・・・
 
 

 5    ◇◆ おいたち秘話・・・高校〜浪人生活へ ◇◆
更新日時:
2004.09.01 Wed.
  
 
   滋賀県立東大津高校入学。その6月より山本毅先生の下へ。
 
   専門的な音楽の道への第一歩がスタート!
 
   週1回、京都の先生宅へ通いつつ、高校の文化祭では
 
   相変わらずロックバンドでギターを弾いて歌ったりしていた。  
 
   1年間ついた後、山本先生がケルンへ留学する事となり
 
   高2より京都市立芸術大学の助教授上埜孝先生に師事。
 
   そして京都市立芸術大学受験失敗、浪人生活へ。
 
   その1年間林浅子先生、藤花優子先生、前林綾先生に
 
   ソルフェージュ、聴音、ピアノ等音楽の基礎を学ぶ。
 
   今思うに浪人中が一番勉強したような・・・。
 
   打楽器は2ヶ月に1度、上埜先生の自宅のある東京へ
 
   各駅停車の夜行に乗って行った。(俗に言うドンコウである)

 6    ◇◆ おいたち秘話・・・芸術大生活は!! ◇◆
更新日時:
2004.07.23 Fri.
 
   
   2度目の挑戦で京都市立芸術大学入学。
 
   4年間クラシックの勉学に励むと思いきや
 
   1回生の夏より、はたまたロックバンドに参加。
 
   マージービートというバンドのドラマーとして
 
   3年程関西の様々なライブハウスで活動。
 
   同じくして大学のサークルで劇団座カルマという
 
   演劇サークルに参加、活動中ダムタイプシアターと
 
   名を変え、学内で4つの芝居に役者として参加。
 
   部員は本人以外全員美術学部生であった。
 
   (ダムタイプシアターはその後大学のサークルから独立
 
   名前もダムタイプとし、現在では海外の活動がメインとなる
 
   パフォーマンスグループとなっている。)
 
   バンドや芝居、そして(!?)打楽器、クラシック音楽と
 
   気持ちの向くままに活動していたが、大学生活最後の
 
   1年間は学業に専念した。
 
   1988年京都市立芸術大学音楽学部打楽器専修卒業。
 
   いよいよプロの世界へ・・・。
 


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