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◇◆ Profile ◇◆ |
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花石眞人(はないし まなと)
1964年5月5日(A型・牡牛座)神戸市生まれ
滋賀県 金勝(こんぜ)小学校
滋賀県 栗東(りっとう)中学校
滋賀県 東大津高校
京都府 京都市立芸術大学打楽器専攻卒業
山本毅 ・上埜孝両氏に師事
現在 大阪交響楽団 主席打楽器奏者
オーケストラ以外では中学・高校・大学・一般の吹奏楽
コーラスの指揮指導も務める
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◇◆ メッセージ ◆◇ |
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『出会い』って大切ですよね。この世に生を受けた瞬間から
人はどれ程の出会いを繰り返してきたんでしょう。
それは様々な物や場所、あらゆる事象と際限がありません。
でもやはり人との出会いが一番の宝だと思います。
日頃コンサートで出会えた方達だけでなく
こうやってネットを通じて出会える・・そんな時代にいること
そしてこうして人と通じ合える音楽の活動をしていることに
感謝しているんです。
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◇◆ おいたち秘話・・・幼少時代 ◇◆ |
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〜ロックへの目覚め〜
1964年5月5日 神戸生まれ。5年後滋賀県栗東町に引っ越す
金勝(こんぜ)幼稚園、金勝小学校と大自然に囲まれた環境で
大いに暴れまくる。
そこは、栗東トレーニングセンターといって知る人ぞ知る
日本中央競馬会が運営する競走馬を調教する場所で
父が神戸で勤めていたテーラーから
厩務員(きゅうむいん)という馬の世話をする仕事へ
デューダにより、その社宅で過ごす。
野山を駆けずり回るか野球に明け暮れる毎日だったが
小学校高学年の頃、家に帰るといつも兄がかけていた
ザ・ビートルズのレコードを耳にしているうち
音楽(というかロック)にも興味を覚え
そしてザ・ベイシティーローラーズというエディンバラ出身の
ロックグループに憧れバンド結成を夢見る。
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◇◆ おいたち秘話・・・中学時代 ◇◆ |
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〜ドラムとの出会い〜
栗東中学校入学。クラス担任の藤池聡先生、そして
隣の席の林秀樹君との出会いが人生を大きく変える。
先生は音楽教師で吹奏楽部顧問。
林君は小学校で音楽クラブ。
2人で相談した結果、第1希望吹奏楽部、第2希望演劇部
第3希望放送部。すんなり第1希望獲得!
入ったはいいが知ってる楽器はトランペットぐらい。
先生が新入生を集めパート決めをした時は
トロンボーンになったが、他の人達を決めている最中に
棚の中のドラムセットを発見。
「あっ、先生これやりたい!」の一言で打楽器に。
運命の出会いとはこの事か・・・!
竹内京子先輩の厳しい指導の下、練習に励むとともに
家ではギターの練習に余念がなかった。
1年間新聞配達(時々牛乳も)をし
念願のギターアンプを手に入れ、中2の1年間
ザ・ノーティーズ(naughty・・・やんちゃな)という
ロックバンドを組んだ。
高校進学時、先生の勧めで個人レッスンに通うことに・・・
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◇◆ おいたち秘話・・・高校〜浪人生活へ ◇◆ |
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滋賀県立東大津高校入学。その6月より山本毅先生の下へ。
専門的な音楽の道への第一歩がスタート!
週1回、京都の先生宅へ通いつつ、高校の文化祭では
相変わらずロックバンドでギターを弾いて歌ったりしていた。
1年間ついた後、山本先生がケルンへ留学する事となり
高2より京都市立芸術大学の助教授上埜孝先生に師事。
そして京都市立芸術大学受験失敗、浪人生活へ。
その1年間林浅子先生、藤花優子先生、前林綾先生に
ソルフェージュ、聴音、ピアノ等音楽の基礎を学ぶ。
今思うに浪人中が一番勉強したような・・・。
打楽器は2ヶ月に1度、上埜先生の自宅のある東京へ
各駅停車の夜行に乗って行った。(俗に言うドンコウである)
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◇◆ おいたち秘話・・・芸術大生活は!! ◇◆ |
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2度目の挑戦で京都市立芸術大学入学。
4年間クラシックの勉学に励むと思いきや
1回生の夏より、はたまたロックバンドに参加。
マージービートというバンドのドラマーとして
3年程関西の様々なライブハウスで活動。
同じくして大学のサークルで劇団座カルマという
演劇サークルに参加、活動中ダムタイプシアターと
名を変え、学内で4つの芝居に役者として参加。
部員は本人以外全員美術学部生であった。
(ダムタイプシアターはその後大学のサークルから独立
名前もダムタイプとし、現在では海外の活動がメインとなる
パフォーマンスグループとなっている。)
バンドや芝居、そして(!?)打楽器、クラシック音楽と
気持ちの向くままに活動していたが、大学生活最後の
1年間は学業に専念した。
1988年京都市立芸術大学音楽学部打楽器専修卒業。
いよいよプロの世界へ・・・。
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