2002年祇園祭山鉾巡行

京都・大阪・神戸の関西三都のお祭りのトップを切って京都の祇園祭が始まり、山鉾巡行は7月17日に行われました。

当日は朝から激しい雨が降りましたが、次第に天候も回復し多くの参観者でにぎわいました。お仕事や遠方でご覧になれなかった方々に全山鉾32基をご紹介させていただきます。お楽しみください。引き続き7月20日・21日は神戸祭り、7月25日は大阪の天神祭りがとり行われます。
祇園祭は貞観11年(869)に疫病の災厄除去を祈って始まり、こんにちのような様式と組織が定着したのは応仁の乱後、 明応9年(1500)に祭りが再興したとき以来だそうです。祇園祭は7月1日の吉符入りから、17日の山鉾巡行を中心に宵山(13〜16日)など約1ヶ月にわたり行事が行われます。祇園祭の粽(ちまき)は翌年の祇園祭の新しい粽を門口につるして疫病災難よけとします。

最初に四条通烏丸西入りの函谷鉾(かんこほこ)にいただいた資料の第21号を引用して各部の名称を紹介します。

 

重量12トン、高さ鉾頭まで17〜25m、屋根まで8m、車輪直径2m前後、屋根長さ4.5m、幅3m前後、床面積4.5畳〜6畳、胴長さ約3.5m、幅3m、石持長さ約6m、曳く人30〜40人、音頭取4人、屋根方4人、囃子方交替員を含めて約40人

  注:イラストおよび画像は鉾

飾り金具、人形の大きさが多少異なり、重量1.2トン〜1.6トン、舁手は14人〜24人

 

 (祇園祭山鉾連合会パンフより)

山鉾巡行の順序は長刀を先頭としてあとは抽選で公平にその順序が決められます。この順序に従って山鉾のご紹介をいたします。

 

 

先頭 長刀鉾(なぎなたほこ) 

鉾先に疫病邪悪を払う長刀をつけ、この鉾はくじに関係なく常に先頭を行き、生稚児の乗るのも現在はこの鉾だけだそうです。

囃子方は交代要員を含めて40人くらいの大人数でこのようにはしごで登って配置につきます。

 

2番油天神山あぶらてんじんやま)

油小路通りにあり、朱塗りの社殿に天神像を安置しておりこの名で呼ばれています。

3番保昌山(ほうしょうやま)

平井保昌が、和泉式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしています。前懸と胴懸は円山応挙の下絵

4番郭巨山(かっきょやま)

中国の史話で郭巨が黄金の釜を掘り当て母に孝養をつくしたという故事による。胴懸は上村松篁の花鳥図

5番函谷鉾(かんこほこ)

中国戦国時代斎の猛嘗君が家来の鶏の鳴き声によって函谷関を開けさせて脱出できたと言う故事による。前掛けは重要文化財です。

6番孟宗山(もうそうやま)

病身の母を養う孟宗が、雪の中で母の欲しがる筍を掘り当てた姿をあらわしています。

7番四条傘鉾

綾傘鉾と同じ形態の傘鉾のひとつ、傘の上には御幣と若松を飾っている。坊繰りなど子供8人が演じる。

 

8番占出山(うらでやま)

神宮皇后が、肥前の国松浦で鮎を釣って戦勝の兆しとしたという故事による。前掛けは日本三景を描いた逸品。

9番菊水鉾(きくすいほこ)

町内にあった菊水井戸にちなんで名づけられ、鉾頭には金色の菊花がつけられています。

10番太子山たいしやま)

聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山に入って良材を求めた所伝による。

11番伯牙山(はくがやま)

中国の周時代、琴の名人伯牙が友人の死を聞いて、その琴の弦を断ったという故事による。

12番木賊山(とくさやま)

我が子をさらわれて、1人信濃の伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわす。

13番鶏鉾(にわとりほこ)

中国尭の時代に天下が良く治まり訴訟用の太鼓も用がなくなり鶏が巣を作ったという故事による。見送りは16世紀のベルギー製の重要文化財。

 

14番白楽天山(はくらくてんやま)

唐の詩人白楽天が、道林禅師に仏法の大意を問うところ。

15番綾傘鉾(あやがさほこ)

傘鉾のひとつで大きな傘と棒囃子の行列。

16番蟷螂山(とうろうやま)

かまきりと御所車の唯一のからくりのある山鉾。

18番芦刈山(あしかりやま)

妻に去られて一人淋しく声を刈る老翁の姿をあらわしている。ご神体の小袖は重要文化財。

19番山伏山(やまぶしやま)

ご神体の山伏は、昔、八坂の塔が傾いたとき、法力によってなおしたという浄蔵貴所の大峰入りの姿をあらわす。

20番霰天神山(あられてんじんやま)

京都に大火があったとき、霰が降り猛火は消えたがそのとき天神様が振ってきたのでそれを祀ったのが起こり。

21番放下鉾(ほうかほこ)

天王座に放下僧を祀るのに由来している。

22番岩戸山(いわとやま)

天照大神の岩戸隠れの神話から取ったもの。

23番船鉾(ふなほこ)

神宮皇后の説話によって鉾全体を舟形にしている珍しい鉾。