山口県下関市

     吉田・小月

山口県下関市は九州への通り道である関門海峡のある人口 25万人余りの山口県の西端の街です。ここは昔から歴史の舞台によく登場するところで、源平合戦で知られる壇ノ浦や耳なし芳一の伝説の赤間神宮、維新のふるさと吉田や毛利の城下町長府など多くの見どころを持ったところです。
庚申塚を過ぎますと峠もほぼ終わりとなり、下りになります。路の右に民家が一軒あり、それを過ぎますと右側に蓮台寺への入り口があります。そこには蓮台寺の説明板と寛延2年の花山法王の碑が立っています。
蓮台寺への入り口から蓮台寺までは石畳で舗装され、「哲学の道」と称されています。たまたま訪れたときには落石がありました。
石畳の哲学の道を上ってゆきますと階段となり、階段を上り詰めると蓮台寺の山門に至ります。
蓮台寺は現在無人で階段を上り詰めますと質素な山門と本堂があります。
境内には檀家総代の伊藤初五郎氏を顕彰した百花山復古記念碑がみられます。

本堂の右には永観2年花山法王の作と云われる十一面観音像をお祀りした観音堂があります。この観音像は四月十六日に開帳されるそうです。

 

十一面観音菩薩像下関市吉田公民館にていただいたパンフレットより転載させていただきました。

再び街道に戻り進みますと広い新しい道路に到達しますが、その道路を左に行くと吉田方面へ右へ行くと川久保・常関寺になります。この画像は今まで歩いてきた道です。
旧道が新しい路に入る手前右に「左川久保、右蓮台寺」の古い道標があります。
道標の所からは新しく開発された広い道となり、旧道無くなってしまっておりますが、山陽自動車道の下をくぐり吉田の方へと進むことになります。道の途中には古い自然石の庚申と新しい庚申が二本立っています。
吉田に入り民家のあるところを進みますと道は三叉路で突き当たりになります。その少し手前右側に「右上方道 左萩道」の古いおれて継がれた道標と新しい「吉田旧街道」の道標二本が並んで立てられています。
三叉路の突き当たりには恵比須社が建っており、その左側には高札場であったとの説明板が掲げられています。
三叉路を左に折れて進みますと左の奥まったところに香積山長慶寺があります。三好長慶が京での松永久秀との戦いに敗れ、その子の信之が父の死後吉田へ辿り着き、廃寺香積寺を再興し、浄土真宗に改組してこの寺の開祖となった。また幕末時代には奇兵隊の屯所としても使われたという。
この辺りは江戸時代に山陽道の宿場町として繁栄し、柳町通りの両側は宿場や飲食の店で賑やかだったそうです。
国道260号線と交差する手前左に三界萬霊の大きな地蔵尊と小さな地蔵尊があります。
地蔵尊のあるところを左に行くとすぐ左手に一里塚址の石碑がありますが、一理がこの場にあったのではなく、260号線の工事に伴ってこの場に移されたのだろうと思われます。
一里塚址の碑の先、小学校の手前左に入ったところに吉田宰判勘場跡と御茶屋跡があります。昔は美しい白壁だったと思われますが、いまはその殆どは土壁のの残す姿となっております。
街道からだいぶ離れますが、さらに南には高杉晋作の墓と墓守を勤めた側室うのが山縣有朋に贈られ暮らした東行庵(とうぎょうあん)があります。
再び街道に戻り、西へ進みますと木屋川を渡ることになります。いまは新吉田橋になっておりますが、この川に架かる吉田橋は飛び石にかけられた板橋で渡り小月へと向かっていました。
橋を渡りしばらく木屋川沿いに西南へ下ります。この辺りは肥田といわれる地区になります。
肥田を過ぎると木屋の町並みを右に見ることになります。木屋地区の入り口に番所跡があったとのことですが、見つけることが出来ませんでした。
新幹線の少し手前の右に地蔵堂があり、そこから道は山の方へ入ってゆきます。
地蔵堂の横から斜めにあがる道は注意しないと見逃しそうな道で地蔵堂がなければ多分見逃していたと思います。
坂を上りますと右側に石地蔵が祀られてあります。またその先に駕籠立場跡があるとされていますが、その辺りは工事中で見つけることが出来ませんでした。
山の道はほどなく終わり再び県道と合流します。新幹線の下をくぐり進んで行きます。京泊で右へ曲がり少し行きますと右に大きな題目石が立っています。、
ホテイアオイの沢山生えている2つの池を左に見ながらさらに進みます。小月小学校の前に旧国道の新しい碑が立てられています。
更に進みますと道は右にカーブし若宮神社とよばれていた小月神社の参道正面へ出ます。

小月神社の前を西へ進み国道491を越えますと大きな庚申塔が立っています。この庚申塔の文字の中には米が二升も入るそうです。

庚申塔を過ぎて庚申橋渡ると小月市に入り、その先で道はバス道に突き当ります。この辺りは本町通りと呼ばれていて、昔から栄えていた地区だっただそうです。
突き当たった広い道を横断して左に折れて進みますと道路沿いに小月の一里塚と彫られた小さな道標があります。ただこの位置は本来の位置とは違っているのではないか?と疑問を抱く位置ですが、良くは判りません。
一里塚の石碑の先には「左 とよた道 右 かみがた道」の道標が立っています。

旧街道は道標の先で右へ曲がり、更に進みますがこのあたりは下市は宿場街、茶屋町は歓楽街で栄えたために武士が庶民の暮らしや治安を見て廻った所から見廻り通りと名付けられています。

見廻り通りの右側には清浄山観音寺の参道入り口があります。この近くに一里山があったらしいが見つけることは出来ませんでした。先ほどの本町通り一里塚はここのことではないかと思われます。
その先、道から離れて左の方へ行きますとJR山陽本線小月駅があります。
小月市(いち)を過ぎますと清末に入ります。街道の清末鞍馬四辺りの街道の右に幼くして父を亡くし、母と暮らし、結婚後も夫と母に良く尽くしたと殿様からたびたび誉められたという孝女お政の碑が孝行塚として立てられていまます。
その先清末中町に入りますと右に清末八幡宮の鳥居と参道があります。
その先、街道の左に小さな地蔵菩薩が祀られています。
更に進んで県道40号を越えますと右に真っ白い小さな鳥居と祠があり、道祖神とされています。
そこから少し先右に橋本家の長屋門が残されています。
そこを過ぎますと広々とした田畑が広がり、大きな石に豊饒の大地と県知事の書かれた文字が彫られています。
さらに西南に向かって進みますと神田川があります。
神田川には橋が架かっていますが、その橋に隣接して文化8年と彫られた昔の神田橋とおもっわれる橋の欄干が残されています。
神田橋を渡ると道は南に曲がり、更に東に向かう辺りに小さな稲荷神社の祠があります。
そこから南に向かい491号線を渡り信金のグラウンドを過ぎた辺りの右に馬頭観音が祀られています。
馬頭観音を過ぎ旧街道の雰囲気を残す道を更に進むことになります。写真は王司上町付近です。
道はJR山陽本線に近づき再び離れますが、まもなく王司郵便局の交差点の南東角に宇部一里塚跡があります。小瀬川から三十三里、赤間まで三里の地点になります。
宇部一里塚跡の向かい交差点の西南角には地蔵堂があります。
街道は491号線とJR山陽本線の間を引き続き西南へ続きます。まもなく長府才川地区に入ることになります。