大阪府三島郡島本町は大阪府の一番東北の端、昔風に言えば攝津の国の端で、山城の国との境目の町です。旧西国街道はこの町を通っています。町の人口は31,000人弱の緑豊かな町との印象を受けました。また、要所には解説の立柱があり、解説を見ながらの散策はとても楽しませてくれます。町の努力に感謝します。

この町に入って最初に行きたいところが、楠木正成、正行(まさつら)親子の決別の地、桜井駅跡です。

特に私のように幼少の頃より神戸の近くで育ってきたものにとって楠木正成は大変尊敬する人物の一人であります。

延元元年(1336)西国から京に向かう、足利尊氏の軍を兵庫に迎え撃つために、西へ行く途中にすでに死を覚悟していた正成は我が子正行を桜井の駅に呼び寄せ、今後の生き方など遺訓を与え、河内の国に帰らせた、その訣別の地がこの地であります。ここから京都へは山崎を経て、また、西へ行けば西宮を経て兵庫へ、南に淀川を渡れば交野、四条畷へて河内と続く分岐点でもありました。

楠木正行はその後四条畷にある飯森山で討ち死にしています。

右写真は楠公父子訣別の碑

 

桜井駅跡をあとにしてさらに京に向かって上って行くと辻の左手に東南側から見て、右、柳谷、左、西之宮の道標を見ることができます。この辻を京都に向かって左へ曲がると柳谷観音への道であることがわかります。(左写真)

また西側から見ると右、京の文字が見られます。(右写真)

こんどは右手に大きな水無瀬(みなせ)神社の常夜灯が見られます。

 

 

水無瀬の常夜灯のある辻を右に入ると水無瀬神宮の鳥居があります。

この神社は承久の乱で破れ隠岐に流された、後鳥羽上皇が造営された水無瀬離宮の跡に建てられた、御影堂が始まりと伝えられており、元官幣大社の由緒ある神宮であります。この神宮には多くの国宝や重要文化財が保存されています。

また、この境内には「離宮の水」とよばれ全国名水百選にも選ばれた水が湧き出ており、多くの人々がこの水をいただきに見えております。

 

変わったものでは門に石川五右衛門の手形と言うのが残っていて神宝の太刀を盗もうとして数日間忍びうかがうも神威にうたれ、一歩も門内に入れず、この門に手形を残して立ち去ったと言われているそうです。

また、この門は薬医門造りという造りだそうです。

水無瀬神宮をあとにして、再び西国街道に戻り、京への道を進みますと左に柳谷観世音菩薩の道標があります。

 

これを過ぎ左手の昔風の家の表門に小さな芭蕉の句を刻んだ自然石を見ることができます。

そこからすぐに摂津の国と山城の国の国境にある、関大明神社が右にあります。

ここは山崎の関の跡といわれ,関守神または辻神を祀ったのが起こりではないかといわれているそうです。(島本町)

関大明神社のすぐ隣には写真のようなここより東山城の国の石碑が建っています。

ここからは隣町の京都府乙訓郡大山崎町に入ります。