東広島市

西条

東広島市は広島県のほぼ中央に位置し、1974(昭和49)年賀茂郡内の西条町、八本松町、志和町、高屋町の4町が合併し、広島県内で12番目に誕生した市です。  1973(昭和48)年、国立広島大学の統合移転地が西条町に決定したのを契機に、広島大学を中心にした学園都市建設を目指し、着実な発展をみています。 平成14年末の人口はおおよそ12万人です。
石立神社を過ぎ坂を登ってゆくと竹原市域から東広島市域に入ります。道の左脇に旧山陽道茗荷清水跡の碑が立てられています。昔の人はここで旅で乾いた喉を潤したことでしょう
茗荷清水跡から少し行きますと国道2号線で街道は分断されてなくなっていますが、回り道をして2号線の北側に出ると街道が続いています。
街道沿いには石立大明神社があり、田万里側の石立神社と一対の形になっています。
その先に田尾池があります。その先を進むと日向一里塚跡にでます。
この街道は今も昔の道の面影を残しています。
また、道の所々には石畳も残っています。
この道は東広島呉自動車道路で行き止まりになりますが、そこには旧山陽道日向一里塚の道標が立てられています。最初はここで引き返しましたが、西国街道散策会の有志の方々や八本松石仏の会の方々の力添えで、散策会の方々とともに進むことが出来ました。

工事中の所を強引に横切り再び街道の続きを進みます。この道は荒れ果てて通行不能の状況になっていましたが、前もって八本松石仏の会・西国街道散策会の有志の方々のご尽力で倒木の除去や草刈りが行われて通行できる状態に整備されていました。有難うございました。

街道を登って行く途中には石積みされたところがありますが、峠の辺りにはこの様に立派な石垣が見られます。昔は峠の茶屋でもあったのでしょうか?
峠には旧山陽道松子山峠の新しい道標が立てられています。ここをさらに先へ進みますと後述の迂回路と合流いたします。
前述の様に一回目は日向一里塚の先は東広島呉自動車道で通れなくなっていました。そこで元の場所に戻り新しい道を進むことになりますが、そこに三永の石門といわれる国道をまたいでかけられた石造りのアーチ橋が国道2号線の工事に伴い移設保存されています。
舗装された新しい道を廃棄処理場の横を通り、坂道を登るとそこに松子山峠への入り口があります。。そこから日向一里塚の方へ入って行ける様になっています。
峠を過ぎて街道そのさき左に大きな自然石で出来たかご松之碑が立てられています。
峠を下ってゆきますと住宅が現れ、街道の左に今宮神社があります。この神社は牛宮神社とも云われ昔、ほうろくを商う男が松子山峠越えの折、そこにいた弱った牛に自分の弁当を食わしたが、結局その甲斐もなく牛は死んでしまった。哀れに思って頭をなでると大判小判に変わり、男は牛満長者と呼ばれるようになった。その牛がいたところにに建てられたのがこの神社といわれています。
街道は住宅の間を下り、右に田園が開けます。少し進みますと左の住宅傍に旧山陽道歌謡坂(うたうたいざか)一里塚の碑が立てられています。

そこからしばらく進みますと酒蔵の町並に入ります。吉土実保育所の東側の道を右に入った突き当たりに大林寺があります。そこには寛政3年の化粧した六地蔵さんが祀られています。

酒蔵の立ち並ぶ道を東に進みますと左に「くぐり門」が残されています。
その先、亀齢酒造と西条鶴酒造の間を右に入りますと突き当たりに西条本陣跡があります。現在これは賀茂鶴酒造が払い下げを受け、復元公開されています。
西条の街中ではこのような白壁の酒蔵などが見られます。
また、煉瓦造りの古い煙突なども残っていて大変風情のある風景です。

また、街道沿い右側に江戸時代に広島藩の代官所がおかれていた加茂郡御役所跡があります。碑は建物の左は市あたりに立っています。

御役所跡の西側の奥には古いつるべ井戸が残っています。

その先、賀茂輝酒造の向かいに真光寺があります。ここの西側の建物は棟が少しずつずらして建てられている珍しい建物です。

その先、街道をしばらく行きますと486号線に至り、ここを渡ってさらに進むことになりますが、横断歩道が無いので寺西の交番前の信号を渡り、街道の延長線上を左斜めに入ります。そこの街道右に江戸時代の石垣が残っています。時期によっては草で覆われ見つけにくいかもしれません。
その後街道は486号線と合流したり離れたりしながら続きます。友待橋の信号を西に入り時友橋に差し掛かる辺り右に一里塚があったとされていますが、今は駐車場だけで、何の痕跡も見当たりません。
街道は時友橋を渡りますと両側が稲田になります。その左に小さな祠があります。
田の間の道を進みますと山中への道となります。山の坂を登ってゆきますと左に飢饉でここまで来て倒れた人々を祀ったといわれる祠と道標があります。
そこを過ぎますと両側に中の峠池があります。
池を過ぎますと再び山中に入ります。山中には旧山陽道飢坂の碑が立っています。
飢坂の山中を下って行くと八本松東に入ります