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山口(大竹市) |
| 大竹市は広島県の最西端の都市で、古代には遠管郷(おかのさと)と呼ばれ、当時の都と大宰府を結ぶ古代山陽道の安芸の国の終駅として、また交通の要所として栄えました。 昭和29年9月1日に近隣と合併して大竹市として市制を施行。その後、パルプ、化学繊維、石油化学等の大企業を誘致し、瀬戸内地域で有数の臨海工業地区に発展しています。(市ホームページより) |
鳴川を渡りますとそこから大竹市域に入り、そこに鳴川の石畳が見られます。 |
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石畳を登りますと「鉾の峠」と呼ばれる山中の道になります。その道を進みますとJR山陽本線のトンネルの出口の上に出ます。 |
| トンネルの横を下り民家の横を抜けますと国道へ出ます。そこを国道に沿って西に進みますと玖波隊道があります。昔はこの小山は馬ためし峠と呼ばれていたのですが今は隊道を抜けて楽に歩ける様になっています。 | ![]() |
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隊道を抜けると玖波宿に入ります。玖波にはこのような古い街並みが残っています。 |
| 街中を進みますと右側に胡子神社があり、その北側に、切石で四角に囲んだ井戸があり、「角屋釣井」と呼ばれています。又この地は高札場でもあったそうです。 西国街道はこの角を右折し北に向うことになります。 | ![]() |
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街道を北に向かいますと左に稱名寺があります。 |
| 街道は恵川に架かる川本橋を渡った辺りから開発のため判らなくなっています。そのまま広島岩国道路まで登り、道路に沿ってメイプルヒルの横を通って西へ向かいます。湯舟団地を過ぎますと大歳神社があります。この神社も元は黒川にあったのですが、バイパス建設に伴いこの場に移されたそうです。 | ![]() |
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大歳神社の門前には黒川村の標石があります。この標石も油見の顕徳寺にあったものだそうです。 |
大歳神社を過ぎ湯舟橋をわたり黒川公園の西を左へ一気に南へ下ることになり、山陽本線を越えてから再び右折して西へと進みます。黒川を過ぎ小方に入りますと道の右側に芭蕉の句碑があります。 「けごろもにつつみてぬくし鴨の足」 |
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御園橋を通り、苦の坂入口に至りますが、苦の坂は豪雨災害のために通行止めになっていますので此処から引き返し、木野(この)側へ回ることと致します。 |
| 木野側から苦の坂を登り、御園側へと向かい、御園側から木野側へと進むこととします。御園の通行止めになっている箇所の近くまで進むことが出来ましたが、御園側に降りることは出来ませんでした。」(2004.3.8現在) | ![]() |
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苦の坂頂上には案内板と通行止めの標識が出ています。 |
| 苦の坂は昔の面影を残した道がそのまま残っています。昔の人はこの様な道をわらじ履きで歩かれたと思うと頭が下がる思いです。 | ![]() |
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木野側の苦の坂登り口に降りますが、此処は綺麗に整備されており、通行止めになっていると言うことを全く感じさせません。又この地は幕府と長州軍が小瀬川を挟んで戦ったとき、本隊は海岸に布陣し側面隊がこの苦の坂にて対峙したので、長州戦役の地という碑も立っています。 |
| 苦の坂を降りますと滕(ちきり)池神社があります。この神社は推古天皇時代(600年ころ)厳島神社の祭神である市杵嶋姫命が筑紫から安芸へ移るとき赤児をつれてこの坂に差し掛かっ時にあまりの急坂で苦しさに大切に持っていたちきり(機織りの縦糸を巻く道具)を投げ、それが麓の池に飛んで行き、その場所に今の神社が建てられました。そして坂の名前も「苦の坂」と言われるようになったそうです。 | ![]() |
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ちきり池神社には汐湧石があります。旧暦6月17日の厳島神社の例祭日の夜にはこの岩穴から汐水が湧き出ると文政2年の国郡誌に記録されているそうです。
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| そこからは小瀬川沿いに下りますが、左の山側に大元神社があります。 | ![]() |
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大元神社の先には稲荷神社があります。 |
| さらに下りますと善福寺が建っていますが此処は新しく改装されています。 | ![]() |
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小瀬川に架かる両国橋を渡ると岩国市行きに入りますが、少し行き過ぎますと木野川の渡し跡があります。 |
| 木野川の渡しは木野村と小瀬村から渡し守が出されて、2人一組で交替し、その費用は芸防両国で負担したそうです。それでは両国橋に戻り、小瀬川に渡りましょう。 | ![]() |