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岡山市東部

 岡山市は、旭川、吉井川の2大河川を有し、水資源に恵まれた岡山平野に発達してきました。 池田光政が31万5千石で藩主となり、学問の奨励や藩政の改革などに功績を残し、その後は代々池田家が藩主となり明治維新を迎えました。明治4年に廃藩置県の令が発布されると岡山に県庁が設置され、明治22年6月1日人口47,564人で市制が施行され、「岡山市」が誕生しました。以後、岡山市は政治経済はもとより、交通、教育文化、医療などさまざまな都市機能を備えた中心都市として発展してきました。近年は瀬戸大橋、岡山空港、山陽自動車道など広域高速交通網の整備が進み、現在人口約63万人を擁する中四国地方有数の大都市となっています。

吉井川を渡ると岡山市に入ります。街道を少し離れた山の麓に石津神社があります。
一日市の街道左側に国道2号線の道路土手沿いに常夜灯が建っています。
常夜灯の先、今度は右側の空き地に一日市宿場跡の案内柱が立っています。
宿場跡の少し先左の奥まったところに神田明神が祀られています。
そのさらに奥に嵐渓の句碑が建っています。

その先街道を進みますと右側に御休小学校があり、その西側に福岡神社の常夜灯と鳥居があります。

国道2号線の歩道橋を渡り倉安川沿いにやや左にカーブする道を進みますと和田八幡宮の鳥居・常夜灯さらには道標があります。
鳥居をくぐり、さらに2号線のバイパスを潜り抜けますと和田八幡宮があります。
 

再び街道に戻り、しばらく進み倉安川から離れて右のほうへ進み楢原郵便局を過ぎた砂川の橋を渡る手前の角に「せとえき、美作、津山道」「神戸、大阪、岡山、廣島」道標が立っています。

赤坂を過ぎて再び国道2号線と合流し再び国道から離れて西へ進みますと青津湖に突き当たります。ここを右折します。
池に沿って北北東に進みますと山陽本線の踏み切りに差し掛かります。踏切を渡ったT字路の右に入った右端に「右のぼり、左作州道」の道標があります。
T字路を左へ進んでゆきますと街道の左に松井家がありますが、ここは元茶屋だったそうで、いまは総社の吉備路風土記の里に移されているそうです。
街道をさらに西へ進みますと鉄に入ります。ここに天保十年の常夜灯が建っています。
その向い南西角には安国寺の経塔が建っています。
その先、右側には総社八幡宮があります。
藤井の集落に入り少し行ったところ左に東本陣であった西崎家があります。
その近く右側には文化九年の常夜灯が建っています。
そのそば街道北側には藤井本陣(西本陣)の安井家があります。
そこから少し行きますとすさのお神社が右にあります。
街道を進み新幹線の下を抜け、さらに山陽本線と赤穂線を渡り、東岡山駅近くの長岡郵便局のところに「岡山玉島 神戸大阪京道」と彫った道標があります。
その先街道は街中を続きますが、国道2号線の神下の信号を右に入ってきた道と交わる道の一つ西の筋を左へ行くと天鴨神社があります。
さらにそこから西へ街道を越えて行ったところに生庶神社があります。」
さらに街道を西へ進み高島駅から南に続く道との交差点を北に上がり、自動車学校の横を右(東)に入り、少し南に下がったところに7世紀頃に建立され11世紀に廃絶されたと見られる播多廃寺跡があります。
南下して再び街道へ戻り、西へ進みますとバス車庫の少し先の左の空き地に題目石が立っています。
その少し先には北向地蔵尊が祀られています。