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玖珂郡(玖珂町・周東町) |
| 玖珂郡玖珂町は岩国市と周東 町に隣接する町で、玖珂及び高森地区で玖西盆地を形成しています。町の中心を国道2号線 や岩徳線が通り、南北に二分しており、南側に民家や商店街が密集しています。町の人口は約1、1000人です。 |
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欽明路峠を過ぎますと玖珂郡玖珂町域に入ります。 |
| 峠から曲がりくねった道を下って行きますと右へあがって行く急坂の古道らしい道がありますが、道路が出来てフェンスで遮られて途中で進めなくなります。昔はこの道を通った様で、万葉集に「周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよ荒レしその道」とあります。 | ![]() |
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さらに西へ進みますと右側に日蓮宗の寺宝光山欽明寺があります。29代の欽明天皇が御幸の際に休息され欽明の名を頂いて寺の号とされたそうです。 |
欽明路を過ぎますと右側に周防源氏や安芸源氏に繋がる名家の武田屋敷があります。屋敷内には武田家歴代の墓を始め井戸、稽古屋敷跡の碑などがあり、屋敷の周りは白い築地塀で囲まれています。屋敷の前には欽明路川が流れています。 |
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武田屋敷を過ぎてしばらくしますと右側に野口公民館があります。此処は元は玖珂小学校分校だったそうです。 |
| その先街道沿い右手に鳥居がありますが、この神社は道路の向こう側にあります。 | ![]() |
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街道を進みますと左に小高い山があり、秀吉が天下統一のため天正15年(1587)に自ら軍を率いて、九州の島津氏を攻めるため熊本城に遠征した際、茶屋(本陣、休息所)を建てたと云われるところで、この明神山の上には小さな祠が祀られています。 |
| そこからしばらく行きますと街道から離れますが岩徳線の北の方に岩熊八幡宮があります。 | ![]() |
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岩徳線の上市ガードから南に曲がり、2〜300m程行きますと右手に大きな石碑があります。義民田坂市良兵衛の英侠をたたえた碑で30代で代官による悪政を改めんと進言し、逆に北嶽に幽閉されるも村民の
訴えで減刑され、後の働きで年寄りとなり減税など村の弊害を取り除いた人物で昔の若者は大したものと感心させられます。 |
| その先玖珂の市頭となります。ここから玖珂の街本町になります。 | ![]() |
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街道を西へ進みますと右側に寛文元年(1661)開基になる連光寺があります。 |
| その先、細い道の突き当たりに曹洞宗宝山祥雲寺があります。このお寺の境内には鞍掛城主杉隆泰父子のお墓があります。 | ![]() |
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さらに街道の先には浄土真宗青雲山明覚寺があります。 |
| 明覚寺の横には恵比須神社が建っています。 | ![]() |
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その先玖珂町役場を過ぎ、すぐに新町になります。街道の右側には浄光寺があります。 |
| 浄光寺を過ぎますと酒屋さんがあり、そこには街道を通る人々を永年にわたって見てきたであろう立派な杉玉があります。 | ![]() |
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酒屋さんのすぐ先には川があり川を渡りますと阿山になります。そこからしばらく進みますと左に古い井戸があります。 |
| 井戸の向かい側には萬久寺があります。 | ![]() |
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その先右に阿山の西端に菅原社があります。この神社を過ぎますと千束になりますが、面白いことに街道の右側が玖珂町で左が周東町となっています。 |
| 菅原社から1km程進みますと左の国道と岩徳線の向こう側の小高い山の上に須佐神社があります。 | ![]() |
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そこからさらに進みますと道の右に2基の常夜灯と妙見社の道標があります。道標には「これよりゆうけん乃ふもとまで二十一丁」「妙見道従是」と刻まれており、妙見宮(現鮎原剣神社)をさしています。 |
| 妙見の道標をあとにしてさらに進みますと左に三戸熊太郎氏の顕彰碑があります。 | ![]() |
| 玖珂郡周東町は山口県東部の島田川上流玖西盆地に位置し、東は、岩国市、南は柳井市、西は周南市、北は美川町などに隣接しています。人口は約14,000人です。 |
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東川を渡ると街道は周東町に入りますが、街道の左(南側)は玖珂町の菅原神社の辺りから周東町になっています。周東町域に入ってすぐ街道から少し離れた北方に椙社(すぎのもり)八幡宮があります。この神社は蓮華山城主の椙杜氏が、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して創建した伝えられ、神殿は元文9年(1736)に再建。参道入口の鳥居は元禄4年(1691)に建立され、参道左には大きな神馬が祀られています。。 |
| 参道の右には大師堂が地蔵尊に見守られてひっそりと建っています。 | ![]() |
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鞍掛合戦で破れた鞍掛城の家老宇野筑後の長男が出家開祖した真宗の受光寺があります。 |
街道を西へ進みますと右に半分地中に埋もれた「是 妙見」の道標があります。 |
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その先には立派ななまこ塀の家があります。 |
| その先に高森本陣跡があります。 | ![]() |
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本陣跡を過ぎると右手少し奥まったところに報明寺があります。 |
| さらに西下しますと右側の民家の庭先に新しい熊太神社という神社が建てられています。 | ![]() |
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道をしばらく進みますと右側に高森天満宮があります。 |
| 天神さんの牛も正月明けでこの様に着飾っていました。 | ![]() |
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天満宮の向かいには島田川が流れており、この辺りが島田川通船発着場跡です。 |
| 天満宮から川沿いにやや右に曲がり進みますと岩徳線が通っており、岩徳線と2度目に近づく辺りに義奴碑があります。この義奴碑は主家の没落を救った下男の六松をたたえ「孝行塚」とも呼ばれています。 | ![]() |
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義奴碑を過ぎて道は西南方向に向かいますが、この辺りは舗装された道が続きます。差川に入り、川沿いに左へ入り進みますが、この辺りが差川一里塚跡と思われますが、特定することは出来ませんでした。 |
JR米川駅を過ぎ、西へ進みますと左に天王社があります。 |
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その先で街道は広い道を横切り、坂道となりますがその途中の道の両側にいくつかの石仏があり右の山側に祠が、さらにその奥に宗泉寺廃寺跡があります。 |
| そこからさらに坂を登りますと左に賽の神が祀られています。 | ![]() |
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賽の神(賽神社)を過ぎますと中山峠と呼ばれている峠となり此処が玖珂郡と周南市熊毛町の境界となります。ここに「従是東玖珂郡 従是西熊毛郡」の道標が立っています。 |