![]() |
| 小浜宿(こはまじゅく)は大阪から伊丹を通り、湯山(有馬)に至る湯治の道としての有馬街道、京都・伏見から山崎を通り、瀬川半町から加茂を通って入ってくる伏見街道、それに西宮街道が合流している重要な宿場で、江戸時代には旅籠・木賃宿・馬借などが並ぶ宿として栄えたといわれています。特に西宮街道は酒造地西宮へと続き物資の輸送路という重要な役割を果たしていた。また当時は物資の運搬に馬が用いられていたので馬街道ともよばれていたそうです。小浜には15世紀末に浄土真宗の毫摂寺(ごうしょうじ)が建立され、その寺内町として発展し、その後も京都・大阪と有馬、西宮などを結ぶ交通の要所であることから江戸幕府の重視するところとなり幕末まで宿場町として栄え、大工や左官の町としても知られました。今はこの周辺は開発されて当時の面影は全く失われておりますが、この地区だけは町ぐるみで景観保持に努め歴史的な町並みのイメージがが残っております。 ここでは山中鹿之助の子孫の山中家の一部が宝塚市立小浜宿資料館として無料で見学できます。 |
![]() |
現在はおしゃれなショッピングモールのある阪急電鉄逆瀬川駅から宝塚市役所前を通り、武庫川を渡り、176号線を越え黒鉾橋を渡ると小浜に入ります。小浜に入るとすぐ右側に大関谷風岩五郎の墓石があります。 |
| その少し先の高台に首地蔵と呼ばれる首だけの地蔵が蓮の台座に赤い涎かけをして新旧2体置かれています。その大きさは顔だけで約1m、耳だけで60cmくらいというたいへんおおきなもので、雨曝しになっていますが、坂の下の墓処にあったのを地元の人がこの高台に運びお堂をたてて安置したところ、その大工が病気になったので「これは家に入ることをお嫌いになるのであろう」という事で雨曝しなったといわれています。新旧2体あるのは拝堂の火災で旧地蔵の顔が欠けたので近隣の人々によって新しい御影石の地蔵尊が安置されました。 また一説によりますと、小浜がまだ武庫の海の入江だった頃、漁師が夢のお告げを受け、浜辺の砂に埋もれていた地蔵尊を見つけこの高台にお祭りしたともいわれています。 |
| 右の写真が首地蔵の2体、首から上の病気に霊験があるとの話で私もついでにボケ封じのお願いをしておきました。 | ![]() |
![]() |
前の坂道を進むと右側に半分地中に埋もれた道標が見られ、右ハ西宮、左はの(道)と書かれていました。 |
| 道標を左折して少し坂を登って南門跡を過ぎると小浜宿の案内を見ることが出来ます。又ここには愛宕宮があり、このような愛宕宮は東門跡近くにも、北門跡近くにもあります。 |
![]() |
![]() |
ここを右に折れて真っ直ぐに行くと左側に大きなお寺があります。これが豊臣秀吉・秀次ゆかりの毫摂寺です。左の写真は山門 |
| 右の写真は毫摂寺本堂 |
![]() |
![]() |
左は毫摂寺本堂の屋根にある鬼瓦 |
|
街中へ入ると昔ながらの旅籠や商家の名残を感じる景観が見られます。小浜資料館もこの近くにあります。この他にも旧米谷村の庄屋を勤めておられた旧和田家住宅が無料で公開されています。 |
![]() |
|
西宮街道沿いには皇大神社(戎社)があり、その前には右きよ水の道標が見られます。 |
![]() |
![]() |
この街道を北へ進むと左に本妙寺があり、さらに行きますと右側に北門跡の表示が見られます。又ここには愛宕宮の祠があります。 |
| 北門を抜け国府橋を渡ると右角に右大坂、左の道の道標がみられます。 | ![]() |