(安芸区・安芸郡海田町・府中町)
安芸郡海田町は人口約30,000人の廣島市の東隣の町です。昔は開田とよばれ海も今の西国街道(山陽道)辺りまで来ており、その後海田と呼ばれるようになり、寛永時代に海田村、西国街道の宿駅となり栄えました。歴史・文化を大切にしている町です。
出迎えの松を過ぎると再び街道は瀬野川から離れ、まもなく海田町域に入ります。瀬野川に注ぎ込む畑賀川の東詰に新しい旧山陽道蓮華寺登山口の道標が立っています。

畑賀川に掛かる砂走橋を渡り350mほど行くと右手の山の中腹に白い建物が見えます。これが県大田川工業用水道でここから左の小高いところまでサイフォン方式で水を送っている珍しい光景が見られます。

さらに街道を進むと右に春日神社の参道があります。
春日神社の常夜灯には文化七年と刻まれています。
春日神社の先、ふるさと館の左奥には古墳と大きな海田観音免くすのきがあります。
さらに街道を行くと左に街道松跡の案内板が掲げてあります。説明によりますとこの写真の辺りですが、正確には把握できませんでした。
その先街道の右手には常本天神道の道標があり、参道があります。
街道その先、東海田郵便局の前を右に入りますとなぜか背中合わせに建っている成本の荒神社と胡神社があります。

街道右側には熊野神社があります。海田町役場の正面にある熊野神社には文化財として大変貴重な「三十六歌仙絵馬」が奉納されていいます。

階段を上った境内からは景色はよく、海田町を一望でます。
海田市(かいたいち)公民館の前には江戸時代に本陣が満室の場合などに大名が宿泊や休憩に利用した本陣に準じるところである脇本陣跡があります。
街道からすこし右に入ると左に御茶屋跡があります。本来は藩主の公用宿泊施設であったのが、宿場の発達とともに本陣の役割をするようになったそうです。
その先街道左に千葉家住宅があります。江戸時代、千葉家住宅は山陽道を往来する「諸大名」などの宿泊する脇本陣的役割をはたし、屋敷は、数少ない江戸時代中・後期の建築様式を今に伝えており、玄関は入母屋造り、 座敷は数寄屋風書院造りで古い建物略図も残っているそうです。
その先街道右には浄土真宗本願寺派の明顕寺があります。
明顕寺には1700年代に作られた銅製の梵鐘がのこっています。この様な梵鐘のほとんどが第二次大戦中軍用に供出されてなくなってしまった中で残っている珍しいものです。
街道左には江戸時代の商家の面影を残す三宅本家があります。
その先稲荷町と新町の境には海田一里塚跡の石碑があります。
街道はまもなく廣島市安芸区に入ります。この辺りの民家の軒先には所々この様に大きな石に穴をあけた馬つなぎ石がみられます。
その少し先右の細い道を入った左手に恵比須神社があります。
そこの境内には一畑薬師があり、目の病気によく効くと多くの人がお参りされています。
その辺りまでが昔は海であり、その石垣にも痕跡があります。
坂を上り詰めますと船越峠となり、そこから安芸郡府中町に入ります。
安芸郡府中町は人口約50,000人で,周囲を広島市に囲まれた新興住宅地域です。交通の便も良く,市街地まで約10分で,生活圏は広島市になっています。町の主軸企業は,自動車産業とその関連企業,ならびにビール工場があり,町域の経済の大きな支えとなっています。
船越峠を過ぎるとしばらく151号線沿いに進みます。柳ケ丘1丁目に大師堂があります。
さらに進みますと151線は八幡で新幹線のトンネルを出たところと並行するようになります。
永田交差点を右斜めに渡り、広島銀行の横を西北方向に斜めに入る道が街道になります。
街道を進み八幡川に接するところに恵比須神社があります。
そこから西へ方向を変えて進みますと府中大橋東詰にでます。そこの堤防には多家神社参詣道の道標が建っています。
府中大川に架かる府中大橋を渡って再び廣島市域に入ります。