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| 西宮の「髭の渡し」は武庫川によって遮られており、やむを得ず堤防沿いに南下、171号線の甲武橋を渡り尼崎市内に入ります。 尼崎は、古代、弥生時代から農耕の暮らしがありましたが、鎌倉時代に京の外港として栄え、漁業だけでな く、商工業者が活躍する全国でも指折りの都市になり、「尼崎」という地名もこの時代 に「海人崎(あまがさき)」と呼ばれるようになったのが始まりだそうです。昭和になり、阪神工業地帯の中心となり、高度経済成長期には、阪神工業地帯の中核都市として、わが国の経済発展 を大きく支えてきました。(尼崎市ホームページ参考) 尼崎市側の甲武橋東詰より武庫川原に下り、再び川に沿って北上、武庫川東岸の「髭の渡し」の丁度真向いあたりに来ると小さなお地蔵さんの祠を発見、何らかのいわれありと思われますが、使われている材料から見て、近年の作成と思われます。 |
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左の写真は河原に建てられた小さな祠、建築素材がコンクリートであることからみて製作は近年と思われます。 |
| そこから堤防への細い道を東に向かいますと。堤防際には数本の松などが茂った場所があり、その付近に先般の阪神淡路大震災で壊れたのか、倒れた常夜灯と3つの石像が見られます。 |
下の写真は堤防沿いの松の木の下にばらばらになって倒れている常夜灯の一部で、年代は文政元年(1818)と刻まれた文字が側面に読めます。(H12.10)
右の写真はその後組み立てられ同じ場所に建てられた文政の石灯籠。ここが髭の渡しから続く場所であったことが判ります。 |
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灯篭の近くには役の行者の石像も再建され祀られるようになりました。(2004年) |
そこから堤防を越え北東の方へ進むと国道171号線と合流しますが、その辺りは髭茶屋と呼ばれています. 尼崎教育委員会の解説板によりますと、髭茶屋は街道筋に店を開いていた西昆陽の茶屋の一軒で、茶屋ではぞうり、わらじの他、酒、一膳めし、菓子などが売られていました。 髭茶屋の地名のおこりは、天明8年(1788)に安兵衛さんと徳右衛門さんの二人が茶屋を経営しておりました。当時、安兵衛さんは立派な髭を蓄えていましたので、髭茶屋の安兵衛さんと呼ばれるようになりました。 |
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