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荏原・井原 |
| 井原市は、岡山県の西南部に位置し、高梁川の支流小田川が市の中央部を西から東へ通り、その流域に開 けた平野部に市街地が形成されています。 また、北部は丘陵地帯で、吉備高 原へと続いています。 人口は 36,000人弱の小さな市です。旧西国街道もほぼ小田川に沿って東から西へと続いております。 |
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矢掛町をすぎ、ここから井原市内に入ります。 |
| 市域に入りますと街道は一旦県道と別れ押延公民館の前を通り山の方へ入ります。途中右側山裾に石鉄山大権現の碑が立っています。 | ![]() |
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しばらく行くと街道は再び県道と合流します。下谷川20mほど手前右側に亡牛供養塔が見られます。、 「吉備」(神野 力著)によりますと亡牛供養は 「福田海」という天台宗の修験道に類する宗教法人が大正14年頃 から動物供養を発願し、たまたま、岡山県が牛の生産地であること もプラスして、死んだ牛の供養する霊場になって繁昌した。その際 生前の鼻ぐりを捧げて供養するために塚をこしらえた。昭和46年 (「吉備」発行年)現在400個におよぶ鼻ぐりの山ができて、有 名になっている。 |
| その先に信号があり、南西角に「南やくし道」「□した道」の道標と「北法泉寺道」の道標の二本が立っています。 | ![]() |
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交差点北西角には「高越城址」「宝蔵院」の道標が建っています。高越城は北条早雲の生家と言われるところで、宝蔵院はモンテンルパの受刑兵士の霊を祀っていることで有名な寺です。 |
| 街道を離れて北に入り宝蔵院に立ち寄ることにします。途中東平井公民館の前に刀工女国重宅跡の碑と亡牛供養塔が立っています。 | ![]() |
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その先に宝蔵院があります。 |
| 再び街道に戻り、西へ進み、荏原駅を過ぎた次の信号の先右側に地蔵尊が祀られています。 | ![]() |
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青木の交差点の南に続く道に馬越橋があり、橋を渡りますと沢山の石地蔵が祀られています。 |
| 西国街道は青木の交差点の手前を右斜めに入ってゆきます。まもなく左に豊臣秀吉が1592年に設定した一里塚があります。 | ![]() |
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しばらく進むと井原鉄道の下をくぐり、再び県道に合流します。その先で再び県道とはなれ右に入りますが、その辺りに常夜灯の笠を屋根にした地蔵堂があります。 |
| その先を右に入ったところには足次神社(あすわじんじゃ)があります。 | ![]() |
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街道を少し進みますと左に今市本陣跡の標識が立っています。 |
| その先には左に辻之坊というお寺が建っています。 | ![]() |
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さらにその先右民家の軒先に第17番札所の井戸寺の祠があります。 |
| 少し行きますと中堀城跡の標識が見られます。 |
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中堀城跡の標識のある手前の道を北へ入りますと甲山八幡宮があります。ここの石灯籠は慶長9年に今市・木之子渡し談義所に建てられたものがここに移設されたとか。 |
| 街道を進みますと右側に東荒神社があります。 |
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本新町公民館お少し先街道右には延命地蔵堂があります。この地蔵は25番札所津照寺にもなっています。 |
| 街道は左へ曲がり、県道を横切り南に進みます。山陽酒造の前を通り過ぎると川越し上り場になります。昔はここから小田川を渡っていたそうです。 |
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小田川の対岸(南岸)上り場付近現在はこの場所より少し西の日芳橋を渡って対岸に行きます。この橋が出来る前には川越し上り場付近につり橋が掛かっていたそうです。 |