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(姫路市東部)

姫路市は人口約48万人の都市で、平成8年4月、全国で初めて中核市に移行しました。姫路市は歴史的にも有名で、縄文時代から人が住んでいたといわれ、太古の昔から受け継がれた壮大なロマンが宿っています。この地が播磨の中心になったのは、大化改新の後(7世紀)に播磨国の国府が置かれ、さらに8世紀中ごろに聖武天皇の勅令で国分寺が建てられてからのこと。今に伝わる広峯神社や書写山円教寺、増位山随願寺が創建されたのも同じ時代です。そして、室町時代に入ると、播磨の豪族赤松氏によって姫山にとりでが築かれ、その後に秀吉が天守閣を持つ姫路城を築城。次いで姫路に入った池田輝政が現在の名城を築き上げました。 (姫路市役所ホームページより抜粋)

 

姫路市の領域に入ると数十メートルで街道は企業の敷地に遮られてしまいます。この敷地を迂回しますと先ほどの道の延長線上に又道が続いています。しばらく街道を進みますと右側に南北朝時代の延元元年児島菜が範長主従六人の自害を弔う為に建立されたと伝えられる六騎塚が現れます。

碑は亀趺(きふ)と呼ばれる亀形の台の上に乗った珍しいもので、備後守児嶋君墓と刻まれており、裏に嘉永三康戌年・・・・と刻まれています。姫路市教育委員会作成の案内板によれば太平記の巻十六に延元元年足利尊氏が九州から大軍を率いて九州から東上してくるのを備後守範長が迎え撃ったが戦いに敗れ最後は主従6騎となり、阿弥陀宿の辻堂で自害して果てたそうです。

六騎塚からしばらく行くと右手に大池と小林池と呼ばれる二つ並んだ池があります。堤防もない池の水が溢れないか心配になるような大きな池で、蓮がたくさん植えられています。
少しはなれてもうひとつ宮池というこれも大きな池があり、その池の南側の街道沿いに延命地蔵尊が祀られています。
延命地蔵尊の先、公民会の向かいあたりの角に別所村道路元標が少し舗装道路に埋もれた形で見られます。
道路元標から少し先右側に日吉神社の常夜灯が2本建っています。常夜灯の間を北に進むと石の鳥居とその先に日吉神社があります。日吉神社の秋祭りには、別所西の屋台と獅子舞の奉納が行われます。別所西の獅子舞は姫路市の無形民俗文化財に指定されています。
別所村道路元標から300mほど進んだところの右側に安養寺があります。
安養寺の先右手には寶量寺があります。
その少し先には弁慶地蔵堂があります。この地蔵は泡子地蔵とも呼ばれ天文二十二年の銘文があります。もと佐土との堺にある皮の辺りに埋まっていたのをこの場所に祀ったとのことです。弁慶の母は福居村(別所)の生まれで、弁慶が京からの帰途、福居村の庄屋の娘と一夜をともにしたのがこの地蔵堂だと伝えられています。(姫路市教育委員会案内板より)
弁慶地蔵堂の前には西国巡礼供養塔が建っています。しばらく行くと国道2号線に達するがこれを斜めに横断する形で道は続きます。そこには歩道橋が設置されていますので歩行者はこれを渡るか、一向に変わらない信号を気長に待つかになります。
国道を渡りさらに進むと播但有料道路の高架下に達し、そのまま先へ進むと右に地蔵堂が見られます。
その先100mほどの右側の小さな敷地に賽の神が見られます。
その少し先にもまた賽の神が祭られています。ここには扁平な石が中央に祭られています。
その先左には福乗寺があります。
さらにその先には延命寺があります。ここは明治18年に明治天皇が御休所として利用されました。
延命寺の山門前には「明治天皇御着御小休所」の石標が建っています。明治18年、山陽方面を行幸された天皇がこの寺で休まれたとのことです。。
延命寺の横に道をはさんで大歳神社があります。
街道の左路地を入ると右側には法華寺があります。この門前には題目石が立っています。

法華寺の鐘楼の4本の柱は紅白に塗られていてなんとなく異国情緒を感じさせられます。