はじめに

 

西宮市に在住して60余年、現在は旧西国街道と呼ばれている街道のそばにて生活を営んでおり、このほど仕事の第一線から退いたのを機に始めた健康のための散策から、新しい発見を得ることになり、改めてこの街道に興味を覚えて今のうちに多くの人々にこの街道を知っていただこうと、臆面もなくこの様なホームページを開くことにいたしました。

ぜひご覧になった皆様から忌憚の無いご意見やご叱責、さらには情報を頂きながら内容を充実して行きたいと考えております。今回、京都の友人や若いHTMLに詳しい人たちのお力添え頂きながら老骨に鞭打ち公開に踏み切りました。

昔の西国街道は京都から瀬戸内海沿いに九州に向かう街道を云い、旧西宮町から京都までの旧西国街道の区間は、特に「山崎道」と称されたそうです。また西宮から西の道は「山陽道」と呼ばれています。

江戸時代中期以降の経路では、現広田町を通った街道は御手洗川(東川)を渡って、南に直進し、本町(旧西宮町)へ向かったそうです。

慶長十年摂津図絵図(西宮市立郷土資料館蔵)には、南下せずに、広田村から越水村(現在は広田町、越水町)へ直進し打出(芦屋市)へ向かう経路がかかれていますのでそのような道もあるようです。

その打出村(現芦屋市春日町)にも山陽道(西国街道、中国道)との合流点としての石碑が残っています。

西国街道は時代とともにその経路も変化しておりますので、江戸時代の参勤交代に使われた街道を基本に紹介してまいりますが、国分寺の紹介などの際には古代の街道についても触れたいと考えております。

左写真は打出に残る石碑

右写真は羅城門跡石碑