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福山市 1/3御幸・郷分・山手町
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| 福山市は人口約38万人の広島県東部の都市です。1619年備後10万石の領主となった水野勝成が、「福山」と命名したのが始まりといわれ、福山市は地場の繊維産業を基盤とする地方都市でありましたが、製鉄所の立地決定により都市のあり方が大きく変わり、わが国経済を担う重工業都市へと転換しました。 福山は備後地域の中核都市として中国地方では4番目の都市となっています。 |
| 出雲大社道の道標を過ぎて高屋川にかかる鶴が橋を渡り、福山市域に入ります。新茶屋の信号を左折しますが、途中に左への道跡らしきものがあり、それが街道であったのではないかと思われますが今は道にはなっていないので、この道を通ってゆくことになります。この辺りは御幸町中津原と呼ばれるところです。左折して300mほど行くと右に地神と沢山の石仏が祀ってあります。 |
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街道の左にホロコースト記念館の看板があり、そこを左に入りますと教会があり、その奥にホロコースト記念館があります。この記念館は日本最初のホロコースト教育センターとして1995年に開館されたものです。 ただユダヤ人に生まれたというだけでおおよそ600万人の尊い人命が失われたという、このような悲劇を2度と起こさないように、偏見と差別のない、そして平和な世の中を作るために何をすべきかということを学べるよい場所です。 |
| 表にはアンネの日記でよくしられたアンネ・フランクのお父さんから贈られたという薔薇が植えられています。記念館はこの右横の通路から入った一番奥の左ににあります。
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| ホロコースト記念館 開館日:火・水・金・土 10:30〜16:30 入館料は無料です。TEL:084-955-8001 |
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その少し先街道右には正善寺があります。幼稚園が併設されて子供のにぎやかな元気な声が聞こえます。 |
| 中津原辺りには大きな古い家があり、旧街道の趣を感じる道になっています。 | ![]() |
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正善寺から200mほど進みますと右側に今度は大きな木と小さな祠があります。 |
| 中津原下組会館の前から斜めに進んでゆきますと芦田川堤防に突き当たります。昔はこの辺りに川渡りがあったと思えます。堤防沿いに左へ折れ芦田川に架かる大渡橋を渡り、郷分町へ入ります。 | ![]() |
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橋を渡り西詰を左折して進みますと右の民家の生垣のすそにほとんどが舗装道路の地中に埋められた道標があります。工事の際に移設するなりの対策が取れなかったのか残念に思います。 |
| その先街道の左側には地神が祀られています。この地区は芦田川などもあり昔から水害が多くこのような地神がおおく祀られているのではないかと思います。 | ![]() |
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そこからしばらくすると道の左に天保八年と刻まれた古い常夜灯が建っています。 |
| 常夜灯を過ぎ山陽自動車道の下をくぐると街道の右に志川滝山城主であった宮入道光音が天文21年(1552)7月24日、 毛利軍に滝山城を落とされて敗走する途中、ここで討ち取られたと云われ、ここに宮入道の墓があります。 | ![]() |
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また山陽自動車道の郷分トンネルそばには八幡神社が建っています。近くで農作業している人の話では工事に伴いこの場に移設されたようです |
| さらに街道を進みますと右に地蔵が祀られています。 | ![]() |
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その先の山すそには奈良神社があります。 |
| 街道をさらに進むと芦田川の堤防に差しかかり、その堤防下に二本松地蔵が祀られています。この先まもなく山手町に入ります。 | ![]() |
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再び街道は堤防沿いの道から離れ、西南へ進みます。しばらく行きますと街道右に身守地蔵が祀られています。 |
| さらに進んで行きますと江良交差点に差し掛かり、交差点の左先に大きな木とともに一里塚跡があります。 | ![]() |
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一里塚の少し先の一段高いところに稲荷神社があります。 |
| その向側江良坊会館の横に地蔵尊が祀られています。この先まもなく津之郷町に入ります。 | ![]() |