三石地区
岡山県備前市は岡山県南東部の街です。山間部から海岸部に至る変化に富む地形を有し、温暖少雨の典型的瀬戸内気候で、東西交通の要衝の地、また耐火煉瓦のまちとして、早くから発展し、千年の伝統を誇る備前焼の産地として、また日本最古の庶民教育の場である閑谷学校のある町として有名です。。 人口は約29,000人
岡山県の西部は昔風に言えば備前国です。ここ船坂峠から始まります。この旧山陽道は今は車は通れず、この下をトンネルで通っています。この碑は県境碑を岡山側から見たとこれになります。
道路沿いにある県境碑の北側崖の上には「従是西備前国」の碑が建っています。昔はこの高さのところを山陽道は通っていたそうですが、これを切り下げて今の道になっているとのことです。
国境の碑から少し進みますと右側に船坂山「峠の井戸」という石組みの小さな井戸があります。
井戸の先には船坂山義挙の跡の案内板があり、そこを斜めに上がってゆきますと「船坂山義挙之跡」の大きな石碑が建っております。その道をさらに進みますと先ほどの従是西備前国の碑が見られます。街道へ戻りさらに進みますと国道2号線と合流します。

しばらく国道沿いに進み、再び国道とわかれて右に曲がりJR山陽線をこえて北側の道を進んでゆきますと右側に「深谷滝道」の道標があります。この滝は備前十景の一つに数えられており、少し寄り道をすることに致します。

深谷(みたに)の滝近くにはおがみ神社があります。
神社の右手に2段に流れ落ちる美しい「深谷の滝」が見られます。
再び街道に戻り少し行くと道沿いの右手少し高くなったところに三石一里塚跡の案内板が建っております。
さらに街道を進んでゆきますと左にJR三石駅があり,その先右側に「旧山陽道三石一里塚跡」の新しい石碑が建っています。
このあたりから街道は町並みに入ります。郵便局の向かい辺り。街道の右少し奥まったところに神宮皇后がご懐妊の身でこの地の大きな岩にご休息になりそれ以来境内の岩や石には白い小石を孕んでいるような成ったといわれる「三石神社」があります。
三石本陣跡はすでになくなっているが角屋という旅館がかっての本陣跡だという事のようですが、いまは旅館も無く電柱に「かどや」の看板があり、この辺りが本陣跡だと思われます。
その先南に折れJRの高架下をくぐると八幡宮があります。この神社は台風で大きな被害を受け天保十五年の石の鳥居も倒れてきた大木のために破損しいまはそれが再興した新しい鳥居の傍にそのままの形で残されています。

 

 

 街道に戻り西へ進むと山陽本線をくぐるガードの手前右に明和2年に立てられたといわれる光明寺があります。門前には文政2年作の灯篭が1対建っています。

明治天皇行幸の節にはここを利用されたとのことで明治天皇三石行在所の碑が建っています。
山陽本線下のトンネルを抜けますと左側に木野山神社参道があります。
道は少し上り坂になりながら進み、国道2号線と合流する形になります。2号線沿いに上がってゆきますと左に清水地蔵(弟坂地蔵)が祀られています。ここには旅人の喉の渇きを潤した清水が湧いていて、そのお礼と旅の安全を祈願してお地蔵さんが祀られたようです。弟坂を過ぎますと少し下り坂があり、再び道は登ります。その辺りは兄坂と呼ばれています。
兄坂を過ぎますとまた下りとなり、2号線とも分かれて八木山へと入ります。八木山へ入ってすぐ右に五輪石が祀られたところがあり、そこに薬師如来参道とかかれた札が置いてあります。
細い道を入ってゆくとその奥に薬師堂が建っています。
街道に戻りさらに進みますと再び国道に合流する形となり、右に石地蔵が2対祀られています。
その少し先、国道の左側には明治天皇御休所の碑が見られます。
同じ敷地の西端には新しい八木山一里塚跡の石碑が建てられています。この先しばらく車の多い国道2号線沿いに四軒家まで進む事になります。四軒家を過ぎた辺りから道は国道から離れる事になります。