伊丹の全寺院紹介のページ

伊丹市内の寺院、宗派別一覧(市内には48の寺院があります)全写真網羅!
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天台宗1 1.容住寺(荒牧)
真言宗
2.願成就寺 安楽院(千僧)
3.一乗院(寺本)
4.遍照院(寺本)
5.金剛院(宮前)
6.昆陽寺(寺本)
7.成就院(寺本)
8.大空寺(野間)
9.正覚院(寺本)
浄土宗
16
10.観音寺(昆陽)
11.西光寺(御願塚)
12.正善寺(中央)
13.杜若寺(東有岡)
14.菩提寺(船原)
15.了福寺(南野)
16.行善寺(森本)
17.西宿寺(昆陽)
18.大蓮寺(中央)
19.法巖寺(中央)
20発音寺(春日丘)
21.光明寺(宮前)
22.正覚寺(伊丹)
23.中宮寺(昆陽)
24.法性寺(中野西)
25.来迎寺(北河原)
浄土真宗
15
うち
本派本願寺派12
大谷派2
興正派1
26.安楽寺(桑津)
27.西教寺(荒牧)
28.称名寺(森本)
29.遍照寺(鈴原)
30.福勝寺(岩屋)
31.源正寺(荻野)
32.最光寺(堀池)
33.浄源寺(下河原)
34.法専寺(中央)
35.萬徳寺(北本町)
36.玄徳寺(口酒井)
37.西善寺(千僧)
38.福円寺(伊丹)
39.来恩寺(昆陽)
40.教善寺(北伊丹)(興正派)
禅宗 曹洞宗
41.荒村寺(伊丹)・
42.墨染寺(中央)・
43.最禅寺(池尻)・
44.慈眼寺(鴻池)・
黄檗宗
45.常休寺(中野北)・
46.松源寺(口酒井)
日蓮宗2
(3)
47.本泉寺(伊丹)・
48.妙宣寺(大鹿)
49.経王寺(行基)
各宗派の教え
浄土宗 法然 どのような人間でも、阿弥陀の力にすがり、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、誰でも極楽に生まれることが出来る。
浄土真宗(一向宗) 親鸞 時分の罪の深さを自覚し、阿弥陀仏を信じ切って念仏を唱えるものは、そのありのままの姿で救われる。
法華宗(日蓮宗) 日蓮 釈迦の本当の教えは法華経にあり、「何無妙法蓮華経」の題目を唱えれば、国も人も安らかになる。
曹洞宗 道元 文字や知識に頼ることなく、ひたすら座禅を行うことによって、仏の境地に達することが出来る。
45.常休禅寺(じょうきゅうぜんじ)中野北2丁目。黄檗宗(おうばくしゅう)の寺で、新田中野の開田の祖、浅野孫左衛門の墓があります。(写真は下) 24.法性寺(ほっしょうじ)中野西1丁目。天正年間、川辺郡中村において、建立されたのですが、その後火災により寺および村の記録すべてが消失しました。元禄12年3月に再建され、昭和41年伊丹空港拡張のため、現在の中野に移りました。(写真は下)
43.最禅寺(池尻2丁目)。曹洞宗の寺で、鬼貫が盤珪禅師(ばんけいぜんじ)について勉強した寺です。鬼貫は、不生禅により開悟した結果、「誠の外に俳諧なし」と透徹した心境になって当寺に帰依し、池尻に住んだと伝えられています。(写真は下) 4.遍照院(へんしょういん)寺本2。高野山真言宗の寺で、昆陽寺の塔頭(たっちゅう)の一つ。開創は天平年間の僧行基によって行われた。本尊は薬師如来像、脇侍(わきじ)に日光・月光菩薩があり、また脇仏に子授け地蔵と弘法大師像も安置されています。(写真は下)
29.遍照寺(鈴原町7丁目)
もと、桑津村に創建されたが、昭和13年米英との開戦に向け大阪第2飛行場拡張が決定し、昭和16年現住地に移転。「骸骨の上を粧て花見哉」鬼貫の句碑あり。(写真は下)
12.正禅寺(中央)
阪神淡路大震災で、取り壊された本堂は、平成8年、鉄筋コンクリートで再建された。外陣は椅子式にしていますが、旧本堂の素材を使うなど伝統の維持につとめている跡がみられます。(写真は下)
15.了福寺(南野)
天平年間に行基が昆陽池その他の池を造るために伊丹に来たとき、道場として建てたと伝えられている。明治維新の後廃寺になり、現在も無住。付近の住民が管理している。南野神社と隣り合わせにあり、南野宮寺とも言われています。(写真は下)
18.大蓮寺(中央)
大震災で本堂が傾きましたが、復旧しました。山門は平成9年コンクリートで再建。本堂は伊丹市内の浄土宗系の本堂では一番古く、17世紀の中頃に建てられたものと考えられている。(写真は下)
41.荒村寺(伊丹)
この地は昔、伊丹字古城と呼ばれ、有岡城跡の一部でした。荒木村重の古城跡の由緒により、先代住職の時、寺号を荒村寺と改名しました。鬼貫の句碑「古城や茨くろなる蟋蟀」(キリギリス)があります。「役の行者堂」があります。(写真は下)
19.法厳寺(中央)
当山は昔昆陽寺の塔頭の一つとして重要な位置を占めていたと言われています。それがなぜ浄土宗に変わったか明らかではありません。本堂は震災後(写真は下)
33.浄源寺(下河原)
境内のイチョウの古木は樹齢役300年、高さ20m幹周り2.8mの大木で、伊丹市の天然記念物。青キリ・ムクノキ・トチノキが寄生した珍しい木で、参勤交代で江戸へ向かう際の一里塚的存在であったと言われています。(写真は下)
21.光明寺(宮前)
墓地の中に、俳人池田宗旦(也雲軒、いわゆる「太く逞しい伊丹俳諧」)の墓碑(元禄六年の銘)と江戸期の無縁墓があります。(写真は下)
44.慈眼寺(鴻池)
阪神淡路大震災により、当山の本堂は全壊に近かったが、平成8年完全修復。本尊木造釈迦如来座像は、昭和63年の修理のさい、体内から多数の墨書銘が発見され、建久6年の銘もあった。平成2年に国の重要文化財に指定されました。(写真は下)
6.昆陽寺(寺本)
通称行基さんと呼ばれており、1200余年前、聖武天皇の勅願所として天平五年(733)僧行基により建立された。往時は四町四面に七堂伽藍の備わった摂津第一の巨刹であった。現在の山門は第二門で、第一門は、尼崎市の富松神社近くにあった。また、西国街道を通る交通の要所にあったため、布施屋を設けて、人々を救済し、社会福祉事業の拠点となった。その後、天正七年、織田信長が有岡城主荒木村重を攻略したときの兵火にかかり、本寺および23坊は、悉く消失した。江戸時代再建。規模が縮小されたとはいえ、寺領は、なお広大。(写真は下)
48.妙宣寺(大鹿)
むかしは、真言宗の寺でしたが、文和3年大覚大僧正の雨乞いで奇跡の雨が降った感謝の証として一村をあげて日蓮宗に改宗し、大覚大僧正を開祖とした。門前に竹塚、雨乞堂、西100mに経塚(真言の教本などを埋めた)がある。なおこの寺の四脚門(もっとも格式の高い門)は、、伊丹で唯一のものである。(写真は右)
右の写真は四脚門(しきゃくもん)のかざり
42.墨染寺(中央)
鬼貫の親子墓・鬼貫の句碑・九層の石塔(荒木村重の墓)(在銘遺品として伊丹最古)・女郎塚などがあります。(写真は右)
1.容住寺(ようじゅうじ)(荒牧)
聖徳太子建立と伝えられ、当地方では珍しい天台宗の古刹です。太子がこの地で休まれたとき、霊感を受け「吾れ此の地に容(かたち)を住(と)め置きたし」といわれている。境内には「太子の腰掛け石」などがある。(写真は下)
2.願成就寺 安楽院(千僧)
行基建立の畿内49院の一つ。行基が昆陽池を築造されたとき、大池の成就にちなみ寺名を願成就寺と号し、千人の僧侶による大法要が行われ、地名を千僧と称したと言われている。(写真は下)
3.一乗院(寺本)
僧行基が開祖と伝えられる、昆陽寺塔頭の一つです。平成7年、地震で倒壊、再建されました。(写真は下)
5.金剛院(宮ノ前)
摂津国88カ所巡礼第60番札所。また、伊丹七福神のうち恵比寿尊を祀っています。(写真は下)

7.成就院(寺本)
もと昆陽寺塔頭寺院の一つで、僧行基が多数の寺院建立の後、終わりに大願成就を記念して建立したと伝えられている。大震災により倒壊。再建されました。(写真は下)
8.大空寺(野間)
聖武天皇のとき、行基により創建されたと伝えられます。本堂は貞享年間、鐘楼は鎌倉時代の代表的建築と言われていましたが、両方とも大震災で倒壊し、再建のめどは立っていません。境内には立派な這え松(枝の長さ13m)の古木もあります。摂津国、88ヶ所霊場の代3番札所。伊丹七福神布袋尊。(写真は下)
9.正覚院(寺本)
昆陽寺塔頭の一つ。昆陽寺の山門から真っ直ぐに南の旧西国街道に向かって参道が延びていましたが、171号線の高架化によって、分断されました。当院の南側、東西に走る旧西国街道との間には、閼伽井(あかい)の井戸の加持水(閼伽水)の旧跡があります。(写真は下)
10.観音寺(昆陽)
伊丹市中央の法巌寺が、大永2年(1522)に昆陽から伊丹へ移転した跡に開創されました。(写真は下)
11.西光寺(御願塚)
もとは、御願塚中通に創建されたが、昭和45年、山陽新幹線開通により現在地に移転した。(写真は下)
13.杜若寺(東有岡)
俗に焼野と言います。織田信長の焼土戦術で、辺り一面焼け野原と化してしまったので。ここの墓地は伊丹では一番古い墓地で、荒木氏一党のほか貴賤・宗旨・宗派を問わずお祀りされているそうです。ここは江戸時代刑場でもありました。(写真は下)
14.菩提寺(船原)
本堂は一般住宅建築。墓地は約1000坪あり、寺院墓地と市営墓地が区割りされていますが混在しています。1200基の墓があり、彼岸やお盆には数百人の人が供養にお参りします。(写真は下)
16.行善寺(森本)
元禄年間から伝わる川辺西国観音33所の第24番札所として観音信仰が続いています。(写真は下)
17.西宿寺(昆陽)
永禄年間(1558〜70)に辻の町(昆陽3丁目)に全夢大徳によって開創されました。(写真は下)
20.発音寺(春日丘)
伊丹指定文化財の、大日如来座像・十一面観音菩薩立像・三面大黒天立像を安置している。有野八景によまれた、「野村の晩鐘」で知られた名鐘がありましたが、戦時中に供出しましたので、今はありません。境内の大きな楠は保存木。(写真は下)
22.正覚寺(伊丹)
山門は鐘楼門で貞享2年(1685)建立で、総欅の山門の上に鐘楼がある珍しい形式のものです。内陣格天井「花丸」は、九十九ある格間に金箔を施しその上に丸く種々の花を彩色した大変珍しいものです。(写真は下)
23.中宮寺(昆陽)
観音寺・西宿寺とともにこの地域の念仏信仰の道場として今日に至っています。(写真は下)
25.来迎寺(北河原)
称円尼自身の念仏信仰が深まるにつれて人望も集め、北河原の人々の強い願いにより無住で、荒廃した来迎寺に迎えられました。明治二十二年に住職を拝命。(写真は下)
26.安楽寺(西桑津)
鐘楼の釣り鐘(安永9年1780年)銘は、太平洋戦争中に供出されました。しかし、幸いにも破壊を免れ、戦後当寺院に返還され、今も平和な鐘の音を発しています。(写真は下)
27.西教寺(荒牧)
阪神淡路大震災で本堂倒壊。(写真は下)
28.称名寺 (森本)(稱名寺)
西に加茂神社が隣接しています。梵鐘は、伊丹鋳物師の端光の作です。(写真は下)          
30.福勝寺(岩屋)
官栄年の創建。創建当時の寺域は相当広大でした。周辺地域は、紅葉の美しいところで歌にも詠まれています。しかしこの地域は低地であり、一度大雨が降ると寺域も水浸しになったのことで、古文書類も水に浸かりその多くを失っている。現在の寺域は、伊丹飛行場の拡張により、豊中市域と分断され縮小されています。(写真は下)
31.源正寺(荻野)
現住職は21代目となり、開祖以来500年近い歴史を持つ、伊丹市内有数の古刹です。(写真は下)
32.最光寺(堀池)
現本堂は江戸末期のものですが、大正11年に修理がなされ、平成6年に屋根瓦の葺き替えが行われました。鐘楼は阪神淡路大震災で倒壊しましたが、平成9年4月に再建されました。(写真は下)
34.法専寺(中央)
鐘楼門は門の上に鐘堂を設けた特殊な形式ですが、町中の寺院らしい工夫がなされています。(写真は下)
35.萬徳寺(北本町)
山号(亀井山)は、初代住職が荒木村重と茶道友達として親しく、お茶を点てる水をくんだ井戸(亀の井戸)からとったと言い伝えられています。震災で本堂等は全半壊。山門は残った。再建されている。(写真は下)
36.玄徳寺(口酒井)
本堂は一般住宅建築。村が建立管理する寺。寺院と言うより道場の門構えを感じさせます。(写真は下)
37.西善寺(千僧)
山号「今籠山」のいわれは、むかし西善寺の西方に今池があり、東方に籠池があったそうで、その中間にある寺ということで、名付けられたと言うことです。(写真は下)
38.福円寺(伊丹)
震災で半壊となり解体されたが、新築建立されました。当寺の前を通る道は「旧大阪道」と呼ばれ、旧伊丹郷町と大阪方面を結ぶ幹線道路で、天正年間から本町通りと並んで郷町の町場を形成していました。伊丹市都市景観形成道路指定。(写真は下)
39.来恩寺(昆陽)
当初は摂津国川辺郡中村にありましたが、大阪飛行場のジェット機就航による拡張工事のため昭和四十年頃現在地に移転しました。寺の所有している旧中村文書(検地帳・人別帳等)が有りますが、伊丹市立博物館に保管を依頼しています。(写真は下)
40.教善寺(北伊丹)
本堂の片隅に幕末の勤王に志士、伴林光平の隠れ部屋があり、当時伊丹郷の文人墨客が教えを受けていたようです。山門・鐘楼は大震災で大損傷したため、新築。伊丹廃寺跡の出土と伝える礎石は本堂前に保存。本堂内陣格子天井の絵は、伊丹出身の稲垣達郎画伯の筆によるものです。(写真は下)
46.松源寺(口酒井)
昔の大庄屋の面影を残す広大な長沢氏宅(約3千平方メートル)の一部が寺地となっている。檀家は他になく、長沢家のみ。市内の常休寺(黄檗宗)の住職が兼務住職となっている。(写真は下)
47.本泉寺(伊丹)
本堂は伊丹市内では最大で、一見2層に見える仏堂は桁行き19m、梁行き12.5mの重厚豪快な建物です。戦災および震災を免れましたが、古文書は散逸しほとんど残っていません。元禄9年(1696)落慶法要が営まれたそうだから、築300年を越えています。(写真は下)

参考:「伊丹の寺院」/伊丹市立博物館友の会