鬼貫 句碑めぐり ツアー
元禄の頃、東の芭蕉とならんでたたえられた偉大な俳人上島鬼貫は寛文元年(1661)4月4日、伊丹に生まれました。芭蕉は没後、多くの門人がその俳系を支えて広く天下に知られましたが、鬼貫は清潔であくまで門人を持つことを嫌いましたので、没後はかげをうすめました。
鬼貫は、幼い頃から俳諧の才能をあらわし、25才で、「まことのほかに俳諧なし」との悟りを開きました。
「にょっぽりと 秋の空なる 富士の山」 (伊丹住友銀行前) |
「秋は物の月夜烏はいつも鳴」 (墨染寺) |
(歌意)「秋はなんとなく物悲しい。月夜に烏がいつも鳴いている。」『月夜烏はいつも啼く』という流行歌をとりいれたもの。 | |
「骸骨の上を粧て花見哉」 (がいこつのうえをよそおうてはなみかな) (遍照寺) |
「鳥ハ未口もほとけす初桜」 (とりはまだくちもほとけすはつざくら) (猪名野神社内) |
(歌意)着飾った人々が花見にうかれているが、しょせん中身は骸骨にすぎない | |
「鵯や世の囀も石の花」 (ヒヨドリやよのさえずりもいしのはな) (鵯塚、坂戸氏個人所有) |
「古城や茨くろなる蟋蟀」 (ふるしろやいばらくろなるきりぎりす) (荒村寺) |
(歌意)鵯のさえずりも世のさえずりもすべてはすぐに消えてしまう。人の世も電光石火のようなものだ | |
「おもしろさ 急には見えぬ すすき哉」 (緑ヶ丘公園内遊園地横) |
「咲くからに 見るからに 花の散るからに」 (端ヶ池バス停前) |
(歌意)眼前のすすき、このすすきの持つ味は静かにじっくりと見ていてこそ感じられてくるものだ。 | (歌意)咲けば咲いた途端に、満開時には見れば見るほどに、そしてまた、散れば散ったりで、いつ見てみても桜の花は美しく趣深いものだ。 |
「世を泥と 見る目も白き 蓮かな」 (よをどろとみるめもしろきはちすかな) (昆陽池公園内北部樹林帯) |
「月なくて 昼は霞むや こやの池」 (昆陽池公園中央分離帯南樹林内) |
(歌意)この世を泥のように汚れたものだと見る目には、ひときは白く見える蓮であるなあ | (歌意)時は仲秋。夜ではないので(名)月は出ていないが、昆陽池は近辺にまれな大池であるから、昼も辺り一面おぼろに霞んでいて、周囲も定かでないほどである。 |
「月はなし 雨にて 萩は しほれたり」 (中央3丁目住友銀行前) |
「行水の すてところ なし 虫の声」 (伊丹小学校校庭南) |
(歌意)今夜は折悪しく、さす月影もなく、萩は雨に打たれて、ぐったりと生気を失ってしお(子葉)れていることだ。「一日は鬼貫にとめられて かく山を引ったてゝ 咲しおに哉」子葉 | (歌意)夏も終わりに近づき、そこはかとなく秋の気配が漂うようになった。昼間の汗を流そうと行水をしていると、辺りはすべて虫の声に満ちている。ーーやはりもう秋だ。(この感じを破りたくない)さてさて、行水の水をどこへ捨ててよいものやら…。 |
「にょっぽりと 秋の空なる 富士の山」 (西宮市えびす神社内) |
「前に酒屋ありて菊のしたたりを流し、後に松高うして古城のむかしを見す、おにっ羅」 『月花を 我が物顔の 枕かな』 (JR伊丹タクシーロータリー前) |
右半分は芭蕉の句。「はるもやゝ けしきとゝのふ 月と梅」が彫り込まれています。西の鬼貫、東の芭蕉、元禄俳壇の両雄の句が並ぶこの句碑は、さすがに貫禄を見せています。 | |
その他、市街の句碑 | |
「おもしろさ 急には見へぬ すゝきかな」 大阪市大淀区長柄東通 鶴満寺内 |
「賃とらて 象も田をかへえす 動き哉」 豊中市服部元町1丁目 服部天神内 |
「後の月 入りて貌(かお)よし 星の空」 大阪市西区西長堀 グリーンプラザ内 |
「遠干潟 沖はしら波 鴨の声」 (とおひがた おきはしらなみ かものこえ) 大牟田市大字岬 黒崎公園内 |
「箕山(みのやま)しくれ鬼貫がそこにゐるやうな」 大和郡山市箕山町 |