神戸市東灘区


48 宝島池公園  慰霊碑

 神戸市とは言え、阪神芦屋駅を出てすぐ山側に見える緑に囲まれた静かな公園。近隣深江地区3町の自治会が1997年3月に建立し、亡くなった97人の御霊が祭られています。
 慰霊碑は阪神電車の車窓から間近に見ることができ、亡くなられた方々の生前を知らないものの、電車でこの場所を通るたび、いつも心の中で手を合わせています。

        訪問日   2003年8月3日 他

49 本庄墓地  犠牲者慰霊碑

 阪神深江駅の北西部、線路に沿って街中とは思えない大きな本庄墓地があります。この墓地は、深江・青木・西青木の旧本庄村の共有管理墓地です。
 入口の一角には大正・昭和の戦争で戦死された方の忠魂碑・慰霊碑、空襲犠牲者慰霊碑と共に、「阪神・淡路大震災 犠牲者慰霊碑」が集められ、墓参りの時には真っ先にお参りできるようになっています。戦争も震災も決して忘れることのできない悲しい出来事です。

        訪問日   2007年3月17日

50 中野南公園 慰霊碑「命」

 中野南公園の慰霊碑は、震災で学んだ一番大切な「命の尊さ」を伝えています。
 この公園にも、避難所に入りきれなかった人たちのテント村がありました。「ありがとう 地球の仲間達 あたたかい心 大きな愛 忘れない」寒さの中で、助け合い、支えあい、そして全国から寄せられたあたたかい愛に感謝した「あの日」の心を今も語りかけています。

       訪問日  2002年2月11日 ・2月17日
 

52 中野北公園 慰霊碑

  JR摂津本山駅から線路沿いを東へ約10分、中野北公園の集会施設「本山中町会館」の入口に慰霊碑があります。本山中町1〜3丁目で亡くなった75人の名が刻まれています。震災から丸1年の1996年1月17日に自治会で建立され、除幕が行われました。花の少ない冬の時期ではありますが、慰霊碑の前に並べられた4つのポリバケツには、溢れんばかりに花が供えられていました。7年が経過した今も、亡くなられた方への思いが、地域の人々によってしっかり守られていることを感じました。

     訪問日   2002年2月11日

55 本山国道2号線 お地蔵さん(再建)

 JR摂津本山駅の南東部。国道2号線沿いに「国道地蔵尊」があります。ここは、交通事故の犠牲者をお祭するお地蔵さまでしたが、震災で倒壊し、98年8月の再建から、震災犠牲者もここでお祭されています。
 古い門柱と新しいお地蔵さま。年月を経ても愛され続けていることがわかりました。敷き詰められた砂利には、倒壊した元のお地蔵さまの石も混ぜられているとのことです。
     訪問日   2007年6月17日

57 求女塚東公園 阪神淡路大震災慰霊

  「葦屋の菟名負処女」をめぐる悲恋伝説ゆかりの塚を中心とした求女塚東公園の一角に、1996年5月、住之江地区協議会・各種団体の手により阪神淡路大震災慰霊碑が建てられました。静かな住宅地の中で、人影はまばらですが、供えられた花から、地域で大切にされていることがわかりました。

     訪問日   2008年6月22日 他

132 田中町西公園北側四つ角  「くび地蔵」再建」

   東灘区役所の東。住吉川を越えた静かな住宅地の一角にくび地蔵があります。くび地蔵は震災時、祠とともに倒壊破損しましたが逸早く平成七年五月に再建されました。地蔵は、もともと花松首地蔵といわれ、首から上の病に霊験があると信仰されています。前の道路は狭く、車が通る度に身を避けねばなりませんが、道行く人々は知り合いにと挨拶するようにくび地蔵にお参りし、通り過ぎて行きます。      訪問日 2010年4月14日

133 東灘区役所横  慰霊碑・ブロンズ「祈りと復興」

 東灘区役所の東側の広場には、胸を張り、両手を高く上げた乙女のブロンズ像が建立されています。この像は彫刻家で神戸女子短大教授の新谷英子さんの作品です。また、少し離れた場所に御影石の彫刻と共に、「犠牲者の霊を慰めるとともに、まちの早期復興を祈念して建立したものです」と記された慰霊碑が建立されています東灘区は市内の33%を占める1471名が犠牲になりました。

訪問日 2010年4月14日

134 御影小学校 さざんかの植樹・歌碑・二人像

 御影小学校の一角から、「山茶花の 白咲き初むる この庭は 子らのみ魂の かへるふるさと」と刻まれた歌碑が校庭を見つめています。小学校創立90周年の2000年1月17日、亡くなった6人の子どもへの思いを込め建立されました。すぐ側には、愛らしい二人の子どもの寄り添う「二人像」が祀られ、「母校は永遠に心のふるさと。辛いときはいつでもここに帰っておいで」と歌を詠んだ校長先生の思いが、何時までもこの学校に生き続けることでしょう。

       訪問日   2002年9月14日 他

135 石屋墓園  追悼の碑

 震災から丸5年の1月16日。神戸市東灘区の石屋地区で亡くなった75人を慰霊するため、地域の墓地となっている石屋墓園に追悼之碑が建立されました。遺族は離れ離れになっても、刻まれた名前が、ここに生きた証として地区の人々に守り続けられることでしょう。

       訪問日   2002年9月14日 他

136 綱敷天満宮  モニュメント「神額」

 再建された綱敷天満神社の新しい大鳥居のそばに、倒壊した大鳥居に据えられていた「神額」が置かれていました。重さ100キロを超える「神額」が落下したにも関わらず壊れなかったのは、やはり「神」の力でしょうか。境内には壊れた鳥居を再利用した彫刻が他にも展示されています。

       訪問日   2002年9月14日

137 照明寺  「無常」

 一切のものが一瞬にして形を失う「無常」。多くの尊い命が失われた震災を伝えるために、「無常」の文字を刻んだ石碑が照明寺の境内に建てられました。7回忌を前にした2000年11月に法要が営まれ、石碑の裏に刻まれた「追悼の記」が、震災を知らない世代への語り部となっています。

       訪問日   2002年9月14日

159 御旅公園  復興記念植樹

 御旅公園にはケア付きの高齢者用仮設住宅がありました。当時ここで活動していた大阪ベンチャークラブが、かつどうの記念にと公園東口に桜を植樹し、植え込み内に記念碑を建立しました。公園西側に新しい鳥居が建立されましたが、お旅公園内には、倒壊した鳥居柱2本が保存されています。

    訪問日 2009年11月1日

161 大日霊女神社  再建された狛犬

 阪神深江駅東の南北通りは「魚屋道(ととやみち)」と呼ばれ、江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ最古の六甲越え交通路で、深江浜の魚が運ばれていた道です。その道に面して「大日霊女神社」があります。この神社は震災で社殿や狛犬が倒壊する被害を受け、早々と氏子から寄贈された狛犬が神社の復興を見守ってきました。

       訪問日   2007年3月17日

162 コープこうべ生活文化センター  鎮魂碑

 東灘区役所の東、国道2号線に面したコープこうべ生活文化センター前の広場に、鎮魂碑が建立されています。六甲の山と海を表した碑には、「平成7年1月17日の阪神淡路大地震で犠牲になられた組合員およびコープこうべ・関連会社職員の冥福を祈り鎮魂碑を建立する」と刻まれたいました。

    訪問日 2010年4月14日

163 東灘区森南町  桜子ちゃんの観音さん

 JR甲南山手駅の裏手東部。再建された住宅の玄関脇に「桜子ちゃんの観音さん」がありました。震災で生き埋めとなり亡くなった桜子ちゃんを偲ぶため、そして、時が経っても震災を決して忘れないようにと、住宅の再建時におじいさんが建てたものです。周辺にはまだ空地が残り、決して傷跡が消えたわけではありませんが、観音様になった桜子ちゃんは、生前と同様に道行く人たちに笑顔を送り続けています。

     訪問日   2005年7月17日

164 壁絵  復興を見守る観音様

 阪神御影駅に近い高架沿いの自宅兼鉄工所の壁に観音様が描かれています。地震の被害に遭いながらも、下敷きとなった人々を助けようと走り回った経営者が、屋上から垂らした命綱を頼りに、震災一周年を前に、3日がかりで描いた観音様です。
 震災からの復興を祈りながら描かれた観音様は、今も街の復興を見守り続けておられます。

     訪問日   2002年9月14日

165 東灘消防署青木出張所  安寧の鐘

 神戸市東灘消防署青木出張所の入口に、消防署員手作りのモニュメントがあります。モニュメントには消防車の鐘があしらわれ、「おほない(大地震の古語)の叫び 復興への歩み そして 自治体消防50年」と記され、下部に5時46分の時計も描かれています。
 今では当時この出張所に勤務し、被害者の救出に奮闘した職員はいなくなったとのことですが、再びあの大惨事を招かないように、消防署のシンボルともなっています。

     訪問日   2007年6月17日

166 磯島公園  阪神・淡路大震災犠牲者慰霊碑

 震災当時、避難所や仮設住宅となった磯島公園に犠牲者が七回忌を迎えた2001年1月に犠牲者慰霊碑が作られました。慰霊碑の裏にはこの地域で亡くなられた20人の名が刻まれ、6人の外国人も含まれています。今も多くの外国人と暮す地域の人たちの温かさが感じられました。慰霊碑の両側には「子どもたちの すこやかな 成長を願い」と刻まれた石碑や5時46分を指した時計塔が設けられ、震災を語り継ぐための公園になっています。

     訪問日   2007年3月17日

220 正壽寺  本堂新築再建記念碑碑

 再建された本壽寺は、近代的な美術館のような造りになっていて、円形屋根の下に釣鐘のあることに気付かなければお寺であるとはわかりません。青空をバックにした本堂に続くスロープには、お寺を目にした人を引き込む不思議な力がありました。
 本堂前の小石が敷き詰められた庭に建てられた記念碑には再建に協力した人の名が刻まれ、震災を語り続けていました。

    訪問日  2007年3月17日

221 ハイツ「リブ石屋川」前  石碑

 阪神石屋川駅を降り、川の一筋東を上流に向かって歩くと、アパートの駐車場の脇に「1995,1・17 (Tue), 5:46」のプレートの埋め込まれた石碑がありました。アパート名の表示はありませんが、「思い刻んで」に紹介されている石碑でした。震災でこの場所にあったアパートが倒れ、4人の方が亡くなったそうです。生まれ変わり、今は傷跡さえ見当たりませんが、震災の事実をひっそりと語り続けていました。

    訪問日  2006年4月1日

243 ワコーレ深江駅前ハーモニーガーデン  共同建替マンション

 ワコーレ深江駅前ハーモニーガーデンは、阪神・淡路大震災に罹災し全壊した深江ショッピングセンター協同組合の組合員所有の跡地に建築された店舗付きマンションです。着工まで6年近くかかりましたが、「勇気有る転廃業された土地権利者の誠意により完成を見ました。」と記されたプレートには、震災当日営業していた40店の名も刻まれています。
 また、「ハーモニーガーデン」の名にまつわると思われる公開空地の庭園が、賑やかな駅前とは思えない静けさを作っていました。

      訪問日  2007年6月17日

244 東明八幡神社  震災復興記念碑

 石屋川の西、国道43号線に面して東明八幡神社があります。震災で損壊した当神社の大鳥居は、6年の歳月をかけて鋼管の鳥居に復興され、参道脇には「東明八幡神社震災復興奉賛者芳名碑」が建立されています。本殿は震災で倒壊は免れたものの、経年による傷みが激しく、訪問した時は仮拝殿へのお参りでした。

    訪問日 2009年11月1日

254 森公園  慰霊碑「鎮魂」

 JR甲南山手駅を静かに見渡す「森公園」に、震災から10年を迎えた05年1月17日に慰霊碑が建てられました。10年の時の流れは大きく、遺族の方との連絡も大変だったと、慰霊碑設立委員会の方の言葉がありました。「鎮魂」と刻まれた慰霊碑には、「あの日あの時を忘れたい でも 忘れてはいけない いつまでも」と記され、震災を風化させないとともに、この地域で亡くなった方々を忘れないという心が込められています。

     訪問日   2005年7月17日 他

272 神戸市建設局東水環境センター  コンクリートの基礎杭

 神戸市建設局東水環境センターは、あの震災で大きな被害を受けました。敷地内の道路は寸断され、下水処理槽を支えていた基礎杭は折れ曲がり、3ケ月余りも下水処理の出来ない状態が続きました。その時は、管理棟の前にある運河を閉め切って下水の貯留場としたそうです。
 管理棟のロビーには、震災を物語るスペースが設けられ、改修工事で姿を現した折れた基礎杭や大きな力で変形したグレーチングの実物を近くで見ることが出来ます。また、各地の被災状況やこの処理場の復興までを記録した写真パネルも展示され、震災を語り継ぐ役割を果たしていました。

 神戸市建設局東水環境センターは、市民に開かれた処理場をめざしていて、運河沿いの「水辺の散歩道・うおざき」にはアーモンドが植えられ、復興のシンボルとして、春のアーモンドフェアは多くの人たちで賑わうそうです。

     訪問日   2008年6月22日 他

273 住吉宮公園  阪神淡路大震災慰霊碑

 神戸市立住吉小学校の西向かい、住吉宮町公園に吉田地区協議会が建立した阪神淡路大震災慰霊碑があります。石碑は四季それぞれの花に囲まれ、当時避難所となった小学校を背に、地域を見守り続けています。
 「被害に遭われた方々の慰霊と次世代の人々の警鐘となす為、此処に慰霊碑を設ける。平成18年12月吉日」と刻まれ、あの悲劇を今も語り続けています。

     訪問日   2008年6月22日 他

274 茶屋地区会館横  阪神淡路大震災慰霊碑

 JR住吉駅の南西に位置する茶屋地区会館の一角に、阪神淡路大震災慰霊碑があります。住民が親しんでいるお地蔵様のの隣にあることで、震災が語り継がれるとの地区協議会により2005年7月に建立されました。茶屋会館前の道路は緩い坂道になっており、気付かず通り過ごしてしまいましたが、振り返ると地蔵堂に寄り添った慰霊碑が語りかけてくるようでした。

訪問日   2008年6月22日 他

275 神大学海事学部  慰霊碑

 緑の少ない国道43号線ですが、深江を過ぎて間もなく、大きな緑に囲まれた学校が登場します。そこは神戸大学海事学部(旧神戸商船大学)です。この大学では6名の学生や研究員が亡くなり、震災から12年を経た2007年1月17日に、商船大学の石柱で造られた慰霊碑が完成しました。「青春の限りない想いを永久に留めるためにこの碑を建立する」と刻まれ、犠牲となった学生たちの志を永久に留めようとキャンパスの中庭に作られました。

     訪問日   2007年6月17日

276 神戸大学白鴎寮  記念碑

 神戸大学深江キャンパスから国道と阪神電車を越えた北側の一角に、同大学の「白鴎寮」があります。震災当日ここの寮生がいち早く救助に出向き、100人以上の人を助けた話は有名です。
 中庭には、その白鴎寮自治会の功績を記念した「記念碑」が紅梅・白梅と共に建立さました。当時近隣の避難所となった食堂に続く廊下には、内閣総理大臣を始め、数々の表彰状が掲げられていました。

     訪問日   2007年6月17日


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