阪神・淡路大震災から23年

自由なメモリアルデーにしたい
そう思いながらの1年でしたが
結局忙しい一日となりました。

 1.兵庫県立舞子高校   2.ギャラリーわびすけ   3.西宮震災記念碑公園
 4.メモリアルウォーク  5.1.17のつどい   7.詩の朗読と音楽の夕べ

   1.兵庫県立舞子高等学校  2018年1月12日(金
 今年も兵庫県立舞子高等学校で「阪神・淡路大震災を忘れない〜21世紀を担う私たちの使命〜」と題した1.17震災メモリアル行事が行われ、分科会での語り部として参加しました。震災体験は変わることがないため、同じ話になるのですが、生徒たちは毎年変わるので伝えることの重要性を通観しました。
 今年も運動場で「舞子千人鍋」と題した炊き出しの交流会が開かれており、講話終了後にお世話をしてくれた生徒さんと共に炊き出しをいただきました。あの震災当時は公務員としての立場があり、炊き出しをいただくチャンスはありませんでした。

 2.ギャラリーわびすけ  2018年1月12日(金
 舞子高校から帰り、時間があるのでそのままもギャラリーわびすけに向かいました。今年は書家「野原神川」先生の「忘れないで 書で震災を語る」と題した書道展です。以前から書道展は新聞の報道で知っていましたが、周年記念日近くはスケジュールに追われなかなか伺うことができていませんでした。今年は私も写真展を開催した近くの「わびすけ」ですので、又とないチャンスでした。その上、野原先生も会場におられ、短い時間でしたが、お話を聞くことができ、新しい震災の表現に触れることができました。

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 2018年1月17日(水) 23年目のメモリアルデー


  3.西宮震災記念碑公園
 今年の午前5時46分は雨。、それも今までに経験したことのない強い雨でした。そのためか、毎年は寒さに震えるのに今年はそれほどの寒さはありませんでした。ただ、通常は震災記念碑の近くを歩きながら時間を待つのですが、今年は20分前まで車の中で待機していました。それでも、震災記念碑の前に立つと気持ちはあの日に戻ります。浮かぶのは「1月17日」。震災5年後に作った曲で、今で思えばまだまだ震災直後であったはずなのに「もう昔のことと思う人もいるけど」と書いたことが、不思議な気持ちになってしまいました。
 今年も後輩の西宮市職員労働組合のメンバーが献花用のカーネーションを配ってくれました。私も一度参加しましたが、大変な早朝の活動ご苦労様です。

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  4.1.17ひょうご メモリアルウォーク2018

 1月17日は参加したいものばかり。とは言っても体は一つ。午後から西宮市民会館での詩の朗読と音楽の夕べの手伝いが決まっているので、午前の時間をいかに使うかになります。東遊園地には必ず行きたいので、メモリアルウォークは、神戸市立中央体育館からの5Kmコースになってしまいます。受付は早めにしたのですが、やはり時間が足りません。東遊園地での時間を多めに確保するため、コースはわかっているので、早めの出発をしました。
 元町商店街を抜け、三宮センター街をを行くと、震災モニュメントの「讃太陽」が「神戸三宮“祈り”そして明日へ」と白い花に囲まれていました。
 三宮センター街から市役所3号館で防災の展示を見て、東遊園地へ。今年は雨で公園全体がぬかるみ、竹灯籠に近づくのも大変でした。その上、点灯したローソクも雨ですぐに消されてしまいます。朝は自分のつけたローソクを傘で守ったことでしょう。「1.17」の文字を眺めることは無理だったのではないでしょうか。
 次は交流テントへ。多くの仲間に会える場所です。十分に時間が取れないまでも、ここで話し合うことが1月17日の定番です。そして、慰霊と復興のモニュメントに献花し、お祈りをします。瞑想の空間はいつ行ってもこみ上げるものがあります。
 

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  5.1.17のつどい

 東遊園地でメモリアルウォークが終わったわけではありません。まだ人と防災未来センターまでが残っているのです。ただ、ここからは普段によく歩く場所で、復興した街を眺めながらという歩きではありませんでした。
 予定より少し遅れたため、人と防災未来センターでは「1.17のつどい」が始まっていました。一般の献花には時間があるため、防災センターを見学することにしました。ボランティアで毎週来ていますが、来館者と同じ映像を見ることはあまりありません。
 つどいの最後は献花です。開会時からの参加ではありませんが、ここでも慰霊の気持ちを十分に込めた献花です

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  6.詩の朗読と音楽の夕べ

 西宮市民会館で竹下景子さんの詩の朗読あるのを新聞で知り、早速申し込みをしました。主催が西宮市教員労働組合ということで、人手は十分と思っていましたが、助っ人の依頼が入り、慣れた会場でもあるのでお手伝いをすることにしました。
 作業は開演前にほぼ終わったので、本番は会場で少し聞くことができました。時には少し涙ぐみながらの詩の朗読は、聞く者の胸に刺さります。8年前、コスモスを朗読してもらった時のことを思い出しました。
 震災から23年目の1月17日の予定はこの舞台で終了です。忘れかけていたことを思い出すこともありました。震災を忘れないためには、この日が大事なのでしょうね。

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 阪神・淡路大震災から23年目のメモリアルデーが終わりました。今年は久しぶりに「詩の朗読と音楽の夕べ」のお手伝いが飛び込み、忙しいメモリアルウォークになってしまいました。震災の翌年から曲作りを続けてきた私にとって、詩を書くことが震災との関わりになっています。毎年1月17日は巡ってきます。来年に何ができるのかわかりません。それでもあの日に帰り、また次の1年を新しい気持ちで迎えることに変わりはありません。

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