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 何処にでもあるような町並み。
 昔のような暖かみの在る木造の家は少なくなっていたが、それでも洗濯物が干してあったり、電気が灯っている家々をみると生活感があり、ホッとする雰囲気を醸し出している。


 ――はずなのだが。


 その風景を掻き乱す様に、二人の男女が今必死に走っていた。
 何かから逃げるようにわずかなタイムロスも許されないのか、F1レーサーも真っ青なアウト・イン・アウトでT字路やコーナーを曲がっている。
 と、コーナーの内側で”ちっ”と言う音が出た。
 服が塀に擦れた音だ。


 その擦れた場所に視線を移し、げっという顔をしたのは銀のピアスもどきが右耳に光る青年、元神隆宏である。
 服の左腕の側面が綺麗に裂けてしまっていたのを見て、ふと制服が高かった事を思い出すが気落ちして走るのを止める訳にもいかない。


 それを横目に見ていた、全く同じ速度で並走する少女が隆宏に向かってジェスチャーをする。
 どうやら右手をクイクイと引き、左手を進ましているようだ。


 隆宏は走りながら少し考え、裁縫? と呟くと黒髪の少女、静音がにこっと微笑む。
 破れた個所は彼女が縫ってくれるらしい。


 おもわずほっとする隆宏。


 だが忘れてはいけない。


 そんなジェスチャーをし、あまつさえほのぼのとした雰囲気が流れそうになったとしても、


 彼らはいま逃亡者なのだ。


 そしてそれを証明するかのように後ろからは破壊音が迫ってきていた。


 そしてその破壊が振り注ぎ、
 二人が必死に避け、


「やだっ!!」
「なんなんだアイツわぁぁぁぁっ!!」


 と、叫び声から始まるこの状況。


 あのほのぼのとした雰囲気はもう何処かへ消え去っていた。
 結局ひたすら追われる身の二人である。


「こ、こっち駄目ですっ!! 戻りましょうっ!!」


 と、目の前の不穏な空気を感じ取った静音が、とっさにそう叫んだ瞬間、
 爆音と共に粉塵が視界を覆い、目の前の道を塞ぐ。
 横塀を物理的に突き破った事を実証する様に粉々に砕け散ったコンクリートが黒い影の足元に見えた。
 そうして瞬時に眼前に現れたケモノは、目標を見つけた喜びをその手で表現する。


 が、隆宏、静音の両名にとってそれはとても喜べる物ではない。
 二人は必死に瓦礫を避けつつ、Uターン。


「くんな迷惑だっ!!」
「野次ってる間があるならもっと早く走ってください隆宏様っ!!」


 ケモノから黒い影が疾った後に残るのは引き裂かれ、破壊された跡。
 すなわち、破壊の愛撫だ。
 その威力に隆宏といえども薄ら寒い物が背を通る。


−喧嘩するのは人間相手だけにさせてくれ!


 隆宏は心の中でそう叫ぶ。
 が、その要望は今という現実には受け入れてもらえない物らしい。


 だからその想いを声に出し、叫ぶしかなかった。


「だぁぁぁっ!! 世の中って幸がれぇ!!!」
「そ〜ですねっ!!」


 そして静音もその意見に賛同の意を表し、


 後ろの爆音もそれに賛成の様だった。


ただいま巫女さん修行中


第九話 『片鱗・上』


Written by 津々羅

00.11.04

02.05.30


 土曜の昼下がりには、世の叔母様方も道端で井戸端会議はせずゆっくりとお昼寝。


 町には人影も少なくゆったりとした空気が流れていた。


 だがその空気がいつも良いものとは限らないらしい。


 何故なら、この静寂に満ちた町並みが、
 そして今日この時だけには、


 逢魔ヶ刻。


 そう呼ばれる瞬間だったかもしれないのだから。


 そして、そのような不穏な言葉で言い表した今その時を、隆宏達は後ろからの威圧感と必死に戦っていた。


 田辺の件の後、静音に引きずられてからこの方、二人は後ろからずっと付け回されているのだ。


 それも漆黒の常識外のものに。


「な……なんだってんだよっ」


 隆宏がうめくのも仕方が無い事か。


「そんな……。化物(けもの)になるなんて……」


 だが、併走する静音の口からは、驚愕でも恐怖でも不安でもなく、どこか深く考え込むような言葉。


 隆宏の目にはそんな静音が悠長に見えてしまう。


「は? ケモノっ? んな、なまやさしいもんかよあれがっ! バケモンじゃねぇか!!」


 動物じゃねぇってば、と吐き捨てながらひたすら走る。
 静音はちょっと呆然とした後、さっきの言葉の意味を理解した。
 と、一瞬の間の後、古錆びたギアの様にギギギッと隆宏に顔を向ける。


「って……隆宏様、化物知らないんですか!? それでも神社の跡取りですかっ!?」


 思わず叫んでしまう。
 化物なんて事、隆宏は知っているとずっと思っていたからだ。
 元来、神社の跡取りという事はそういう事であるのに。


 だが、当の隆宏はというと、
 一瞬『?』といった表情をした後、思い付いたように静音に返すだけだった。


「残念! 神社は継がない予定っ――とっ、うわっ、それありかよっ!?」 


 悲鳴を上げているのは、いきなり壁から突き出てきた黒い影が横の自動販売機を凹ませたからだ。


 自販機のその惨状を見て一瞬ほけ〜となる二人だが、おたがい顔を見合わせると次の瞬間、もう1段階スピードのギアを根性で上げる。
 すでに必死に走っていたのだが、流石は霊長類最高と例えられるだけあって、人間危機に直面すると力が出るものらしい。


 そしてお約束の様に走り去った後に刺さる黒影。
 地面のアスファルトに打痕が穿たれていく。


「だいたいケモノって危険な動物の事だろ!!」
「違いますっ! 漢字で『ばけもの』って書いて『ケモノ』って――」


 走りながら叫ぶ静音の言葉は、だが最後まで話しきる事はできず、一言の否定をもって切られる。


「知らん!」
「げっ」


 隆宏がそう言った瞬間、静音の顔が少し蒼くなったように見えた。


「げっておい」


 静音は自分が放ったちょっとお下品な言葉に顔を真っ赤にし、口元を少し抑えるが、
 そんな感傷の余韻を味わうには状況が切迫し尽くしている。
 だから静音はまたも臆せずいつもより声を荒立てながら話す。


「それじゃ隆宏様は化物について、なにも、まったく、全然、さっぱり、知らないとっ?!」
「っていうかなんだってんだ! この非常事態にっ!!」
「ひぃん、絶望的!? 隆宏様だったら巍然様からなにか祓いを教わってると――」


 隆宏の方にすれば知らないものは知らないのだ。
 静音が自分になにを期待しているかは知らないが、そこまでがっくりされるとちょっと苛付いてしまう。


「思ってたんなら――」


 だからこう言ってやる。
 それが一番だと思ったから。


「じじいにあたれ!」







「ぶぇっくしょぉい!!」


 いきなり道の真中からくしゃみの音が聞こえてきた。
 音を放った主、おそらく60歳程の初老の域に入ってるであろう男――にしてはえらくカジュアルな若者向けの服装をしているが――が勢い良くぶちまけたからだ。


「ったく来る時はいきなりじゃの……」


 老人はずずっと鼻をすると空を見上げる。


 良い空だった。
 

 少しそのまま見上げていたい気にもなったが、今は目的地に向かう途中だ。
 あまり道草は食えなかった。


「さて……ついたか……」


 そう言って道の先を見据える。


 その先には一つの建物があった。
 三間坂町全体でも、かなり大きな建物に分類される物。


 生徒達の学び舎。
 

 三間坂高校だ。







 逃げるためとあらゆる場所を疾走し、されど追いかけてくる影から逃げる為、あの後またも他人の家の庭を横切り、物置の屋根を走り、塀を乗り越えながら若干のリードを奪った二人は今、少し暗い路地に入り身体を壁に寄りかからせて息を整えていた。


 少し体力を回復した隆宏はおもむろに塀の角から顔を出し、すぐ引っ込める。


「ふぅ……撒いた…………わきゃないか。ったくしつこい……」


 隆宏の嘆きに、


「うぅ……やっぱりまだ居ますか……」


 静音もうんざりとした声。


 走ってきた道を確認をしたのだが、やはり影らしき物が道の向こうに見えた。
 どうやらまだ奴に追われなければならないらしい。
 隆宏も溜息を吐くと、ついで静音に振り向く。


 と、静音は横でごそごそしていた。
 走っていて居心地の悪くなったスカートでも直しているのかと思いきや、


 静音は学生服のポケットに手を入れると、銀色の塊を取り出していた。
 先刻悪漢たちを打ちのめしたポインタだ。


「ん? それは……あれ、なんかでっかくなってるように見えるな? 俺のヤツだよな?」
「あ、これですか? 違いますよ。隆宏様のはこっち」


 と、言いつつ静音にとっての宝物、その場所をちょこんと指差す。


「は? ……てっ!? んなとこにぃ!?」


 照れて神速でそっぽを向く隆宏。


「これじゃすぐ壊れてしまいますから……こっちのは丈夫なんですけどね」


 静音の指が指し示していた場所はと言うと、形の良い大き過ぎず、かといって小さいわけでもなく手の平に絶妙にフィットしそうな形の良い彼女の胸(親父隆宏談)で。
 そんな神秘の集合体、その胸の谷間に見たことのある短筒を思わせる膨らみがあったのだ。
 

 それは制服の上からでも薄っすらと見えたりもしていた。


 ……よくよく観察して、だが。
 むろん隆宏の顔は真っ赤である。


 その様子を見て静音はくすっと笑うと、静かに深呼吸。


「さて……と、危なくなったら助けてくださいね」
「おい、静音?」


 静音は脇道から飛び出すと、間髪置かず化物に向かい疾走。
 隆宏が見えたのは艶やかな黒髪が風に流れた所だけ。


「試してみたいことがあるんです」
「って馬鹿危ないぞ!」
「ふふ、上手くいったら誉めてくださいね隆宏様っ」


 そして後を追うように脇道から抜けだし静音の後姿を見つけるが、不意をつかれた為、とてもじゃないが追いつけない。
 だから遠ざかっていくその背中に思いの丈をぶつける。


「お前の事、おしとやかな深窓の令嬢みたいって言ってる奴がいるがっ!」


 学校での出来事が頭に過ったのだ。


「お前絶対思慮深くないっ!」


 しかし、隆宏の声も今の静音には届かない。
 走りながら静音は化物に集中。
 以前巍然に聞いた話が脳裏でリフレインする。


『化物には物質的なものは透過してしまうんですよねー……じゃぁこうやって……斬る! っていうのは無理ですね。卑怯ですよね相手は』
『じゃのお。モノすり抜けてくる癖にモノ砕くしな。わははは!』


 地面を蹴り、身体を低く低く。


『ぅ、じゃあ、巍然様なら……どうします?』
『ぶった斬るのお』


 風に翻る自分の黒髪、それは地には着かず、流れに乗った。


『まっさかぁ……だって当たらないって』 
『なんのための霊力じゃ? 物質がダメなら精神面じゃろう。同じ立場に立てば、斬れる』
『そ、そんな、デタラメじゃないですか……』


 自分には不必要だと思っていたあの時。


『まぁ人間何でも出来るって言う例じゃな。不条理も条理にしてしまう、言わば業の源かもしれんがな』


−何度試しても出来なくて諦めそうになったけれど――
 

『じゃあ、巍然様、巍然様が斬る時、力を霊起させるとき……どんなこと考えてらっしゃるんですか?』
『ワシが化物を斬る時か? ん〜そうじゃな……斬るという絶対的な意識を集中するな。斬れる事が自然だと、それが当たり前だと確信するように。詞もその為のようなもんじゃしな』


 それならそれでもいいと思っていた。
 けれど。


『いや、静音、お主には有る。今は霊起できんようじゃが……有る。今必要で無いからできんのかもしれぬな。言うなれば今は不用じゃからな、力とは要るときに有れば良い』


−今は――必要な時!


 少女は一瞬で回帰、今、確信する。


 静音は左手の掌でポインタをなぞりながら詞を詠う。
 詠うのは穢れを拭い去る詞。


 いつも祭事の時に詠う、穢れを祓う詞。


 今、その詞が似合うと思ったから、詠う。


「――掛けまくも畏(かしこ)き伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)――


 ――筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小戸(たちばなのをど)の阿波岐原(あはぎはら)に――


 ――御禊(みそぎ)祓(はら)へ給ひし時に生(な)り坐(ま)せる祓戸(はらへど)の大神等(おほかみたち)――」


 斬れると信じる。


 信じなければ、成しえないのだから。


 少し目を伏せた彼女とポインタに添えた左手。


 静音はただ一心に心を研ぎ澄まそうとしているだけだったのだが。


 ポインタの銀は掌からの光で淡く光っている。




 

「祓詞(はらへのことば)……ですか」


 沈みかけようとする太陽に照らされながら、男は静かに呟いた。
 そして隣に目を向け、尋ねる。


「まだ確信してないのでしょう?」
「ふむ……。穢(けが)れを祓うもんとしては正規じゃろが……さて使えるのかのぉあやつは……」


 その問いに隣に立つ老人――というにはいささか生気が在り過ぎる様だが――が答えた。


 その言葉を聞いた後、男は少し目を細めると視線を金網の向こうに戻した。
 眼下に広がるは夕陽に照らされた町並み。
 人々が日々生活する場だが、ここからでは赤茶けたデコボコのオブジェにしか見えない。

 
 それを眺める人が普通ならばそれは風景以外のなにものでもなかっただろう。


 だが、この世には『普通である』という言葉が在るように『普通でない』という言葉も存在する。


「む、今度はガードレールを壊しよったか……。ふぅ……あれも報告かのぉ?」
「まぁ……あれも、ですね。……国に受け持ってもらいましょう。生活の必需品ですからね、ガードレール」


 そして、その言葉に当てはまってしまう彼らは、
 その視線の先の出来事を『普通は見えないのに』事細かに把握していた。


 すなわち、普通の人の範疇に入らない者達なのだ、彼らは。


 夕暮れを旅する風が、男の髪を撫でた。


 その風に目を細めたのは一瞬。
 再度、男からの疑問。


「霊起(れいき)……」
「ふぬ?」


 男の口からは『霊』を『起こす』と呼びあらわす、耳慣れぬ言葉が一つ。


「霊起、できないのですか? ……『巫』(ふ)なのでしょう?」


 その声色は、今までのものとは違い、幾許(いくばく)かの緊張を含んでいた。


「確かに霊起の片鱗は見えとるのぉ」


 老人は気軽に応じる。


「では押し潰せ――」
「否」


 だが、男が告げようとした声は老人の声に断ち切られた。
 その否定の一言は、今までにない強い声だ。
 男はその声に何かを感じたのか、老人の方へと顔を向ける。


「第一……片鱗と実践はまた別のものじゃということをお主が最も悟っていると思っていたがのっと、たは〜、また壊しよったのぉ」


 だが老人の顔はいつもの飄々としたままで先ほどの力強さはどこにもない。
 ただ視線は彼には向けず、未だ町並みに、その極一部から動こうとはしなかった。


 その傍若無人振りに男は一旦押し黙るが、空白の後『かなぁり年を取ると変に達観しますからねぇ』と聞こえる様に呟き、また鑑賞に集中する。
 実際、男は少し危機感を持っていた。
 隣の老人ほど、安心して見ていられない。
 たとえ今がどれだけ分が良い賭けだと分かっていても、だ。


−ム……。


 対して男の発した非難の声は、やはり届いていたらしく、老人は少し眉を潜めていた。
 だが、それは危機感を持ったゆえの動きではなく、ただ自身の気まずさゆえの動き。


 なぜなら老人は男ほどには、危険視していないからだ。
 たとえ今がどれだけ分が悪かったとしても、だ。


 気になることは今ではなくその後なのだ、と知っているからでもある。
 今はまだ、心配せずとも良いのだ。


‐巫は重要じゃが……それよりも……。恐らくはお前の動き一つじゃぞ、隆宏……。


 風がまた、吹く。


 その風は二人の間を通りぬけ、またどこかへ旅立って行く。


 もうこの場所で今と同じ風は吹かないだろう。


 一度風が吹いたならば、その風はどこまでもいかなければならないのだから。


 行くところまで、行くしか、ない。







 自分の黒髪が風に乗るのを感じながら、彼女は思う。


 力を、自分を信じよう。


 自分を信じなければ、結果もまた付いてこないのだから。


「――諸諸(もろもろ)の禍事(まがごと)罪穢(けがれ)有らむをば祓(はら)へ給ひ清め給へと白(まを)す事を――」


 静音は詞を詠いながら右足一足で踏みきる。
 身体が重力から一瞬解放された。


 それまでの力は前に解放され、目の前に迫る黒い影、化物に向かって直線的に。


 ――翔ぶ。


「聞こし食(め)せと恐(かしこ)み恐みも白(まを)すっ!」


 詞の完了と共に静音は空中であらためてポインタの柄を両手で握り締めた。
 狙うは黒。
 自分を狙い仕留めようとする意思。
 害を成すもの、自分と決して相容れることの無い、敵。


−絶対……斬るっ!!!!!


 だから自らの意思を叩きつけるように叫び、振り下ろす。


「いぃぃぃぃっやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


 その一瞬。


 一瞬だが確かにポインタに光が覆った。
 薄く儚い光だが、覆っていたのだ。


 銀閃は光閃となり、黒を袈裟切りに切り裂く。
 同時に静音は切り裂かれた影を飛び越えて着地、結った黒髪が突破の勢いを消されないまま顔の左側へ流れる。


 刹那。


−っ。


 手応えが来た。
 なにか粘度のあるどろどろとした水を薙ぎ払ったような、そんな感触が。


−斬れた!?


 急速に背後で薄れ行く威圧感。


 無くなり行く気配。


 その事実が静音の心に興奮をもたらしていた。
 

−私、霊力(ちから)を――


 練習のときには一度も出来なかった事が、出来た喜び。
 その感触がいまその手にあったからだ。


−うんっ!!


 出来るかもしれないと思って実行した。
 万が一なんとか扱えるかもしれないと思って実行した。
 だが、『扱えるかもしれない』と『扱える』とでは大きな開きがある。


『静音は霊力扱えなくて良かったね』
『だって、駆り出されちゃうよ。霊威士にされて化物と戦えーってさ』


 昔の友人の言葉をふと思い出す。
 あの時は苦笑するしかなかった自分。


−でも今、大事な人を守れる力なら、欲しかったから。


 だから嬉しかった。
 その思い逃さぬよう、胸元のポインタに左手を当て、静音は静かに目を閉じていた。


 一方、その光景を目の当たりにした隆宏は惚けていた。


 別に恐怖で身体が動かなかったのではなく、
 割れた影の向こうで、静かに跪いている静音がとても綺麗に見えたからだ。
 自分の成そうとした事を、ちゃんとやり遂げた彼女はとても輝いていたから。


 と、ちりんと悲しそうな音が隆宏の右耳の銀板から聞こえた。


 本当に鳴ったのか、実際には分からない。
 が、隆宏にはその音が届く。


 その音に気付き、おもわず首を振る隆宏。


 駄目なのだ。
 自分が惹かれてはならない存在なのだと、その音が押し留るのだ。


 隆宏はつと視線を戻し静音を見るが、その隆宏の瞳には先程の輝きはなく、戸惑いが在った。


 だがそれを表に出そうとは思わない。
 出したくも無いそれを一つ、喉と共に呑み込む。


「隆宏様っ、大丈夫でした、出来ました!」


 とととっ、と自分の元に息を弾ませ翔けて来る静音。
 本当に嬉しそうな笑顔、いつもなら魅了される笑顔。


 今は何故かその事実が痛い。
 惹きこまれる事が痛かった。


「隆宏様?」


 心配そうな静音の声。
 

 その声を聞いた時、自分が心配させていると気づいた隆宏は一つ頭を振り、なんとか言葉を発する。
 

 今は考えるのを止めようと思った。


「なぁ静音」
「え……、あ、はい?」
「今の、なんだ? いやその、静音、あいつをさ、袈裟切りに――しかも倒しちゃってさ」

 
 しどろもどろになりつつもなんとか聞く隆宏。
 考え無しに発した言葉だが、なんとか質問になったようだ。


「ふふ……これが、霊力(ちから)って言うんです、私、成功したみたいですっ!」
「ちから、か」
「隆宏様のおかげなんですよっ」


 だが、静音の余り見ないその興奮。
 満面の笑顔ではしゃぐ、その様子を見ると心が落ちついてきたようだ。


 先ほどのような痛みは消え去っていた。


−非日常だから嫌な事思い出すんだよな。……もう終わったんだ、後は日常に戻るだけだろ。


 やれやれと静音を見やり……、隆宏は、固まった。


「ってことは……もう追いかけられなくても、すむ、か?」
「はいっ! もう全部、終わりました!」


 どうやら……。


 隆宏は、んーっと呟くと、すっと腕を上げ一点を指差す。


「なぁ、じゃああれはなんだろ?」
「――はい?」


 つられ、静音も指し示される方向を見て、


「……」


 無言。


 まだ日常には戻れないらしい。


 遠めにひょっこり。
 あるものが見えた。


 それは倒した、さっき消滅させたはずの――


「……もしかしてもしかして」


 呆然と静音が呟き、肩ががっくりと落ちる。
 隆宏もこめかみを揉み解しつつ、


「だよなー、やっぱりそうだよなー……見間違いじゃないよなー」


 ボヤクしかないその状況。
 その後ろにも後ろにも、1、2、4、8と、沸き沸きと集結していたそれはまさしく――


 黒山が押し寄せると思わせる程の化物の群。


「「一体じゃ、なかった、と」」


 隆宏と静音は綺麗なハーモニーを醸し出す。


 少しの間見ていただけであるのにその黒き壁は、個々の区別がつく程近づいてきている。


 そしてその黒、その先陣が空に舞い始めた。
 それを見た隆宏の行動は迅速だった。


 傍らでただ見上げているだけの静音を腕組み状にして強引に掻っ攫う。
 今だ不安に飲みこまれていた静音はただ呆然と引かれるだけだ。


「そんな……。あんな数……無理ですよ……」
「くそ、ぼーっとしてる奴があるかっ!」


 そんな静音を引っ張りつつ、がむしゃらに走る隆宏。
 引かれる静音が、やっと自分の意志で走り出した頃には、後ろから飛んで来る黒黒黒。


 何事かと目を見張れば、隆宏の見るとこ見るとこ影の槍が刺さって行く。
 流れ去る風景には、電柱に刺さる影、地面に刺さる影、置いてあった自転車が影の一撃で吹き飛んでいた。
 自販機に突き刺さった影の勢いで、破片が宙を舞い、削れた塀の粒が隆宏達に雨のように降り注ぐ。


 隆宏は口に入ってくる石片をぺっぺと吹き出しながら、先程の思いを吹っ切るかのように走る。
 今も静音の手を握っている自分の左手に、しっかりとした暖かさがある。
 その事に心底ほっとする隆宏。 


 が、必死になって隆宏が守った少女が纏っているのは、


「どうしよう、どうしよう」


 戸惑いの感情。
 それを嫌がおうにも悟らせる静音の声色。


「馬鹿っ! んなごちゃごちゃ考えるのは後にして今は走るんだっ! ここを切り抜けなきゃ何にもならねぇんだぞ!」


 その戸惑いに思わず足が止まろうとするのを見取った隆宏は静音を叱咤する。
 このまま止まればその先に何が待ちうけているかは、火を見るよりも明らかだ。


「え……あ……」
「あーもー! 無理矢理にでも引っ張って行くからな!!」


 静音の様子を見て隆宏は思った。
 これじゃ埒があかないと。


 だから自分がなんとかするしかない。


 そう固く誓った隆宏が取った行動はと言うと、


「きゃっ!? え、え、え、えっ!?」


 丁度ていよく静音の手を掴んでいた自分の右手でもってぐっと静音を引き寄せ……、


「た、隆宏様!?」


 抱え込み、抱き上げた。
 属に言う『お姫様だっこ』という体勢。


 流石にこの体勢になると不安だなんだと言う前に静音は真っ赤になるだけで。


「いくぞっ! しっかり掴まってろよ!!」
「えっ!? あ…………」


 こうなると、もうなにも言えない。


−私の気持ちなんて全然分かってないんですから……。


「は……い……」


 おずおずと、けれどしっかりと隆宏に掴まる静音。
 その感触から自分に委ねてくれた事を確認すると隆宏は渾身の力でもって走りだす。


 その腕の中、頬を染め薄く目を閉じる静音には戸惑いの影は無く、ただそこに居れば安心だと確信したかのような表情だった。
 それは必死に走る隆宏は知る由も無い事。


 ただ、危急に瀕した今であったが、静音にとっての『いつか夢見た光景』がそこにはあったのかもしれない。







 もちろんその一連の動きは、監視していた二人の元へも入ってくる。


 後頭部に汗を掻きつつ、


「大丈夫ですかねぇ……」


 と、男がぽかーんとした表情で呟いた。
 状況はかなり大丈夫でない事が、二人の道行く道に爆煙が立ち上っている事から想像されるが、あくまで想像にとどめておいた。
 でないと自身の健康に影響する。
 確実にする。


「こ、このままではあやつら本気でヤバイかもしれん……」


 ぽつりと一言こぼした後、老人はぐっと握りこぶしを作ると、それをふるふると揺らしつつ立ちあがり、叫んだ。
 叫ばずには居られなかったから、叫んだ。


「ったく静音にもっと真面目に霊力(ちから)の使いこなしを教えなんだ奴、誰じゃぁっ!! 責任者出て来ぉぉいっ!!」
「あんたですあんた。巍然さんです」


 二人の間に風が吹く。
 男の隣で吠えた体勢から、まさしく少女の師匠である元神家のご老人、巍然がぎぎぎと首を廻し、


「や、やっぱり、かの……」
「どー考えても、どーころんでも、責任者は巍然さん。完璧完全に、守代静音さんのお師匠さん。で、教えるのサボった人」
「し、しかしっ、ワシだけの責任とはあまりにご無体な……! そ、そうじゃっ、監督不届きっちゅぅお主にも罪状があろうが!」


 その巍然の無理矢理ななすり付けに、横に立っていた男が慌てふためく。
 あまりの動揺につい眼鏡を触ろうとする男だが、残念、そこにはなく、外した眼鏡はポケットだった。


「そ、そんな!? まだ私一月も経ってないのに!」
「ええいっ、見苦しいっ!」
「くっ…………!」
「ぬぬぬっ…………!」」


 二人は互いにしばし見つめ合うが、間を取ると各々静かに視線を戻す。
 入って来る風景は、だが二人の心を静めてくれるものではなく、
 依然過激なアクション映画ばりだ。


「……派手に逃げとるのー……」
「そうですねぇ……」


 その情景を見ながら、ふと二人は思った。
 奇しくも思った事は全く同じこと。


−なんだか緑茶が飲みたいのぉ……。
−なんだか緑茶が飲みたいですねぇ……。


 赤茶けた夕日が凄く美しい。


 二人の影は赤く染まり、静かに惚けるその時に、またも何処かで爆音が鳴る。







 静音を『お姫様抱っこ』で拉致した――意味的には間違いではないはず――隆宏は未だ必死の全力疾走をしていた。


  はぁはぁ、とその息音だけでも疲れを思わせながら、がむしゃらに道を駆け行く隆宏。
そしてその腕に抱き抱えられている静音。


 隆宏のその疲れている様子を恐らくもっとも間近で見ている静音にとっては気が気で無かった。
 自分の体重は女の子の中でもそんなに重くない、いやむしろ軽い方だと言える。
 がしかし、軽いと言っても人一人分だ。
 それを抱き抱えて走るとなれば大の大人でもすぐへたり込んでしまうだろう。
 実際、隆宏が先程から息を切らせぎみだった。


 ただ、これには簡単で確実な解決策もある。
 この状況を解決するには自分が下りればいいだけの事なのだ。


 隆宏に抱(いだ)かれる事により既に不安はなりを潜めていて、もう走れるはずの自分。
 逆にこのままでいるほうが隆宏の身を案じる分、不安を呼ぶかもしれない事も考えると、やはりもう下ろしてもらうべきなのだ。


−このまま居たいですけれど……ダメですよね……。


 とはいえ、ただ下ろして、と言った所で隆宏は下ろさないだろう。
 彼はそう言う人物なのだから。


−なにか……なにかちゃんとした理由で下ろしてもらわないと……。


 なにかと隆宏に抱かれている幸せに浸りかける自分を叱咤しつつ、その理由を探そうと考えつつも視線をさまよわせた時だ。
 静音はある異変に気づく。


「えと……隆宏……様……」
「んっ、な、なんだ、静、音っ、はぁっ、はぁっ! し、しっかし、化物って、奴はっ、疲れ、ねえの、かよっ、はぁっ、はぁっ!」
「それ、なんですが…………今後ろに化物、居ないです」
「な、なにっ?!」
「いつのまにか引き離して……。その、だから……」


 もっと詳細を聞きたかった隆宏は視線を静音に合わせる。
 が、静音は恥ずかしそうに目をそらすと、手でちょこちょこと地面を指す。
 どうやら下ろして欲しいと言いたいのだろう。
 隆宏はその静音の仕草に、自らも羞恥心を呼び起こされ照れつつ、


「あ、ああっ……! っと大丈夫、だな……はぁはぁっ…………はぁはぁ…………ふぃぃ〜……」


 だからといって急がず、優しく地面に下ろす。
 抱き抱えていた静音の両足が地に付き、全ての体重が消え去った時、さしもの隆宏も息を整えるための深呼吸を行なった。
 そろそろ息も続かなくなってきていた隆宏にとっても静音の申し出はとてもありがたいものだったようだ。


「しかし奴はどこに……あ、もしかして消えちまったとか」
「そんな……化物が自然に消え去るなんて事聞いた事無いですし……」
「そ、そうなのか?」


 息を深く吐きつつ隆宏が顔を上げる。
 隆宏のこの何気ない言葉に静音は反応する。


 一瞬目が点になるとはこの事か。


 ある種、こういう状況でも落ちついている――状況を考えれば落ちついている方なのだ――隆宏だが……。
 そうだった、彼は全く知らない言うなれば素人なのだ。


 分かっていたはずなのに、今心底思い知らされた。


 まだ肩で息をしている隆宏を目にして心にずきりと痛みが走る。


−霊力を扱えるのは私なんです……。だったら……だったら隆宏様は……。


 先程の事実は、隆宏と自分との間に大きな区切りをつけたのだから。
 一般人と、皇學館(こうがくかん)との。


 皇學館。
 その言葉に静音は自分の師匠を思い描き、問い掛ける。


−やっぱり……私がやらないといけない、ですよね?
−本当なら巍然様にお任せすべきことなんでしょうけれど……。


 だが、それは無理な話だとも分かっていた。


−巍然様が……霊威士(れいいし)たるあの方が近くにいらっしゃるのであれば、気づいていないわけがない……。


 そうなのだ。
 周りに人を見当たらなくなっている事に、静音は少し前から気づいている。
 恐らくこの三間坂町の一区画には多数の工事中の看板が立っていたりするのだろうことに。
 どうやら警察か軍の介入が既に始まっていて、この辺り、化物周辺に一般人を近づけないようにしているのだろうということに。


 なら……。


−近くにいらっしゃるのであれば巍然様がここに居ないのはおかしい。


 霊威士である彼は真っ先に駈けつけている筈なのだ。
 静音は心の中で呟くが、結論は既に出ているような気がした。
 すなわち、


−やっぱりどこか遠いところに出張ですか……もう……困った人なんだから。


 思い当たった想像に苦笑する静音。


 ほんと全く巍然らしい。
 恨みつらみは全く無かった。
 ただ、苦笑する事が妙に気持ち良かった。


−くすっ、やっぱり私になんとかしろって事ですよね巍然様……。


 静音は化物が追いかけてきていない事をもう一度確認すると、隆宏に向き合い一つ提案をする。
 困ったように笑いながらの、一言。


「隆宏様。隆宏様はこのまま街のどこかに逃げてください。私は、これから神社で……化物を迎え撃ちます」
「――っ」


あまりの事に隆宏は口をぱくぱくさせている。
あくまであははと笑いながら静音は続ける。


「隆宏様は化物について何も知らないしょうし……私はこれでも少しは化物について知ってたりしますし……」


 胸に手を当て、


「何より、あの化物は多分私を狙ってますね。田辺さんから生まれたって言う事は、多分そういう事ですし……。くすっ、私なんて魅力ないって思ってたんですが、もしかしてあるのかな私」


 おどける様に言うその姿は隆宏の目にはどう写ったのか。


 それは行動で示される。


 そんな静音の言葉を断ち切るかのように右腕で空を切り払い、隆宏は激昂したのだ。


「ば、馬鹿な事言うんじゃねぇっ!! 俺だけ逃げろっていうのか静音っ」
「え、えっと、駄目、ですか……?」
「駄目に決まってるだろうがっ……! 何言ってんだよ……」


 その声に抑えつけられるかのようにぼそぼそと言う静音。
 あまりの隆宏の怒りように気が引けているようだ。


「で、でも……隆宏様には化物は討てません。化物を討つには霊力(ちから)を扱えないと……」
「だからって俺だけ逃げろって? 冗談じゃない。それに静音だって神社に行ったとしてもどうにも――」
「あそこは神域となっていて化物には抗(こう)の力を与えてくれる場なんですよ隆宏様……。ね、やっぱり隆宏様はまだ化物について何も知らないんです」
「…………」


 やはり、静音は笑う。
 それが隆宏の目には悲しそうに写った事を彼女は分からない。


「それにあそこに居れば……巍然様が帰って来てくれるはずです。あの方はこういう事には最高の専門家さんなんですから……」
「なら俺も一緒に――」
「それはできません、です」


 そして静音はまた、笑った。







「なんだよ……無茶苦茶一方的じゃねえか……」
「一方的で良いんですよ。……いえ、むしろ一方的じゃないと駄目なんです……」


 吐き捨てるような隆宏の声に、
 静音は静かに諭すように答える。


「私が行けば化物が神社に集うでしょう。そしてなんとかする事も出来るかもしれません。でも一緒はダメです。それは駄目、なんです。あそこは神域ですが、行き止まりでもありますから……もし本当の危険が迫った時、逃げるにしても周りにはあの足場の悪い山道しかありませんから」
「でも、でもなっ――」
「くすっ、隆宏様は狙われてないんですよ? 私さえ神域に化物を引きつければ、はい終わり。あとは私に任せてくださいな。もし……。もし、そう……なったとしても、神域にさえ居れば隆宏様には近づかないでしょうし。後は巍然様がきっと……」


 なぜだか、その落ちついた声に隆宏の心は無性に苛立つ。


「なぁ静音。ちからって奴が俺に無くて役に立たないって言うけどな……俺にだって出来る事あるだろ? さっきだって自分で言うのもなんだが、なかなか役に立ってたと思うぜ」
「それは……そう、ですけれど……。でも、駄目、なんです……」


 静音の瞳が揺らぐ、が、まだ彼女は頑なに拒否する。


「なんでだよっ!! 俺だっていざとなったらお前の盾になるぐらいできる――」


 隆宏の何気に言った慰めは静音の心をいたく刺激する。


「っ! そんな事言わないでくださいっ!!」


 静音の口から出たのは、悲痛な叫び。
 なぜならその言葉は一番聞きたくなかった言葉だからだ。
 隆宏は突然感情が爆発した静音に戸惑うしかない。


−隆宏様、分かってくれない……。


 そうではないのだ。
 いつのまにか両手を握り締め、胸元へ当てていた。
 やはり不安に感じているのだ自分は。
 静音は困惑を浮かべる隆宏の目を見返し、話す。


「私はっ、私は……良いんです……。私には義務が出来たから……力を持つって、そういう意味だから」


 自分が自分の行ないによって危険になったとしてもそれは良い。
 ただ自分が選び、その結果が不幸だったという簡単な事実が残るだけなのだから。


 だが、


「でも、隆宏様は違うんです。縛られなくて良いんです。それに……そんな事抜きにして……隆宏様が危険に会うだなんて考えるだけ……しかも私が原因だなんてそんな……」


−私が隆宏様を傷つけるなんて……。
−最悪、です……。


 ぎゅっと目を瞑って腕で自分を抱きしめる静音。


「ね、隆宏様。私はどうなっても良いんです。でも、私のせいで、隆宏様が傷つくのは、とてもとても嫌なんです」


 一度思い浮かべると、その最悪なイメージが頭からこびり付いて離れない。


 初めは神域である神社で迎え撃とうと思っていたのだ。
 隆宏と一緒に、だ。


 傍にいてくれるだけで、ただそれだけでも良い。
 傍にいてくれるだけで、何物にも勝る、頼りに出来る人だと常に思う。


 そして、自分自身離れたいはずもなかったから。


 神域に逃げ込む事自体は最良の策だと思う。


 神域と言うのは、特殊な地形やそこに住む人達の意思が共通存在である『人』の霊力を補助してくれたり、また敵と認識される『人外』の霊力存在に対して減の効果を付随する場。
 神社や寺は、そもそもその神域を利用するために建てられるもので、神域を結界とし、鳥居や注連縄(しめなわ)など人の意思や霊力が込められやすいものを配置して、場をより強固に形成させたのだ。


 そうして出来た寺社仏閣は人の化物に対する砦と化している事が多い。
 化物と戦うにはまさに適所なのだ。


 だからそこで迎え撃とうと。


 だけれど、そうすれば隆宏は傷つくかもしれない。
 それも、自分のせいで、だ。


 そんなことない、大丈夫、と考えようとするのだが、不安は大きくなるばかりだった。


 どうしてこんなに不安なのか。
 考えても仕方がないと思っていたのに一つ思い当たる事がすぐに出てきてしまう。


 不安な事。
 不安な事。


 確かに一つ。


 それは霊力を半端に扱えるという事実。


 先ほどは上手く行ったが、今だ半人前。
 そんな自分が居るのみ。
 満足に使えもしないその力。
 その扱い切れていないが為に、隆宏に危機が迫った時に助けられないかもしれないのだ。


 なんとかできる力が自らの内にあるかもしれないのに。


 霊力を持っていなければ割り切れた。
 が、なまじ持っているが為に割り切れない。


 余計に心苦しいのだ。


 そんな思いがいつのまにか両手を固く握る事で現れていた。


 だから一緒には行けないと。
 そう決めたのだ。
 寂しくとも、悲しくとも一緒に行けないと。


 だが、静音は気づいていなかった。
 分かっていなかったようだ。


 元神隆宏という人物が、どういう人物かを。
 いまだ、分かっていなかったのだ。


 だから静音は言えるのだ。
 こんな言葉を言えたりする。


「だから隆宏様は先に神社へ行ってくださいな。私なら、大丈夫ですから。隆宏様にはぜったいぜったい迷惑――」


『掛けませんから』と続けようとした静音――


 が、相手は隆宏だった。
 静音が惹かれている隆宏だった。


 突然のアイアンクローが、静音の言葉を遮るように。
 

 なんてことはない、いつのまにか近距離、しかも真ん前に居た隆宏が静音の頭を徐(おもむろ)にがしっと掴んだのだ。


「ひぁっ」


 一瞬首がすくむ静音。


「迷惑?」
「え、え、え? ……そ、その、その、あのっ」


 がしっと頭を掴み掴まれている二人。
 傍から見ればなかなか異様な風景だったろうが、掴まれている当の静音は大慌てだ。
 静音のさっきまでの不安げな表情は違う意味の不安げな表情に変化していた。


「た、ただその迷惑、迷惑と言いますか、いえ、決して隆宏様が迷惑と言う訳ではなくてっ、うぅ〜、その、えとっ」


 話せば話すほど自分の立場が不利になっていくのが分かるのか、音量が尻つぼみになっていく。
 が、次に来た言葉に、


「し〜ず〜ねぇ〜」
「は、はいぃっ! そ、そのあのご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」


 思わず身が強張り静音は身構えるが、覚悟をしていた衝撃は来ず、ただ、頭を軽く押されただけだった。


 見上げるとそこには隆宏がぽりぽりと頬を掻いていはいたが。


 その静音をみつめる目は、真剣だった。


「さっきから黙って聞いてりゃ役に立たないだの、邪魔だの、迷惑だの、馬鹿だのアホだの短足だのヘチマだの。余計なお世話焼きすぎなんだよっ」
「えっと……わ、私、そこまで言いましたっけ」


 静音はひえぇと思いながら恐々と呟く。
 真剣な目で言われるとかなり怖いものがある。


「どうして俺がやられなきゃいけないんだよ。静音は俺のこと、本っ当ーに、信用してないんだなぁ……」
「そ、そんなことないですっ、私隆宏様の事信用して――」
「ならさ、俺を信じてるんだったら……俺も一緒、だろ」


 今度息を呑むのは静音の方。
 隆宏はひとつ息を吐くとゆっくりと、優しげに静音を見やる。
 少女の不安そうな顔を見る。


 目の前の少女は助けが必要なのだ。


 右耳の銀盤が、ちりんと一つ鳴った。


−やる前から諦めないって……あの時から決めたんだ俺は。


 隆宏は一つ頷くと、静音から視線を外し、


「それに、俺は大丈夫だって。なんだか俺の事気にかけてくれたようだけどな……。これでもじじいのシゴキに耐えてきてるし……」


 思い出すのは以前静音に約束した言葉。


「第一、いざとなったら静音が俺を守るんじゃなくてさ……俺が静音を守るんだからな。力なんて関係無い。俺が、なんとかしてやる」


 その言葉に、ただ静音は見上げるだけ。


「それにさ……」


 隆宏は少し早口で。


「何かあったら駆けつけるって。……これも、約束、したろ?」


 ぽかんと隆宏を見上げる静音に届く、しっかりと、胸に響く言葉。


 隆宏からの、簡単な言葉のはずなのに。


−どうしてあなたは……私をこんなにも安心させてくれるのですか?


 それは静音の不安を何処かへやってしまい、そしてそれと同時に少しの発見が静音の心を暖めてくれた。


 だから自然と出る、


「……ぷ……くすくすくすっ」


 笑い声。


 隆宏は突然の笑い声に憮然とする。
 彼にしてみれば、ある意味精一杯格好をつけたので。


「な、なんだよいきなり……」
「え、あ」


 しまったと口を押さえながら、ごめんなさいと静音。
 だが、その言葉とは裏腹にとても良い笑顔だった。


「不安を感じてたんです私……。それを思うとおかしくて。隆宏様が目の前に居るのに……近くに居てくれるのに……こんなに安心させてくれるのに。くすっ……ほんとおかしいです私……」
「あ、いや、なんだ、そこまで言われると俺としてもだな」


 今度は静音の言葉に隆宏があたふたする。


「それに」
「?」
「実は見つけちゃったんです……。その、隆宏様が照れて赤くなってたのを……。それが嬉しくて」
「ば、馬鹿、なに言い出すっ」


 これで完全に顔が真っ赤になった隆宏。
 静音は依然にこにこしている。


「あーもーみつめるのやめろ」
「あ、ごめんなさい、です」


 そう言いつつもまだ静音はくすくす笑っている。


「……照れるから、ほんとに」
「くすっ、はいっ」


 少しかわいそうになってきたので、また真っ赤になった隆宏から視線を外してあげることにした。
 隆宏の再度の赤面に『かわいいなぁ』なんて決して口にしない。
 静音は凄く、もの凄くそう思うのだが、口にすると必死な形相で否定する隆宏が目に映るから。


「静音。神社へ行くぞ。……一緒にだ」
「はい、隆宏様……っ」


 両者の間に心地よい沈黙が生まれる。
 そしてその沈黙が解けたとき、その場に居たのは気が晴れた二人だった。


「あ〜あ。でもまぁ良かったぜ。今辺りに化物が居なくてよ。不安がってるさっきみたいなのは、隙だらけって感じだし」


 隙だらけも隙だらけである。
 古来より惚気(のろけ)の場は最高の隙なのだから。
 ……隆宏は惚気と感じて――分かって――なくとも、傍から見ればそんな空気だったはずだ。


「化物の奴もこういうナイス機会を逃すとは……ははっ、もしかしたら諦めたてくれたのかもなぁ?」
「う〜ん……そうですね〜……」


 人差し指を口に当て、考え込む静音。
 ふとそのまま周りを見まわしても、確かにまだあの物体は発見できなかった。


「まだ周りには見えませんし……」


 静音はぱんと手を叩き隆宏に向き直り、


「ほんと諦めてくれたのかもしれませんねっ」
「そうだなぁ……だと良いなぁ……」


 と、静音が安らいだ笑顔を向け、隆宏がその気難しい表情を解く。


「だっていくら何でも上から降って来たりしないでしょうし――」


 空を見上げ指差しながら、そう静音が言い切った瞬間だった。


 紅く染まった空の一点に黒い点が一つ。


 それはだんだん大きくなってきて……いつしか見覚えの有る巨体を映し出していた。


 分体の一つが目標を補足したようだ。


「…………あはは…………うぅ……」


 静音はもう泣きそうな顔。


「あーなんてゆーか。……とりあえず避けようかな……」


 隆宏はどこか諦めの混じった顔で呟く。
 が、そう悠長もしてられない。
 ついダレそうになる顔を引き締めつつ、未だやるせなさの極地に居る静音を右手一本で奥に押し出しつつ自分も下がる。


 静音も押されるに身を任せ、ととっと後ろに数歩下がった時だった。
 二人の間に出来たそのスペースに、ついに黒い影が降り落ち、その着地音が二人を叩く。


 まるで落ちた水滴のように地面に広がった黒が、球体に戻る。
 と、その表面が微かに割れたのを隆宏は見て取った。


「静音っ! 離れろ!」
「は、はいっ!」


 隆宏は静音に叫びつつ自身もバックステップする。
 静音も同じようにバックステップした瞬間、目の前の黒球が裂け、黒い腕が周囲をなぎ払った。
 『ちっ』と言う音と共に、化物の腕の半径上にあった電柱が半ばから切れおち、真横に倒れて行く。


「マジかよっ!? 」


 その光景に思わずぞっとする隆宏。
 が、その心情とは裏腹に対応は早かった。


「くそだらっ!」


 静音に注意が向くより自分が囮になったほうが良いと判断した隆宏は、余波で転がったのか、足元に落ちていたポリバケツの蓋を化物に向かって急ぎぶん投げたのだ。


 蓋は黒い影に当たりもしなかった。
 ただすり抜けただけだ。
 が、注意を自分に向ける事には成功したらしい。


「くっ」


 なぜなら現に今、影は隆宏に向かって猛進してきているのだから。


「隆宏様! 神社はこっちですっ!」


 影の向こう側で静音が隆宏を呼ぶ。
 その声を受け、静音と合流したい隆宏だったが、あの位置へ到達するには化物が道を塞いでいた。


「くそっ、ついに新調かよっ! もったいねぇ!!」


 隆宏は迫り来る化物に対して、逃げるどころか迎え打つように走る。
 そして走りざまに着ていた制服の上着を乱暴に脱ぎさると化物の顔と思える所に投げつけた。


 その新たに出現した上着に襲い掛かろうと黒い靄が飛びかかっていく。
 体重がないのか、ジャンプしたと言うより、スーっと空中を滑っているように見えた。
 予想通りの動きに隆宏はほくそ笑む。


 隆宏にしてみればどちらでも良かったのだ。
 ただ、化物が餌に釣られ、見せた隙こそ重要。
 後はその隙を突けば良い。


 その一瞬の隙を隆宏は前廻り受身の要領で、化物の飛び上がった足元、空いたスペースを転がり抜ける。
 スピード、キレ、フォームともに申し分無い柔道家も思わず拍手しそうな綺麗な前廻り受身だ。


「って静音っ! 拍手してる場合かよっ!」


 実際拍手していた静音を隆宏は一喝。


「そ、そうですよ何してるんですか隆宏様! こっちですっ!」
「ええ!? 俺が悪いのかぁ〜?」


 拍手していたのは静音なのに隆宏のせいになっている所は流石。
 やはり策士である。


「こうなったらもう最後まで突き進みますっ! でも……いざとなったら……信じてますからねっ、隆宏様っ!」
「ああっ! そんときゃ俺が助けるさっ! 男の意地でなっ!!」


 その言葉に静音はくすりと笑った。
 隆宏も、笑う。


 その後、二人は表情を引き締めつつ走る。
 背後の化物を振り返ろうとはせずに、ただ一心に。


 目指すはこの道を曲がって坂を真っ直ぐ駆け上がった先。


 全ての舞台となる元神神社は、もうそこまで迫っていた。







 この町に帰ってきた……
 あの家に帰ってきた……


 義兄が居るこの町に。
 姉が居るあの家に。


 後はこの坂を登るだけのはず。
 そうしたらあの石段が姿を現すだろう。
 慣れ親しんだその記憶の風景は、今だはっきりと思い出す事が出来た。
 その風景の場所に時を経て帰ってきた自分。
 故郷と言う場所は、そこへ帰るだけで自然と懐かしい記憶が蘇ってくる場所と誰かが言っていたけれど……


 確かに近づけば近づくほど鮮明になってくる記憶。
 それは、まるで自分を迎え入れてくれているような気がする。


 義兄は変わっただろうか?
 もう姉と暮らしているはずの義兄は。


 会えなかった10年間。


 私の事を覚えていてくれるだろうか?
 私の顔を知っているのだろうか?
 

 ……ううん。


 義兄は知っている。


 私の顔を。


 だって……。


「ねえがもう側に居るんだもの…………」


 嬉しいけれど、なんだかさびしい、な……。


 近づくのが怖い。
 義兄に。
 姉に。


 でもやっぱり……。


 会いたいの。


 話したいの。


 側に居たいの。


 でも……。


「……ほんとに、この道……かな……?」


 昔の記憶と同じだと、思う。
 けれど、やっぱり少し変わっていて。
 10年の月日をそんな所に感じてしまい、この坂道が昔駆け上った坂道なのか、ほんの、ほんのちょっとだけ、不安になってくる……。


−いつも大好きな人の背中を追っていた、あの坂道なのに……。


 と、そんな事を思っていた私の横を駆け抜けていく女の人が一人。


「こ、ここは危ないですよっ、早く逃げてくださいねっ!!」


 その横顔を見てドキリとした。


「姉?」


 そして次の瞬間もっと私はドキリとする。


「ここは危ないからっ、早くどっかに逃げろよっ!!」


 その声が背中を打ったその瞬間。
 ただそれだけで心臓が一つ、高鳴った。


 ここまで来た理由。


 10年経ってもあの人だと一目で分かった。


 私が一番会いたかった人。


 間違えるはずもない。


 この10年間、思いを募らせた人だもの。


 間違えるはずもなかった。


「にい……」


 まさしく目の前に居るその人が、


「って!? あ、朱音かっ!?」


 私の義兄、元神隆宏その人だった。
      

                  
第九話下へ [感想掲示板]


後書き (written by 津々羅)

 

あーうーとても難産でした今回。
感情変化が上手くいかず、書きなおしの嵐。
恐らくこれの三倍ぐらい書いてますね〜(^^;
しかもうんだかすんだか言いつつですから時間掛かった掛かった……

間に病気療養(4ヶ月は外にも出れなかったし)を挟んだものだから更に掛かるし……
健康は大事なので皆さんも気をつけてくださいよーほんと重要よ健康。

とりあえず10Kほどを何度も完全に消すのは凹むねぇ(;´Д`)
ああ、折角書いたのが塵と消えるよぉってなもんですハヒ。

妥協して、あーもーこれで良いや〜とか思ったときもありましたが、
いやはや頑張って良かったなと。
苦労した甲斐はあったかなとも思います。
この回は微妙に重要な話(凄い表現だ)だったので、これで胸のつっかえが一つ取れた感じで。

あ、テンポを重視してみましたが、どうだったでしょうか?<切り替え<オヒ。
やはりすっと読めないと駄目だなぁって思っていたので、その点かなり気をつけたつもりなのですが……
気持ち良く、読めてくれたら……それ勝る喜びは無いですね。

結局巫女さんも後一話で第一部は完結、予定(ぉ
書きたかったシーンは既に数ヶ月、いやもしかしたら年単位前に書いているので、それが使えてうれしいなぁと(^^
意識の隅っこぐらいに期待してもらえると良いなぁ……

まーよくよく考えると、第二部の方、昔から書きまくっているので恐ろしくぶった切りなテキストが散雑してたりするのは秘密。



最後に。

いつもこのシリーズは真っ先に読ませる人が居ます。

T氏。

いつも添削をしてくれる彼にはいつも的確な助言を頂いていて、この作品は彼が居なければもっともっと駄作だったと思います。
時には『うがぁっ』と叫びたくなるぐらいエゲツナイ助言も多々ありますが、それはそれ(滅)
仕事があるのにもかかわらず、自由な少ない時間をも使って添削してくれる、本当に粋な男です。

T氏、本当にありがとう。
あなたのおかげでこの作品は出来ました。
丁度主人公とあなたとの縁もありますしね(ぉ

そして、これからもお世話になりますが、どうぞよろしくお願いしますっ(^^;


ふ……皆が気づかない内にちょくちょく訂正しておこ(笑)
(今添削しました〜ええ取りあえずですが…13:00)
(また添削しました〜これで多分違和感ほとんどない(?)かと…19:00)

02.06.10 もう激しく書きなおしの嵐(;´Д`) 上中を上に纏めました

 

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