「童子とダンゴ」茨木童子は親孝行な鬼で東寺の門に住んでいた時に親をたずねて富松の里に帰ってきます。
親は「よく帰ってきてくれた」・・・・・とダンゴを作ってもてなしました。元禄時代には、この伝説の鬼を偲んで『だんご祭』が行われてきました。現在でもこの『だんご祭』は、毎年9月1日西富松の須佐男神社で斎行されており、無病息災、邪気退散、厄除開運が祈願されております。

茨木童子
茨木童子 『酒呑童子と茨木童子』
伝説の鬼 「茨木童子」という鬼が、富松の里でうまれ、茨木の里に捨てられていたところを酒呑童子に拾われ養われたと元禄14年(1701年)に刊行された『摂陽群談』に記載されています。成長後の童子を知る文献としては、平家物語(剣の巻)、お伽草子(酒呑童子)や羅生門などにでてくる話で、後に歌舞伎(茨木)や戻橋などに渡辺綱と戦った酒呑童子と共に広く伝えられ、親しまれてきました。
歌舞伎や演劇により多少の脚色はあるとは思いますが概ね、「茨木童子」の人間性?が表現されているものとの解釈から茨木童子や酒呑童子の伝説は、色々と面白い説話だと感じられます。茨木童子の人間性と記したのは、ある説によると、茨木童子や酒呑童子は都を荒らし、夜な夜な出没する恐ろしい鬼ではなく、元は比叡山にて修行をしていた雑役僧とも言われており、その修行の厳しさに耐え兼ね比叡山より逃げ、八瀬に降り立ち、食を得る為に都に出没していた者達だとも伝えられています。。雑役僧は修行の浅さからか・・・・結髪が認められず、長く髪を伸ばした様子であり又、世を極める以前の子どもの程であった為に童子ともいわれていた様です。




・・(土地名に残る由縁)・・
[安堂寺]富松の親を尋ねてきた童子が無事にすみかの東寺の門に帰り安住しますように童子の無事成長を願って建てた庵を安東寺と呼んだ。

[東富松鬼垣内]:童子出生地の伝説の地

・・・・・(参考文献)・・・・・
尼崎市史、立花志稿、摂陽群談

・・・・・(企画活動)・・・・・
町おこし計画PT:富松21


茨木童子の話は当然茨木市にもあり童子が地域どうしを結び活性ある街作りに一役。