富松神社本殿は昭和41年に遷宮されました。


富松神社ご祭神

本宮・・・・御祭神:素盞嗚尊、応神天皇
愛宕社(末社)・・火之加具土神:防火、火の神様
三社(末社)・・・・白山権現、皇大神宮、熊野権現
金刀比羅社(末社)・・大物主命(おおものぬしのみこと)
天神社(末社)・・・・菅原道真公 学問の神様
巌島社(末社)・・市杵島姫命.海上守護、安産、芸能の神様
金福稲荷社(末社)・・・倉稲魂神(うがのみみたまのみこと)
行者堂・・・・・・大峰山行者講が奉仕する。
春日大社遥拝所・・・奈良春日大社の方角を向き遥拝
舞殿・・・・・・・・例年7月26日薪能開催


杜の四季
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富松の宮
由緒略記
富松神社のご鎮座は、天平年代(約1200年前)聖武天皇勅願により僧行基が猪名野笹原を開耕したことにはじまる。この「猪名野笹原」とは、北は鴻池五通の辻、東は伊丹坂、西は武庫川、南はとまつ笠の池に至る広大な地域で、その内に二十三の坊をつくり堂塔を造営され、各所に集落を作り庶民の福祉につくし農耕を指導して民生安定につくされた。神社の聖地は、当時二十三ケ坊の一つで祓い所として素盞嗚尊、薬師仏を祀り厄災除祈願所として諸願成就、祈祷祭祀の中心地として重きをなしていたと伝えられています。平安時代には、荘園制が確立して後集落は、富松庄として藤原摂関家荘園地を守る鎮守の社でありました。その後戦国の時代には、数度の兵火にかかり社殿や堂塔などが焼失したらしく面影はとどめませんが、今日の聖地の現状と樹木などにかすかに昔時が偲ばれます。江戸時代に至り尼崎藩主松平遠江守公厄災除祈願所として殺生禁断の地で特別の庇護を受け盛況を誇りました。明治の廃藩により当神社並に境域は、内務省の主管地として国に移管され立花村、川辺郡、兵庫県より祭祀料の奉幣があり、また東富松地区に於いては、氏神社として 維持経費の奉幣があり社田地も有し神社の基礎は確立していきました。しかし、敗戦後の著しい社会変化により神社の基盤は壊れ、神社の維持運営は困窮を極めましたが、ふるさと富松の氏神様への信仰はとぎれることなく、地道ではありますが境内の整備も進んで、昭和41年には大規模な社殿造営工事を行い、後 舞殿、参集殿、参道等が整備され現在に至っております。
(神社本庁所属 宗教法人 富松神社)


富松神社
*神社の創立は明らかではありませんが本殿は、寛永13年(1636)に社司良雄が再建したもので承応2年(1653)、寛文11年(1671)等の数回の修理を経て、平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災には、当社も損傷を受けましたが氏子崇敬者の方々の多大なる御協力により修理復興も完了し今日に至っております。
本殿は、一間社春日造で かつて富松神社が春日神社の末社であった事を意味している様に思われ、組物(三つ斗組)、蛙股などは極彩色で 壁には絵が描かれており華麗な桃山時代の余風が伝えられております。
(昭和43年3月29日兵庫県重要文化財に指定)



「富松神社参拝のご案内」
人生儀礼、諸祈願祭の案内 安産祈願、お宮詣り、753詣り、十三詣り、合格祈願、入学卒業祝、成人式、結婚式、旅行安全、家内安全、厄除け、長寿祭、交通安全祈願祭、自動車清祓い、など人生機会ある毎に氏神様の御守護に感謝し又、諸祈願成就祈念いたします。
雑祭式 地鎮祭、立柱祭、上棟祭、竣工祭、宅神祭、店舗開店清祓式、方除け祭など土地や住まいに関する御祈祷をいたします。
神葬祭 帰幽報告祭、遷霊祭、通夜祭、葬場祭(告別式)、火葬場祭、帰家祭、霊前祭、五十日祭、年祭(一、三、五、十、二十年・・・・年祭)、祖霊祭。
お神楽奉納 10月10日 午後2時〜5時(昼の部) 午後6時〜8時(夜の部)。
各家庭でのお祭 年に一度(もしくは半年に一度)神社からご守護のお札をお受けください。略式ですが家の静かな東向きか南向きの神棚か、なければ中心となる柱に添えつけられたら結構です。毎年1月15日(小正月)のどんと焼にて古い御札を収める様にするのが一般的です。

二礼二拍手一礼の作法にてご参拝ください。

問合せ先
富松神社社務所