スミダーの日記


2011年

10月8日
晴れの私たちの人前結婚と披露宴の儀が執り行われました。なんて皇室みたいな言い回しは変ですが・・・。
当日は秋晴れでした。気温もちょうどいい動きやすい日になりました。
理恵は実家から、私は自分の家からそれぞれ会場へ。
130人ものゲストが来られました。私たち2人は内輪で質素な結婚式でもいいと思っていましたが、理恵の両親を安心させることも含めて、来たい人は来てもらおうと思って、こんな大勢な人になりました。
会場のホテル側もこんなにゲストが大勢来る結婚式は久しぶりで緊張されていたみたいです。
急遽頼んだ、中井さんの司会で式は始まりました。この司会がうまい。1週間前に頼んだとは思われない名司会でした。
キャンドルの点灯式。各テーブルを回って、ローソクに灯りを点灯する。私は手が震えるし、理恵は目が見えにくいから一苦労。
立会人の栗山さんのあいさつ。これは長時間の名講演。人権研修でも使えるような話。2人の生い立ちや人柄から話され、障害者同士の結婚がいかに大変かということを切々と話され、だけど、私たち遊び雲の職員やヘルパーが全力で支えますと明言されました。
理恵の御両親がこの話でどれほど心強く思われたか、想像します。栗山さん、ありがとう。
誓いの言葉。婚姻届にサイン。指輪の交換。この指輪も友人が真心込めて作ってくれた指輪です。そして誓いのキス。
これで人前結婚式は終わり。
ここから披露宴。会食しながら、談笑。私たち2人もそれぞれテーブルを回り、ゲストにあいさつ。写真撮影の嵐。
新郎と新婦の友人を代表して、2人の方のスピーチをいただき、笑いあり、涙ありのスピーチでした。
ウエディングケーキのカット。
理恵の亨おじさんの喜界島の民謡の披露。素晴らしい歌声でした。続いて私の尊敬する友人の趙さんの歌。
そして、新婦からの両親への言葉。これもまた、会場が感動の渦。涙、涙、涙。
理恵の両親も涙を流されていました。
しかも即興でこんなに人を感動させてしまう。すごい嫁さんをもらったがなぁ・・・と改めて思いました。
これで滞りなく披露宴が終わりました。大拍手。
人前結婚も披露宴も手作り感があり、よかったんじゃないかなぁと感じています・
ハプニングといえば、借りていた新婦のイアリングの片方が紛失したぐらい。20万円が飛んでゆくね。まぁこれぐらい予想内のことだから、大丈夫。
理恵の実家に菊地家の親戚が集まっているから、顔だけ出してほしいと言われて、行ってみると30人ぐらいの人たちが集まっていて、大歓迎してくれました。
本当に顔だけで、10分ぐらい、いただけで、それから遊び雲の職員や理恵の友達が催してくれた二次会に行きました。
楽しいひとときを過ごし、家に帰ったのは夜の10時前でした。
私も理恵もヘロヘロで疲れていました。理恵ちゃん、準備から何から何までご苦労様でした。ありがとう。1週間ぐらい何もせず家でゆっくりしてください。



2009年

5月15日 晴
月例の遊び雲の役員会が行われ出席する。
ここでは、月末に開かれるNPO法人の通常総会の打ち合せをやりました。
主に遊び雲は介護派遣をしている事業所で、阪神障害者解放センターが母体となって創設されました。
遊び雲の誇るべき特徴は、どのような重度の障害がある人でも地域のなかで街のなかで生きられるように支援し続けてきたことです。
実際に64才でなくなられたGさんという重度の障害がある人の街のなかの生活を支えて葬式まで出したという実績があるのです。
彼女がいたから今の遊び雲があるんだということを私たちは忘れずに次の世代にそのノウハウを伝えていかないとならないと、それが私たちの第一の任務だと思います。
それを原点にして、遊び雲の未来を考えてゆくべきと私は感じています。
みんな、そのことを忘れているように思えてなりません。


5月14日 晴
月例の阪神障害者解放センターの運営会議に出席。
席上。「定時制高校の存続を求める西宮市民の会」の結成が承認されて、私がその会の臨時代表になりました。
ますます責任が重くなるみたい。
当面は署名活動に取り組む、街頭署名もやってゆくということです。
「住田雅清の高校入学を支える会」をつくってほしいという独り言をつぶやいてみたりして。
あとは日常のことが話し合われました。

仕事が色々とあって、本当に活動が回り始めたら、りえと話したり、遊んだりする時間が少なくなりそうで、すごくヤバイ。
りえちゃんサービスもしないとね。



5月13日 晴
うちのかみさんのりえの友達のM夫妻が来てくれて、パソコンに詳しい旦那様がセットアップしてくれて、ホームページの更新もやれるようにしてくださって、メチャありがたいです。感謝、感謝!

さあ、これから仕事がはかどるぞ!



2008年


8月25日 曇
ここ数日、急に涼しくなって、夜がよく眠れます。
夜8時や9時から朝8時までぐっすり寝てしまい、日記を書く暇もなくなってしまいました。
この間も劇的なことが色々と起こりました。
彼女に彼女のご両親に彼女との結婚を許しを乞う手紙を託して、ご両親に読んでもらいました。ご両親が営んでいるうどん屋さんに行って、お話するのも邪魔になるし、まずお手紙で正式に意を尽くして挨拶とお願いをしてから、また改めて席を設けてもらおうと思いました。
お父様は「あんな重度の人を婿として迎えることは親戚が引くので受け入れられない」と言われたと彼女が沈んだ声で電話で報告してきました。
「親戚が引く」ということを聞いて、「お父様自身、かなり引いているなぁ」と思いました。
でも、私はなんて幸せ者だろうと感じています。
愛され愛する恋人がいて、その親御さんに結婚を申し込む手紙を書き、こんな歳でこんなことが起こるとは思ってもいなかった。
しかも親からの反対に遭って、まるで「ロミオとジュリエット」のようなドラマチックなロマンチックな展開。こんな楽しいことはありません。
2人がその気になれば、結婚は今すぐにでもできるけれど、彼女がご両親の気持ちを大切iにしたいという心を尊重して、ハラハラドキドキのドラマを楽しんでゆきましょう。



8月19日 晴のち曇
彼女とデート気分で、映画「崖の上のポニョ」を観に行く。
金魚のポニョと少年の宗介が幾多の試練を乗り越えて、思いを遂げるという初々しい恋の物語。
なんか私と彼女の境遇によく似ていて、身につまされるストーリー。
私たち2人もどんな試練に遭おうとも思いは絶対に遂げようと決意も新たにしました。


8月18日 晴
午前中、中央病院で整形外科の診察と薬をもらいに行きました。これは毎度同じことです。

髪が伸びてきて、うっとうしいので、散髪に行き、スポーツがりにカットしてもらいました。頭が軽くなりました。軽いのは、中身もといううわさもチラホラ(笑)
お昼に新潟日報の記者さんから記事を書くための追加質問が来ました。
映画上映は22日まで。追加質問して、今から執筆して、果たして間に合うかどうか微妙。


8月16日 晴のち曇、スコールあり
劇団「態変」に行き、態変の9月公演「すがた現す男」で音楽を担当する桑原しんいちさんのアルゼンチン・フォルクロ−レのライブを聞きに行きました。
美しいギターの音色とスペイン語で歌われる歌声。ある時は激しく、ある時はもの悲しく。至福のひとときを過ごしました。
アルゼンチンといえば、タンゴが有名ですが、あれは首都圏の音楽で、地方に行けば、フォルクローレが歌われているそうです。フォルクローレは民衆の音楽だということでしょう。
9月公演の前売りチケットを早速買いました。公演がすごく楽しみです。


8月15日 
正常に更新されるようになりました。
引き続き、よろしくお願いします。

今日は日本が63年前に敗戦し、国が滅んだ日です。
日本がなぜ亡国の道を突き進んだかを深く学び、日本の将来の糧としていってほしいと青年たちに強く要望したい。過去の反省なくして未来はないのです。

午前中、エコー検査をしに西宮中央病院に行く。
部屋に入ると、なぜかC型肝炎で入院したときにお世話になった榎本ドクターの柔和な顔があった。
そして、ドクター自らが検査をしてくれた。横に若い技師さんみたいな人がいたので、その技師さんにエコー検査のやり方を教えておられるようでした。
「以前と変わりがないから、心配しないでいいよ」と言われましした。
来週の木曜に検査結果を聞きに行くけど、主治医だったドクターにすぐそう言われて、余計な心配をしないで済みました。よかった。

昨日の運営会議で決まったように、作業所に行き、メンバーや職員と談笑しながら、昼食をいただきました。みんな、楽しそうで特段の問題はありませんでした。
常時、みんなと付き合っていることで、いざ何か問題が起こったときに対処ができるので、長く細くやっていきます。



7月6日 日曜 晴
調整中 テスト


6月26日 木曜 曇
久しぶりの日記のようで。
秋葉原の事件は驚きました。現実にあのような事が起こるとは、唖然。
正直に言って、映画『おそいひと』の上映に影響が出てくるのでは、と心配しました。
「現実は小説より奇なり」という言葉がありますが、白日のもと、7人も1度に殺してしまうなんて、想像もできないことです。
どこにいても安全なところはないという感じ。
でも、統計的に見て、殺人事件は昔より今の方が格段に減っているとある学者が言われていました。しかも昔の方がもっと悲惨な事件が起こっていたそうな。
アメリカに比べたら、アメリカは日本の百倍も殺人事件が起こっているらしい。
日本は昔と比べたら殺人事件も減っているし、治安もよくなっているみたいらしいよ。
でも、国民は治安が悪く、凶悪事件が多いと感じている。
それはなぜか?
テレビのワイドショーなどが多くなり、殺人事件が取り上げられ、報道されるから、事件が多くあるように感じられているということです。
中国の地震でも、昔はあのような大々的に報道されなかった。新聞の一面の片隅に載るぐらい。
この錯覚が恐ろしい。
真実はどこにあるのかを考えながら、ニュースなどを見るべきでしょうね。


2月26日 火曜 曇時々雨
映画『おそいひと』の関西の宣伝担当の田中さんが我が家に来て、話し合った。
「ポスターやチラシから女性には『おそいひと』という映画は恐いというイメージがあるので、チラシの色合を変えて、女性に受け入れやすいようにしたい」と言われていました。
私も賛成です。モノクロだと映像は美しく、この映画の本質は恋愛の物語であり、愛憎劇です。ギリシャ悲劇のようなものかなぁ。決してただの殺人映画でもない。障害者の映画でもない。芸術性の高い映画だと感じます。
女性でも観たら、引き込まれていくほど面白い映画です。
ある女性が1回観て、腹を抱えて大笑いをし、2回観て大泣きしてしまったということがあったそうです。
映画『おそいひと』の住田雅清は母性本能をくすぐるかもしれませんね。
本物の住田雅清はどうかなぁ?
批判するにしても映画を観てからにしてください。

2月25日 月曜 晴
西宮中央病院に行き、整形外科の診察を受ける。
診察の前にレントゲンを撮る。
10年前のレントゲン写真を比べながら、医師の説明を受ける。
「加齢で骨が尖っているところもあるが、それぐらいは誰にでも起こることであって、、問題はない。症状は進んでいません」と言われました。
そんなこんな、なぜ、今、レントゲンなの? 私が「レントゲンを撮ってくれ」とか、「痛みが激しくなった」とか言っていないのに。何か変な感じだ。

2月23日 土曜 晴 夕方 霙か雪
今週はハードだった。
また、次の仕事が待っている。
所長セミナーの報告書を書くこと、うちのメンバーの市営入居の要望書を書くこと、映画『おそいひと』の関西上映の準備、きんとーん作業所、事業所の遊び雲の次年度の事業計画や予算などを考えていかなくてはいけない。
考えるだけ、頭がパニックになりそうだ。
でも、それを淡々と仕事をやりこなしてゆく、それってちょっとカッコイイんじゃない!
カッコよくゆこうじぇ!いぇい!
「ちぇすと!」

2月21日 木曜 晴
月曜から水曜まで、全国自立生活センター協議会の所長セミナー。
行くまでは、宿泊するつもりであっだが、私の思い込みで、参加申し込みをしていなかったもので、通うことになりました。往復だけでも一苦労。

セミナーの内容は多岐にわたり、覚えなれけばならないことが多いので、いつもながら報告書を書く事が大変です。
でも、色々な情報が得られて、よかった。この情報をみんなに伝え、どう生かすかが課題です。

さあ、今日から明日にかけてテレビ取材。いやはや色々ありまんなぁ-。。。

2月17日 日曜 曇時々雪
創価学会の座談会に出席。
外に出ると咳込んでしまう。
私の主演映画のことも話題に。
それにしても婦人部は元気だ。うちの座談会は婦人部と未来部のもっているような感じだ。
小学校1年生の少年部の子が今月の座談会御書の四条金吾殿御返事を間違えず、詰まらず、読んでくれたのには驚きました。あのむずかしい御座候文(古文)を詰まらず読むのは、大学生でもむずかしい。偉い、偉い。

明日から水曜までの3日間、大阪の千里で、全国自立生活センターの協議会の所長セミナーだ。さあ、気合を入れて、「ちぇすと!」

2月11日 月曜 晴
伊丹養護学校の教師の岩野さんと伊丹に住む菊地さんと介護者の河野さんとで、大阪の崇禅寺駅の近くの飛鳥人権文化センター・ホールで行なわれた、花咲く家の物語という芝居を鑑賞しました。
原作はマルセ太郎さんで、ある夫婦が営んでいた知的障害者のグループホームのエピソードを基に描いた芝居です。
最後にその夫婦の奥さんの方が癌のために亡くなって、そのグループホームは解散になり、利用者はそれぞれの境遇に合った所に散っていく、でも、利用者はその夫婦が大好きでグループホームの思い出を大切しているという美しい美しいお話です。
お芝居としては感動しますが、現実のグループホームを知っている私としては複雑な信教になりました。
管理者が善良な人でも、抱え込むと、虐待が起こるという事実を目にしてきているので単に美談としか私には映らなかった。
まぁ建国記念日とは真逆な芝居を見せてもらってありがとう。

1月28日 月曜 雨
整形外科の定期診察。
内科の診察に行く。喘息状態が続く。
薬の種類が変わる。

1月24日 木曜 雨
今日も阪神障害者解放センターの運営会議は欠席。
加湿器を買う。静養中。
なぜかパソコンや仕事しているときはセキは出ない。

1月23日 水曜 雨
喘息の発作があり、息ができなくなり、ヘルパーが来てすぐ病院へ。
医者も看護師もびっくり。
点滴と加湿器を同時に行ない。
薬も新しく処方してもらい、家に帰って来ました。
尚、血液検査は異常なし。
家に帰ってひと寝入りしたら、何の支障もなく呼吸ができていました。
そんなんあり?という感じ。
今朝は死にそうでした。

1月22日 火曜 曇
女優の蒼井そらさんにお礼のメールを送る
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私は映画「おそいひと」の主演を勤めさせて頂いている住田雅清と申し上げる者です。
あなたから
「ドキュメンタリ−なんじゃないかと思うほど恐怖を感じました」というコメントをいただき、有名な美しい女優さんの蒼井そらさんから、過分な評価をいただいて、光栄と思うと共に、感謝の念でいっぱいでございました。
そんなに恐かったのですか?(笑み)
本物の住田雅清はやさしい50歳のおっちゃんです。
名誉なことに何の芸暦もない私が映画で主演をやらせていただき、昨年12月からポレポレ東中野で公開上映され、多くのお客様に鑑賞していただき、身に余る幸せを感じています。
本当はお会いして、お礼を申し述べるのが筋ですが、蒼井さんも忙しい身と思いますので、失礼ながらメールでお礼を申し上げました。
蒼井さんもお体をご自愛され、益々のご活躍をお祈り申し上げます。
蒼井そらさんのファンになります。
では、どこかでお会いしましょう。
合掌

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1月20日 日曜 曇のち雨
創価学会の障害者組織の自由グループの新春勤行会に出席。
みんな、元気で、責任者の話も色々な話題があって、地域の会合とは一味違う。
1人1人の責任者が深い思いがあり、それがこちらに伝わってくる。
是非、機会があれば、自由グループの会合の様子をのぞきに来てほしい。
”勉強になりまっせ”

1月18日 晴のち曇 
遊び雲の役員会を欠席する。責任を感じる。体調を整え、副代表としての職責を果たしたい。
午後から来客あり、寝たままで懇談。相談したり、されたりで2時間話す。疲れる。
TBSのニュースのディレクターとメールのやりとり。
来週の25日の金曜の午後にカメラなしで来て、取材を受けることになった。

1月17日 木曜 晴
寒い1日。
阪神・淡路大震災、あの日からもう13年。
日の経つのは早いものだ。
阪神障害者解放センターのメンバーの三矢さんもあの日、あの時、地震で亡くしている。彼女の無念な死に顔を今も忘れられない。
朝、勤行のとき、彼女の冥福を真剣に深く祈りました。
私の母もこの震災の秋に亡くしている。もし震災で疲労が重ならなかったら、もう1年や2年は長生きできたかも。でも今の政治や世相を見たらどう思うだろう。きっと怒り出すだろう。肝っ玉かあちゃんだった。それでいて涙もろい人だった。
大震災と聞くと色々な事が思い出される。

セキが激しいので、朝、病院に行って診てもらったら、喘息だと診断された。
小児喘息だったので、しかも結核だったらしい。結核は知らない間に治っていたらしい。
肝炎といい、結核といい、私は大病のデパートかも。悪運が強いのか、それを一つ一つ治して、これまで生きてきた。
喘息も治してから死ぬかも、病気になっている間は、不幸でいる間は死なない。ということか。この上のない幸せを感じたとき、私は死を覚悟しないとならないのか。
今は大丈夫だ。悩みや苦しみばかり。殺されても死なないという感じだ。

1月16日 水曜 晴
障害者の生活支援(収容)施設の職員と私の家で話する機会があり、「入所している障害者も職員も施設を出て地域で生活していくと言う発想すらない。その施設で度のようにしたら楽しく充実した生活ができるのかということだけを考えている。地域で生活するためには生活保護を受けないといけないから、それも大きな壁になっている」と話されていたことが頭に残った。
障害者自立支援法という法律のもとに福祉行政が行なわれているはずなのに、その実態はこんな事。いかに日本の福祉施策が貧しいかがこの職員の言葉に表れている。まず自立支援法を白紙撤回をやらなければ、どうすることもできない。と言うことを強く思いました。

1月15日 火曜 晴
用事で郵便局で振り込みをやろうとして、行きました。
客の数の割に職員が少なくて、なかなか私の番にならない。1時間近く待って、私の番号を呼ばれて窓口に行ったら、「その銀行とは提携していないので、振り込みはできません」と職員に言われました。
私は郵便局は民営化したと宣伝しているので、民間の銀行ともオンライン化して、普通の銀行の同じサービスを受けられるとばかり思っていました。それも大手の銀行と提携していないと言う事は、郵便局は普通の銀行ではなく、特殊な金融機関だということになります。
郵便局は何?って不思議に思いました。

技術的な失敗で、HPのカウントが0になりました。


1月14日 月曜 晴
今日は成人の日。
私の成人の日は、なぜか走っていたことだけを覚えている。
ちょうど30年前、元気だった。
現実は労苦の連続だったが、未来も明るかった。希望に満ち溢れていた。
もし許されたら、あの30年前の日々に戻りたい。

1月5日 土曜 晴
寝正月を楽しんでいます。
ヘルパー以外、誰もいないし、どこへも行くところもないし、静かな正月です。
今日から、ポレポレ東中野での映画『おそいひと』の上映が朝と夜の2回になるそうです。お客様が入るかどうか、少し心配です。

1月1日 火曜 晴
寒い、寒い。
心も寒い。誰か温める人はいないのか?
今年も無理せず、細く長く生きていこう。


2007年

11月16日 金曜日 曇
せきやくしゃみや鼻水が出るので、病院に行く。
「風邪」と診断される。痛い注射を打たれて、薬をもらう。
その薬の中にアレルギーの薬にあった。何のアレルギーだろう???

11月6日 火曜日 曇
西宮市障害福祉課などと交渉。
精神障害者の医療費の問題。
65歳以上の高齢障害者介護の問題。
入院時の介護の問題。
住宅問題。
当事者にとっては切実な問題だが。。。
回答は中身のない答えでした。
財政難、国や県の動きを見ないと。と言う事ばかり。
地方分権が言われて久しいが、果たして、いつ地方分権が行なわれるであろうか?
毎年、交渉しているが、、、、いつも国の動きを気にしていて、障害当事者の生活など見ていないような感じがします。
私たちは無理なことは言っていないつもりだが。。。。

11月1日 木曜日 曇
福田総理宛てにメールを送信しました。
その内容は掲示板に掲げています。

10月30日 火曜日 曇
自宅の部屋の整理をしました。切りがありません。
郵便物とビデオの整理をしました。
自宅はなぜか事務所のようになっているので、郵便物は、普通の家の何倍も来ます。それを読みながら、保管するものと捨てるものと分けるのです。時間がかかります。
同時に頭のなかの整理しないと、どちらも疲れるね。
頭のなかの整理のために部屋の整理をしているのかもね。

10月29日 月曜日 晴
今日より明日へさんに叱られていますが、当時は彼の掲示板に何回もアクセスしようと思ってもフリーズを起こして、見られませんでした。アクセス禁止かと思っていました。でも、気になるので、今月の26日に、こちらの設定を変えて、試みたらアクセスできました。
私もこのまま黙って見過ごすべきか、事実を明らかにして謝罪すべきかを、苦しみ迷いました。
すべて明らかにして、謝罪した方がいいと思いました。
彼の掲示板に事実と謝罪の投稿をしたわけです。
私の手順が悪く、彼を怒らせたことに対しては謝りますが、私のことを卑怯、ズルイという彼の発言にはちょっと違和感を感じています。黙ってなにくわない顔をした方がよほど卑怯者と思います。
弁明の投稿も許されていません。
同志なのに、悲しくなります。

10月25日 木曜日 晴
知人よりメールが入り、昼食を一緒に食べようということになり、色々と語り合いました。解放センターのボランティアをしていた人です。私の家にも風呂介護に入ってくれた人です。
その人がまじめで、家族思いで、幸せそうな家庭を築かれてていました。
大手のデパートに勤められて、家も新築され、側から見ていると幸せを絵に描いたような人でした。
でも、彼の苦悩は深い。
息子さんは不登校。その息子さんが暴言を吐き、母親はそれがショックで、それがきっかけで夫婦関係がうまくいかなくなって、今、別居していて、奥さんは離婚を望まれている。
その人の話をじっくり聞くと、誰も悪くはない。夫婦の生い立ちに1つの原因がありますが、それとてさほどの問題ではない。話し合えば解決する話。
彼はクリスチャンだから、そとではいい人で、家では無神経に振る舞っていたのではないかと思えるところもあります。クリスチャンには二重人格的傾向性の人が多い。
でも夫婦円満のクリスチャンの家庭をあるしね。それだけを原因に求められない。これは宗教的偏見です。
相手の話をじっくり聞いて、励ましました。
最後に彼は「元気になりました。ありがとう」と言って帰られました。
人生はままならぬものです。

10月24日 水曜日 晴
ホームページのトップから他のサイトにリンクできるようになりました。
ある人がそのことを丁寧にわかりやすく教えてくれました。
本当にありがたいことです。感謝感謝。

10月22日 月曜日 晴
映画「おそいひと」の映画監督、東京の映画館の支配人、映画宣伝担当者、雑誌の記者が来訪された。
雑誌の記者はVTR取材、支配人、宣伝担当者は、縷々打ち合せ。
まず、12月1日には映画館で夜9時から上映されるので、それに出ること。3日にイベントがあるので、それにも出ることが決まった。1日から3日まで東京に滞在することになりました。
マスコミの注目度がものすごく低いので、私の名前で取材依頼をする事が決りました。
日本のマスコミは意外に保守的なので、この問題作を取り上げることがものすごくむずかしいようです。
あらゆる手を打つということだです。
上映の成功不成功は、客が来てくれるかどうかの数字が問題になり、宣伝が重要になるという感じです。

10月21日 日曜日 晴
創価学会の堤地区総会に出席。
婦人部有志のフラダンスが印象的。パワーとお色気に圧倒されました。信心の会合でこんな変な気分になってもいいのかなぁ? こりゃあかんで!
壮年部有志の黒田節も舞になっていない舞で、何と言うか・・・・。
男子部のコントも面白かった。
楽しい学芸会という感じでした。
まじめなのは上田副本部長の体験談だけでした。感動的な話。
あのような素晴らしい高齢者の夫婦はいいなぁと思いました。
終わってから散髪に行く。あぁすっきりした。

10月18日 木曜日 晴
解放センター運営会議、出席。
代表の福永さんが、NHK教育テレビの11月10日の「キラっと生きる」という番組に出演。
またメンバーの志智桂子さんが「蓮根放浪記」という本を発刊する
ということ。よかったね。楽しみ楽しみ。
「れんこん放浪記」の販売に協力をお願いします。

10月17日 水曜日 晴
「我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ、現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えししかども疑ををこして、皆捨てけん。つたなき者のならいは約束せし事をまことのときにわするるなるべし」
日蓮大聖人が開目抄で書かれた1節です。
「つたなき者のならいは約束せし事をまことのときにわするるなるべし」
本当にそう思います。
何か苦しみが、苦難があれば、御本尊を疑ってしまう。信心を疑ってしまう。
人生は苦難の連続です。
その苦難に遭遇したとき、まことのときに、御本尊を疑って、信心を疑って、同志を疑って、すべての人間を疑って、自分までも疑ってしまう。そして愚痴が出てしまう。
「皆捨てけん」になってしまう。
どのような事態が起ころうとも、日蓮大聖人の教えのままに絶対に疑わず、生きていこうと思う今日このごろです。


10月16日 火曜日 晴
12月から公開される映画「おそいひと」の雑誌のインタビューで、ファックスによる文章のやりとり、徹夜して回答を書いていた。今日は日曜日の質問の再質問。
エロ本系の出版社なので、どういう影響が出てくるか、少し心配。
でも、映画の製作者のシマフィルムや柴田監督の了解を得ているので、大丈夫と思う、うーん?。

10月15日 月曜日 晴
創価学会の本部幹部会の衛星中継に行く。
池田先生は79歳というのに若いね。いつも張りのある声で話されている。
その声と姿を見て、私は安心する。励まれる。
先生は神様でも絶対者でもない。
平凡な人間です。その人間がどう生きていくかという姿を見せて、励まされている。
いつも、「民衆」ということを繰り返し繰り返し強調されている。
「民衆を大切に」  「民衆の味方になりなさい」  「民衆が中心だよ」 「真の英雄とは民衆なんだよ」 と。
誰が何と言おうと、私の生涯の師匠は池田大作先生です。

2005年


(特別編)

ロッテルダム映画祭に参加して

2月27日より3月2日まで、オランダのロッテルダムで行なわれた映画祭に行ってきました。
27日の朝の7時半の関西空港行きの西宮北口駅発のジムジンバスに乗り一路、関空へ。
搭乗手続きをして、いざ飛行機へ。私がかなり不審人物と思われたのか、厳重なボディチェック。帰りのアムステルダム空港でも厳重なボディチェックを受けました。
飛行機に乗り込み、11時間半のフライト。一番きれいと思ったのは、雪を冠した日本アルプスの山々。まるでチョコレートケーキにお砂糖を降りかけた感じ。
ロシアの国土の広大さを実感しました、フライト時間のほとんどがロシア上空。
8時間の時差があるので、アムステムダム空港到着が午後3時。それからロッテルダムの映画祭のプレスセンターに行き、宿泊するパークホテルに着いたのは6時ごろになっていました。それから柴田監督が一足遅れて着いて、中華料理店に行き、夕食をとりました。やはり世界中、どこに行っても安心して食べられるのは、中華料理ということです。日本料理はまず過ぎて食べられないらしい。その日はそれで終わりました。
次の日は、取材の予定が3件あり、1つ目は私と柴田監督と2人で。2つ目は監督だけ。3つ目は主に私が答えるという形になりました。そして、ブレスセンター前で撮影された写真が、ディリ−・タイガーという映画祭の新聞のトップに載りました。
その夜の10時半に映画『おそいひと』の上映会があり、監督と一緒に舞台挨拶をやりました。上映された映画館はかなり大きなホールで西宮の市民会館の大ホールぐらいはある。そのホールがほとんど埋まっているという状態でした。こんなに夜遅くにこんなに人が集まるなんて日本では考えられないことです。
翌日は予定が何もなかったので、午後から私が会員である宗教団体のオランダの文化センターに散歩がてら行くことにしました。それが大冒険になりました。
ロッテロダム駅に行って切符を買おうとしても買うところもわからない、探し探し切符売り場を見つけて、切符を買ったのはいいが、その駅は大きな駅で15番線ぐらいあり、どのホームから乗ればいいのかわからない。優しそうなおばさんをつかまえて聞くと、教えてくれて、乗り込んだけど、しかし、この列車が急行なのか、各駅停車なのかもわからないまま、介護者の坪井さんが大きい声で話すなので、前に乗っていたおばさんが唇に手を当てて「シー!」、座席の横に書いているオランダ語で「車内ではお静かに」(らしい)というプレートを指差して座られました。この国は公共の場のマナーはちゃんとしないとならないことを感じました。
親切な女の人がいて、「行きすぎていますから各駅列車に乗り換えて戻って」と教えてくれました。
オランダの幹線の列車は出入り口に3段ぐらいの段差があり、車椅子での列車の旅行は不便です。街中にはトロリーバスが走っていて、高齢者や軽度の障害者には使いやすくなっているようです。足の不自由な人はよく見かけましたが車椅子に乗っている人は空港で一回だけ電動車椅子に乗った人を見かけただけでした。オランダの障害者の外出はどうなっているだろうという疑問が湧きました。
駅からタクシーでその会館に行き、ちょうど青年たちの集会があったあとで、その集会に携わった役員のメンバーがおられて、そのメンバ−と交流ができました。
そのなかにはアフリカ出身の方、マレーシア出身の方がおられて、管理している人は大阪出身の方で、国際色豊かで面白かったです。
日本人の方がロッテルダムまで帰るので、一緒に行きましょうと言われる人が現れて、あの乗りにくい列車で帰らなくてすむと思うとありがたい事でした。
その夜の夕食はまた中華料理で日本から来られている監督とかプロデューサーとかお歴々が集まった会食。なんか私と坪井さんがいるのは場違いな感じがしました。でもおいしく料理は食べました。
次の日は午後3時から「おそいひと」の上映会があり、それまでに時間があったので、日本の若手監督が製作した「青い車」という映画を見ました。コミック(漫画)から映画化した作品なので何か不思議な感じがした作品でした。
そして「おそいひと」の上映の番、最初の挨拶と上映が終わった後の観客の質問に答える場面があり、中途半端なことしか答えられなくて反省しています。
夜は映画祭のコーディネーターの相原さんが気を使って、せっかくオランダに来たのだから、オランダらしいところで夕食をしましょうと言われて、「レストラン・ニューヨーク」で夕食をとりました。
ロッテルダムの港でここからニューヨークに行く船が出たという知る人は知る有名な場所のようでした。
そのときに私は眠くて半分寝ていたような感じ、余り話にのれませんでした。
滞在最後の日、相原さんは空港まで来てくださって、搭乗手続きや土産のアドバスなど最後まで大変にお世話になりました。
そして、飛行機に乗り、2月2日、無事に日本に帰ってきました。
私はのほほんとしていたけど、介護者の坪井さんがすごく気を使われたと思います。この場を借りてお世話になりましたとお礼を言います。
ヨーロッパに行くなど一生にないことが当然で、貴重な体験をしました。今回、ドサクサ紛れに強引に行けたという感じがします。
遊び雲の室谷さんをはじめ色々とお世話になった方々に心からお礼を申し上げます。