Shinya's Room
闘病回想日記

がんばれば、必ず病気が治って元気になれると信じて、最期の最期まで闘い続けた
慎也の約一年に及ぶ闘病生活を振り返り、回想日記として綴りました。



「ここに書かれてある記録は、1人の患児のほんの一例です。
慎也は、残念ながらこういう結果になってしまいましたが、元気に退院された方もいらっしゃいます。
今、闘病真っ最中の方がこれをご覧になっても決して悲観なさらないでくださいね。」




白血病についての詳しい説明、治療法などについてはこちらへ



98年11月〜99年3月  99年4月〜5月  99年6月〜8月  99年9月〜10月

子どもの長期入院に伴う問題点


 子どもの長期入院に伴う問題点 


子どもの病気が、ある日突然発覚し、長期入院を余儀なくされた時、そして、母親が
付き添いをすることになった場合、今までの日常生活が180°変わってしまいます。
一家の主婦であり、患児の兄弟の母親でもある私たちが、家を留守にして病院で
生活をするためには、たくさんの解決しなければならない問題にぶつかるのです。

まず、兄弟の世話をどうするのか?家事は誰がするのか?

病気の子どものことだけでも頭がパニックになっているのに、現実問題として、
これらのことを考えないわけにはいきません。

お父さんが帰って来るまで1人で留守番をしている子ども、
親戚の家に預けられる子ども、また、多額の料金を払って雇った
お手伝いさんに世話をしてもらっている子ども、等々・・・。
兄弟たちも寂しい思いをして、お母さんと病気の兄弟が1日も早く
家に帰って来てくれるのを待っているのです。

また、病院にいる母親たちも、家に残している子どものことがとても気がかりです。
でも、生死をかけて闘っている病気の子どもがそこにいるのですから、どうしても、
家にいる兄弟たちに我慢を強いることになってしまいます。

そして、母親たちの病院生活にも、やはり問題点はあります。

病院では毎日、付き添い用の寝返りも出来ないような簡易ベッドで寝ていたし、
夜中に何度も起きなくてはならないので、ずっと睡眠不足状態が続いていました。
もちろん、必死で病気と闘っている子どものことを思うと、そんなことでしんどいなんて
言ってられないということは、十分承知していたのですが、私も人間であって
鉄人ではないので、やはりその状態が続くと、ふらふらになることもありました。
それでも気力で乗り切っていましたが・・・。
後、付き添いの母親たちの食事も、毎日、病院の売店やコンビニのお弁当や
カップラーメン、または子どもの残した病院食などが中心になっていました。
子どもの状態の良い時には、食堂へ食べに行ったりもしましたが、どちらにしても
栄養面では、めちゃくちゃ偏った食事になっていたと思います。
慎也が入院していた最初の病院では、付き添いの食事も注文できたので、
夕食だけはそれを食べていました。そういう物があると結構助かります。

★ ★ ★ ★ ★

多くのご家族が、週末は父親と母親が付き添いを交代していました。
私たちもそうでした。父親たちにしても、毎日会社で働いて
休日は病院で付き添いと、かなりハードだったと思います。
うちの場合は、毎週日曜日の午後に、私がお兄ちゃんを連れて病院へ戻り、慎也が
病室の外へ出られる状態のときには、ディールームでつかの間の一家団欒を
していました。今思えば、あの時間はとっても幸せな時間だったと思います。
慎也が保護隔離状態で病室の外へ出られないときは、お兄ちゃん1人で
ディールームで過ごすのです。もうこれが、日曜日の日課になっていました。

病院にいたらいたでお兄ちゃんのことが気になるし、家にいたらいたで慎也のことが
気になって早く戻りたくなるし、どちらにしても終始心配事は絶えませんでした。
もちろん、慎也の病状という心配の種がいつも根底にありましたし・・・。
体が二つあればいいのに・・・と、よく思いました。

私は、慎也が入院している間中、慎也の付き添いだけに
集中できたらどんなにいいだろうと思っていました。
でも、なかなかそんなことは不可能で、周囲からの余計な雑音も耳に入ってくるし、
気になることはたくさんあるしで、心身共にかなり過酷な状態でした。
私たちが居た病院での付き添いは、ただ側に座っていたらいいというわけではなくて、
我が子専属のヘルパーのようなものでした。
でも、私はずっと側で付き添えたことを、心からよかったと思っています。

周りの人たちも、本当はとても深刻な状態にあるにもかかわらず
病棟の雰囲気が明るくて、とても励まされました。
みんな辛いからこそ笑顔で明るく過ごしていたのです。
この現実に負けないためにも、力を振り絞って闘っていたのです。

今この時にも、そうやって親子で闘っている方々が大勢いらっしゃいます。
でも、どうか負けないでくださいね。
私にとって、こうなってしまった今となっては、慎也といっしょに
闘っていたあの頃が、なつかしくさえあります。
そこには、間違いなくあの子がいたのですから・・・。

最後に、これはこういう経験をした私が実感したことなのですが、病気の子どもの
付き添いのため、母親が不在となった家庭を支援してくださるような
サポート体制が整うと、とてもありがたいと思います。