Shinya's Room
闘病回想日記

がんばれば、必ず病気が治って元気になれると信じて、最期の最期まで闘い続けた
慎也の約一年に及ぶ闘病生活を振り返り、回想日記として綴りました。



「ここに書かれてある記録は、1人の患児のほんの一例です。
慎也は、残念ながらこういう結果になってしまいましたが、元気に退院された方もいらっしゃいます。
今、闘病真っ最中の方がこれをご覧になっても決して悲観なさらないでくださいね。」




白血病についての詳しい説明、治療法などについてはこちらへ



98年11月〜99年3月  99年4月〜5月  99年6月〜8月  99年9月〜10月

子どもの長期入院に伴う問題点


 99年9月〜99年10月 


9月6日

先生から再移植をするかどうかの決断をするよう、お話しがありました。
私達は、悩んで悩んで悩み抜きました。
再移植をするとなると、あの辛さをもう一度味あわさなければならない、
いや、前回以上に苦しむことになるだろう。でも、何もしないでだんだんと弱っていく姿を、
ただ側で見ているだけということができるのだろうか・・・。
きっとそれは、何よりも辛いことなのではないか。どちらにしても
しんどい思いをさせるのなら、終りに向かうのではなく、希望をもって
前に向かう方がいいのではないか・・・。
ほんとにいろいろなことを考えて、結局は再移植をすることを選びました。
慎也も、私達なりの説明に素直に納得してくれました。
そして、選んだからには、うまくいくことだけを考えて闘おうと決心しました。
実際、亡くなる前の日まで、きっとよくなると信じていました。
でも、今でも、この決断が正しかったのかどうかはわかりません。
時々思うのですが、私達があえて鬼にならなければならない治療を選択するよりも、
残された時間をとにかく優しく接してあげた方が良かったのではないかと・・・。
今はただ、私達の思いが慎也に通じていることを願うだけです。



9月9日

再移植に向けての、前処置が始まりました。

この大量抗がん剤投与の結果、白血病細胞は末梢血で0になりましたが、
体の方も傷めつけられてしまいました。やはり、半年以内の2度に亘る移植は、
慎也の体に非常に大きなダメージを与えてしまったのでしょう。
かと言って、再移植をしなければ原病によってどんどん侵されていって、
最終的には感染症で命を落とすことになったのだと思います。
私達は、この二つからどちらかを選ぶという、非常に苦しい選択を迫られたのです。



9月13日

早くも、熱が出始めました。この38〜40℃の熱は、これから1ヶ月程続きました。



9月17日

前処置の抗がん剤の副作用で、口の中全体が粘膜障害を起こし、
やけどでただれたような感じになっていました。
その為、口の中に何か入れると、飛び上がるほど痛いらしく、
薬を飲むのも、感染予防の為のイソジンうがいをするのも、とにかく大変でした。
それなのに、「そんなやり方じゃダメや、もう一度ちゃんとやって・・・」などと
言ったりしていました。もちろん、よくなって欲しい一心で言っていたのですが、
本人にしてみれば、残酷なことだったのでしょうね。

この頃、「一口でいいからアイスが食べたい」と言うので、
「きっとしみて痛いよ」と言いながらも、一口食べさせてあげたのです。
(基本的に生物や乳製品類は禁止でしたが、あるメーカーのアイスに限り許可されていました)
そしたら、案の定めちゃくちゃ痛かったらしく、「やっぱり無理やった。もういい・・・」と、
とても残念そうに言ってました。それに、ジュースでさえもしみるので、
ポ〇リや桃の〇〇水などの刺激の少ない飲み物を、
少しずつ飲むことだけが、この頃の楽しみになっていました。

お兄ちゃんがドナーになる為に入院して来ました。
今回は、お兄ちゃんの末梢血幹細胞を移植します。
その為、お兄ちゃんに顆粒球コロニー刺激因子(G−CSF)を注射して、
造血細胞を増やさなければなりません。
毎日通院するのも大変だし、副作用も心配なので、
入院して注射をすることにしました。



9月21日

お兄ちゃんの末梢血幹細胞を慎也に移植しました。
幹細胞は、成分採血装置で採取しました。
またまた、お兄ちゃんはがんばってくれました。
もう感謝の気持ちでいっぱいでした。
とりあえず、無事に移植が終りやれやれでした。
でもこれから、慎也の体の中でほんとの闘いが始まったのでした。
肺炎、肝VOD、重症の下痢等に苦しめられるのです。
CRPも一番高い時で30まで上がりました。
ちなみに、0.2〜0.5mg/dl未満が正常です。
10をこえるようだと重症感染症等が疑われます。



9月22日

この日は、少し血圧が下がり、突然大勢の先生方がバタバタと病室に入って
来られたかと思うと、あれよあれよという間に、慎也の体は管だらけになってしまいました。
そして、部屋には心電図等のモニターも取り付けられました。
ベッドの上は、点滴のチューブや、モニターにつながっている
コード等でいっぱいで、すごい状態になってしまいました。



9月24日

お兄ちゃんが退院しました。
お兄ちゃんは、そこが病院であっても家族そろって居られるのが良かったのか、
まだここに居たいと言っていました。きっと寂しかったんだろうなぁ・・・。

※兄弟間で移植をして、患児が亡くなってしまった場合、ドナーとなった兄弟のことを
慎重にフォローしていってあげなければならないと思っています。



9月30日

白血球が立ち上がり始めました。でも、その喜びも虚しく、皮肉なことに慎也の
体の中の闘いは、これによってますます激しくなるのでした。

慎也はこの頃、言葉では言い表せないほどのしんどい状態だったのだと思います。
それでも、「がんばる、がんばる」と、自分に言い聞かせるように繰り返し、
必死で耐えていました。そして、そんな状態の時でさえ、
周りの人への思いやりの気持を忘れませんでした。



10月11日

こちらへ(8歳の誕生日)



10月14日

先生から、腎臓、肝臓、肺の機能が非常に悪くなっていて、もう今日か明日かという
状態だと告げられました。前日のレントゲンで肺も少しきれいになっていると言われて、
これで峠を越したのだろうか・・・と、希望が湧いてきた矢先でした。
この日私は、「うん、もう十分にがんばったよ。楽になっていいからね、いっしょに家に帰ろう」
という気持と、「やっぱり嫌だ〜。慎也がいなくなってしまうなんて絶対に嫌!!」
という気持が、ずっと行ったり来たりしていました。
それとこの日に、お兄ちゃんに慎也を会わせるかどうかということも、とても悩みました。
お兄ちゃんがこの姿を見たら、大変なショックを受けるだろうなぁと思うし、でも、
最後に生きている慎也に会わせてあげたいし・・・。悩んだ結果、結局は会わせることにしました。
この日は木曜日で、慎也の大好きだった「ポケモン」があったので、病室でいっしょに見ました。
慎也は、ずっと眠ったままだったけど、わかってくれていたのかなぁ・・・。
そして、夜の9時頃、おばあちゃんとお兄ちゃんはとりあえず家に戻りました。



10月15日

約1年間、一生懸命病気と闘い、午前7時35分、8年と4日の人生に幕を下ろしました。
体につながれていた物を全部外して、きれいにしてもらった慎也の顔は、
にっこりと微笑んでいるようでした。その後、慎也は霊安室へと移されました。
そしてそこには、先生方や看護婦さん、それに看護助手さんや
院内学級の先生方等、たくさんの方がお別れに来て下さいました。
また、そのたくさんの方々が、慎也の為に涙を流してくださいました。
本当に、ありがとうございました。
それから、主人が運転する家の車で、私が慎也を抱いて自宅へと戻りました。

精一杯がんばった約1年間の闘病生活も、これで全て終わったのでした・・・。





最後まで読んでくださってありがとうございました。

慎也は自らの闘病生活を通して、私達にたくさんのことを教えてくれました。

普段何気なくしている何でもないようなことが、
実は、決して当たり前のことではないのだということ。
健康でいられることがどれだけありがたいことなのかということ。
自分がどうしようもなくしんどい状態のときでも、周りの人を思いやる優しい心。
そして、信念を持って闘い抜くという姿勢。
etc...

ほんとに、たくさんの大切なことに改めて気づかせてくれました。

もしかしたら、これらのことを私達に伝えることが
慎也の今回の人生に於いての使命だったのかも知れません。

これからも、慎也が身をもって教えてくれたたくさんのことを
しっかりと肝に銘じて、生きていきたいと思います。