Shinya's Room
闘病回想日記

がんばれば、必ず病気が治って元気になれると信じて、最期の最期まで闘い続けた
慎也の約一年に及ぶ闘病生活を振り返り、回想日記として綴りました。



「ここに書かれてある記録は、1人の患児のほんの一例です。
慎也は、残念ながらこういう結果になってしまいましたが、元気に退院された方もいらっしゃいます。
今、闘病真っ最中の方がこれをご覧になっても決して悲観なさらないでくださいね。」




白血病についての詳しい説明、治療法などについてはこちらへ



98年11月〜99年3月  99年4月〜5月  99年6月〜8月  99年9月〜10月

子どもの長期入院に伴う問題点


 98年11月〜99年3月 


11月16日

慎也に貧血症状が見られる為、近くの総合病院で診てもらいました。
そこで採血をした結果、「白血病の疑いがあるのですぐに入院してください」と、言われたのです。
私は、「え〜、今何とおっしゃいました???」状態でした。
白血病というものは、血小板減少による症状が見られるものだとばかり思っていたので、
慎也の場合は全くそういうものもなかったし、白血病のはの字も疑っていませんでした。
つい最近まで、プールでも元気に泳いでいたし、運動会の時もあんなに元気に参加していたのに・・・。
なんで〜?うそやろ?慎也が白血病?でも、それは事実なのでした。
こうして、慎也の闘病生活が始まったのです。



11月17日

この病院では手に負えないらしく、別のS病院へ救急車で転院しました。
なんかついこの間のことのようでもあり、随分前のことのようにも感じられます。
そのS病院の看護婦さんに、「同じ病気の子たちもみんな元気になって退院して
いってるから大丈夫ですよ。いっしょにがんばりましょう。」と言ってもらって、
どん底の精神状態の中で少し希望が見え、とてもうれしかったのを思い出します。



11月18日〜1月5日

◆S病院での慎也◆

この頃の慎也は、とにかく不安と恐怖心でいっぱいでした。いきなり入院させられ、
マルク(骨髄穿刺)にルンバール(腰椎穿刺)に輸血と、訳もわからないまま恐いことをされ、
おまけに翌日には、救急車で全く知らない病院に連れて来られたのですから無理もありません。
S病院に移って間もない頃私と主人は、慎也一人を病室に残して、別室で今後の治療方針などの
説明を受けていたのですが、かなり時間がかかってしまい、一人でいる慎也のことが
心配になった主人が一足先に病室に戻ってみると、慎也はベッドから降りてコンセントが届く
ぎりぎりのところまで点滴を引っ張り、病室のドアから顔を出して泣いていたそうです。
きっと、一人ぼっちにされて不安で仕方なかったのでしょう。
しんちゃんごめんね・・・。私も、あの時のことは忘れられません。

この頃は、先生や看護婦さんのことも恐がってしまっていました。
何も本当に先生や看護婦さんが恐い人だったのではなく、
また何か恐いことをされるんじゃないかと、そちらの方を恐がっていたのです。
大学病院に移ってからは、先生や看護婦さんともすっかりお友達になっていましたが・・・。
でも、S病院でも唯一、看護学生のTさんには心を許していて、よくいっしょに遊んでもらっていました。
Tさんも今頃は、どこかの病院で一人前の看護婦さんとして働いていらっしゃることでしょう。

それと、この時期はプレドニンを服用していた為、ものすごい食欲で、朝、昼、晩と
病院の食事も全部食べて、それでも足りなくて間食におにぎりなどを食べていました。
慎也があんなに食べられたのはこの時期だけでした。プレドニンには、
食欲が増すという副作用があるのです。これには、ほんとにびっくりさせられました。

あと、ここでも化学療法を1クールしたのですが、抗がん剤の副作用を予防するために
たくさんの水分を入れるので、肺に水が溜まったり、
心臓が肥大したりして、よく、胸が苦しいと言っていました。
抗がん剤の副作用といえば、白血球の減少も大きな問題なのですが、それに伴なう
感染症を予防するために、とても飲みにくい数種類の薬を飲まなければなりませんでした。
これには親子共々最後まで苦労させられました。

私自身、病気の宣告、知らない病院での入院、初めての化学療法と、何もかもが不安でした。
この病院には慎也と同じような病気の子は少なくて、そういう子のお母さん達との交流もあまりなく、
病室もずっと個室だったので、なんだか孤独な気分でした。

それと、慎也は移植をすることになっていたので、ここで、私たち家族のHLA(白血球の型)の
検査をしました。そして、結果はお兄ちゃんが慎也とぴったり合っているということでした。
できることなら、私か主人のどちらかが合っていて欲しかったのですが・・・。
でも、一人でも合っていたということはとてもありがたいことです。
こういう結果が出た以上、お兄ちゃんにがんばってもらうしかありませんでした。



 1月6日

移植をするため、S病院から大○大学付属病院へ転院しました。
S病院で化学療法を1クールしていたので、白血球も減少していて年末から熱もあったため、
予定通りに転院できるのかと心配していましたが、なんとか無事にすることが出来ました。
入院して以来、ほとんど病室から出られなかったので、まともに
歩くことが出来なくなっていました。(その後歩く練習をして、すぐに元に戻りましたが)
大学病院に着いて、車を降りてから病棟に行くまでの間、私が抱きかかえるようにして
ゆっくりと歩き、やっとの思いでたどり着きました。S病院では
ずっと個室でしたが、大学病院では4人部屋だったので、ちょっとびっくりでした。
皆が同じような病気なので可能だったのでしょう。新しい病院へ変わるということで、
少し不安もありましたが、お母さん方もみんないい人ばかりで安心しました。
これから、移植に向けて本格的な治療が始まりました。



1月18日

S病院で入れたIVH(中心静脈カテーテル)が詰まって使えないということで、
入れ直しの手術をしました。全身麻酔をするので、例え一回分でも痛い思いをしなくてもすむように、
麻酔の効いてる間に、マルク(骨髄穿刺)とルンバール(腰椎穿刺)もいっしょにしました。
本当ならとっても痛くて辛い検査です。慎也は、この検査があると聞いた日は
朝から元気がありませんでした。検査の中でも一番苦手でした。
翌日から化学療法が始まるので、点滴の量が一気に増えました。尿酸による腎臓障害や、
出血性膀胱炎を予防する為です。そうすると、夜寝てからも1時間に1回は
おしっこのために起きます。これは、私達付き添いにとっても結構大変なことでした。
水分を入れ過ぎると、心臓や肺に負担がかかってしまうので、
入れた量に対しておしっこが少ないときには、利尿剤を入れておしっこを出させます。
ほんとに化学療法は、副作用との闘いでもありました。



1月26日

白血球減少による保護隔離のため、個室に移りました。



2月3日

先生と看護婦さんが鬼に扮して、豆まきもどきをさせて下さいました。
慎也は、この様な病棟行事をとても楽しみにしていました。

あと病室では、テレビやビデオを見たり、ファミコン(64)やゲームボーイをしたり、
その他のいろいろなゲームや、折り紙、工作、お絵描きなどをして過ごしていました。





3月15日

個室での化学療法を2クール終了し、4人部屋へ移りました。
移植前処置が始まるまでの約2週間を、ここで元気に過ごしました。
慎也は、フィラデルフィア染色体陽性ALL(9番染色体と22番染色体との間の相互転座によって
生じる染色体異常で、これによってガン遺伝子が活性化される)でハイリスクタイプだったので、
小児白血病の治療プロトコールの中でも最強の治療をしなくてはなりませんでした。
この染色体異常は、生まれつきではなくて突然変異なのだそうです。
そして、この突然変異が病気の原因になったと考えられると聞かされました。
この2クールの間、口内炎やちょっとした傷から感染を起こしたらしく、熱も出ましたが
なんとか無事に終了しました。26日に頭蓋照射が始まるまで、治療は少しお休みです。



3月19日

4月9日の骨髄移植に備えて、ドナーになるお兄ちゃんの1回目の自己血採取をしました。
週1で計3回、200ccずつ採取するのです。移植当日は、1リットル近くの骨髄液を
採取するので、ドナーが貧血になってしまう為、前もってドナーの血液を採取して置き
当日に戻してあげるのです。最初にこの話を聞いたときは、ほんとに大変だなぁ、
お兄ちゃんもかわいそうだなぁと思い、なんだかとっても不安になりました。でも、慎也のために
がんばってもらうしかなく、どうぞ二人とも無事に移植が済みますようにと願うしかありませんでした。
幸か不幸か、お兄ちゃんは小さい頃から何度か入院経験もあり、注射や採血やその他の痛いこと
にも慣れていたので、不安な気持ちを抱えながらも、がんばってくれました。
当時9歳だったお兄ちゃんにとっては、ほんとに大変なことだったと思います。
自分ががまんしてがんばれば、きっと慎也は元気になれるのだと信じていたのでしょう。
お兄ちゃん、ほんとにありがとう。感謝しています。



3月21日

慎也が最初で最後の外泊をしました。
わずか一泊の外泊でしたが、私の記憶の中には鮮明に残っています。
あの日は、季節はずれの雪が降っていてすごく寒かったので、風邪をひかせないように
とても気を使いました。慎也も入院以来4ヶ月ぶりに家に帰って来たので、
最初は少し戸惑っていたようにも見えましたが、すぐにお兄ちゃんと64をやり始めたり、
慎也のお気に入りのブロックで遊んだりしていました。食事は、慎也のリクエストだった
すき焼きとクリームシチューでした。「おいしい、おいしい」と言って、たくさん食べてくれました。
病院ではあまり食欲がなかったのですが、家でみんなと好きな物を食べたら
こんなに食べれるんだと、改めて実感しました。
これが家での最後の時間になるなんて夢にも思ってなかったので、これといって感傷に浸る
わけでもなく和やかに過ごし、次の日の夕食を済ませてから、家族4人で病院へ戻りました。
そして、私と慎也は病院に、主人とお兄ちゃんは家へと帰って行きました。
また家族ばらばらの生活が始まるのだと思うと、とても寂しい気がしました。
きっと、それぞれがそう思っていたことでしょう。



3月26日

移植前処置(大量の抗がん剤や放射線によって自分の骨髄を破壊する)が始まりました。
今日は、頭蓋照射をしました。
私は、頭に放射線を当てるということに、とっても抵抗がありました。
絶対に必要なのですか?と、何度も主治医の先生に聞いたのですが、慎也の場合は
発病時に、髄液の中にも少し白血病細胞があったので、いろんなリスクを天秤にかけても
頭蓋照射はするべきだと言われ、仕方なく承知しました。
いくら悪い細胞をやっつける為とはいえ、ほんとに辛かったです。

お兄ちゃんの2回目の自己血採取をしました。今日も200ccを採取しました。
要領は、献血の時と同じです。



3月29日

2回目の頭蓋照射をしました。



3月30日

この日から3日間、TBI(全身照射)をしました。
はっきりとした時間は覚えてないのですが、結構長い時間、誰もいない部屋に一人で
絶対に動かないでじっとしていなければなりませんでした。
どんなに不安だったことでしょう。家から持ってきた「ポケモンベストコレクション」のCDを何度も
聞きながら一人で耐えていたのです。私は、その間ず〜っと部屋の外で待っていましたが、
どうしてるだろう・・・とか、大丈夫かな・・・とか、ほんとに落ち着きませんでした。
この病気になるまであんなに健康で元気だった慎也の体が、抗がん剤や放射線によって
毒されていくということが、私にはものすごく辛いことでした。
その頃私は、なんでこんな病気になってしまったのだろう・・・と、
かわいそうで悔しくてたまりませんでした。そして、
この子のことは、どんなことをしてでも守ってあげるという思いでいっぱいでした。