【2】ラムが地球に住みだしてから面堂登場までのしのぶとあたる

ここでは、ラムがあたると同居をはじめてから、面堂が登場するまでの時期のしのぶとあたるについての考察をおこないます。

 

(1)ふたりの心情の変化は?

 

 

この時期のあたるとしのぶは、なんとかして会おう、一緒にいようとするが、ラムに邪魔されることによって誤解すれ違いが生じてしまい、それが原因で会うことや一緒に居続けることができなくなるというような話が続きます。このことから、外面的にはラム同居開始前と状況が変わっていると言えます。

しかし、そのようなことがあっても、それで仲が壊れてしまうのではなく、再び苦労して何度も会おうとします。そのことから考えると、心情面ではお互いに相手のことを一番好きに思っているという、ラム同居開始前の状態からそれほど変わっていないように思えます。むしろ邪魔されることによって一時的には強まってさえいると思えるところもあります(【1】の※2と関連)。けんかをするのは、好きな気持ちが薄れたからではなく、むしろ好きだからこそ余計にそうなるのだといえるでしょう。

ただよく見ていくと、はじめの頃はそのとおりだけれども、それが持続し続けているわけではない気がしてきます。面堂登場の時に大きく変化していることははっきりしていますが、それ以前から変化がはじまっている(つまりはふたりの心が徐々に離れていっている)のではないかと思えてくるのです。たしかにはじめの頃はふたりのお互いに対する気持ちが強く感じられますが、それが徐々に薄れていっているような印象がするのです。面堂登場はそのとどめのようです。

もちろんそれはずっと薄れていく方向に流れていっているわけではなく、時々、再び気持ちが強まる場面もあります。行きつ戻りつもだんだんとといった感じでしょう。

以下でそのことについて詳しくみていくことにします。

 

<>話の順番について

 

ところでサンデーコミックスでは、話の順番がサンデーで掲載された順番とは異なっているところがあります。そのため、サンデーコミックスの順番で読むと、おかしなところがいくつか出てきます。目立つところでは、面堂登場の時にいなくなったはずの原作メガネ(便宜的にそう呼ばせていただきます)たちが突然出てきたりというような例があります。

そして、特にあたるとしのぶの心情の変化にこだわった場合、大変おかしなところがあることに気付きます。コミックでは第6話「愛で殺したい」のすぐ後に第9話「憎みきれないろくでなし」があるわけですが、それではしのぶの言動が多少おかしなことになります。あたるに対する疑惑を口にし、あたるに対して冷たい態度をとりますが、これは第7話「お雪」、第8話「酒と泪と男と女」での出来事があったからと考えると納得できます。

このようにこだわる場合は、ワイド版・文庫版の順番(ここではサンデーで掲載された順番と同じ ※1 )で考えるべきでしょう。

 

(2)あたるの場合

 

はじめの頃には、あたるのしのぶへの激しい思いが感じられる場面がいくつかあります。例えば、第5話「愛で殺したい」では、「たとえ死んでもしのぶにあうのだ !! 」とまで言い、ラムの激しい妨害にもかかわらず必死に(ほぼ文字通り命がけの状態で)しのぶに会おうといたします。

ところが、そういう状態がだんだんと見られなくなっていきます。先に述べたように、けんかが多くなったということでは、気持ちが変わったからということにはなりません。そうではなくて、どうも冷めたというか、どことなく必死な面がなくなってきているような気がするのです。

頑張ってもしかたないという気持ちや、妨害に逆らうことに疲れたという面もあるかもしれません。しかしあのあたるのいざという時の凄いパワーのことを考えると、それに屈してしまうということ自体が、気持ちが薄れてきた証拠ではないのかと思います。はじめの必死さが凄かっただけに余計にそう思えます。

では、なぜ気持ちが薄れてきたのか、その原因は何なのでしょうか。

ラムに気持ちが移ってきたというのは少し早すぎると思います。この段階ではまだラムを好きにはなっていないと思います。その片鱗というか、原型のようなものはこの時期に芽生えつつあるようには思えますが ※2 、しのぶへの気持ちを薄れさせるものまでにはなっていないように思います。しのぶへの気持ちが薄れてきたところに、ラムへの気持ちが入っていった感じではないかと思います。

次々と現れるようになった美女たちへの興味のためだという考えはどうでしょうか。たしかにその要素はかなりあるとは思います。ただ、それを主な原因とするのは違うのではないかと思います。新たな女性に興味を持ったといっても、それはあくまでその時だけです(クラマは少し事情が違いますが、それはかなり事態が進んでからの話でしょう)。一時だけのことなのに、はじめに書いたほどのものであるしのぶへの思いを大きく薄れさすものだとは思えないのです。

それでは、しのぶへの気持ちが薄れていった主な理由とは何なのでしょうか。私はしのぶの理不尽な怒りが自分にふりかかるようになったことが挙げられるのではないかと考えています。ラムとの同居開始以後、あたるはしのぶからの怒り(叩かれたり物を投げられたりするなどの力での攻撃も含めて)を受けることが多くなりました。それが結構身にしみて、そういうしのぶが気にいらなくなりはじめたのではないかと考えているわけです。

それを裏付けるかのように、一時だけですが、ラムだけでなくしのぶからさえも逃げようとする場面があり、しかもその時にはしのぶさえも嫌がっているような台詞をはいています。サクラと会った時や、おユキと会った時です。特におユキの時はしのぶの目の前なうえに、「やっぱりおユキさんがいい!おまえらとちがってしとやかだからな!」とまで言ってしまっています。一時の感情のためにそういったとも考えられるのですが、どうもこの時は本気でそう思っている部分があると私は感じてしまいます。後のラムの場合も似たような場面がよくありますが、それはあたるのラムに対する態度の特殊性をあらわしていて、それとは少し違うように思います(うまく説明できなくてすみません。いずれ詳しく考察できれば良いのですが…)。

おそらく以前からしのぶからの怒りを受けることはよくあったと想像されますし、実際にそういう場面もあります。だからそういうことではこたえないはずだと思われるかもしれません。しかし、頻度はあがっていることでしょうし、怒り自体も激しくなったでしょう。そして理由が必ずしも自分のせいばかりとは言えないことで、怒りを受けてしまうことがたびたびあります。それらがこたえて、嫌になってきたのではないかと考えるわけです。

そうだとすると、しのぶがあたるに対して怒ったりすることが良くなかったということになります。しかし、しのぶが怒るのもしかたないがないことだし、それどころか当然なことのように思えます。やさしくするのは不適切なことだと思います。けっして憎しみのためではないですし。そう考えると不運だとしか言いようがないです・・・。 ※3

 

(3)しのぶの場合

 

すでに何度か述べているように、あたるに怒りをぶつけること自体は、気持ちが薄れてきたことにはなりません。たびたび、あたるを見限ったのかのような言動をとることがありますが、すぐにもとに戻ることを考えれば一時的なものではないかと思います。いわばこれも怒りの一種なのではないでしょうか。むしろしのぶのほうがあたるよりも気持ちが持続しているのではとさえ思えます。

ただやはり徐々に気持ちが薄れていっていることには変わりはないのではと思います。同じような態度でもちょっとずつ様子が変わっているような気がします。どうも怒りかたが変わっているように感じます。先ほど、あたるに怒りをぶつけること自体では気持ちが薄れてきたことにはならないと書きましたが、この怒りかたの変化は気持ちが薄れてきたことになるように思います。うまく表現できないのですが、だんだんと嫌がっているような雰囲気の怒り方に変わっていっているような気がするのです。なんだかだんだんとあたるに対する不満がたまっているように感じられ、それが態度に出ているような気がします。(それが面堂登場の時に一気にふき出した気がします。)

なぜ、そのようにあたるに対する不満が出てきたのでしょうか。もちろん、すぐにいろいろな女性に次々と言い寄ることや、あきれるような行動をとることが影響しているとは思います。しかし、私にはそれだけが原因とは思えないのです。あたるは以前からそういう人であったと思われるからです。それが激しくなったので、今までは耐えられていたけれども、とうとう限界に達してしまったとも考えられます。私はたしかにそういう面もあるだろうけれども、激しくなったということだけではまだ、主な原因にするには不充分に思うのです。あたるにつれてしのぶもたくましくなっているように思え、そうするとそのぶんしのぶの限界も高まるはずだと思うからです。(そう思うのは私が激しくなったということはそれほど大きな変化ではないと思っているからなのでしょう。特にこのあたりのことは意見が分かれるところかもしれません。)

それでは、私が考える一番の理由は何なのかというと、それは、「あたるが自分からラムへ心変わりをしたのではないか、自分への思いが薄れたのではないか」という疑惑を感じるようになったからではないかと思います。しのぶには、自分のことを大切に思ってくれる人、やさしくしてくれる人に強く惹かれるところがあるようにいろいろな場面から感じられます。だから、このことは大きなことなのです。

なお、この時期はあくまで疑惑であって、信じつつも疑問に思うことがあるというような迷いの段階といったところでしょうか。この時点ではその疑惑ははっきり言って誤解でした。(2)で書いたように、少なくともまだこの段階ではあたるはまだラムのことを好きになってはいいと思われます。しかしやがては本当に・・・。

 

(4)まとめ

 

上記のことを考えていると、決して相手をないがしろにしたわけではなく、むしろ大切に思って行動したのに、それがうまく行くどころか裏目にでてしまうことが多いことに気付きます ※4 すれ違いというところでしょうか。このことは、ラムの妨害が直接的にではなく、間接的に効いていったとも言えかもしれません。

また、どうやら心情の変化はあたるとしのぶではそれぞれ別個に働いているようです。しかし、お互いに影響しあっているようにも感じられます。おそらく、一方が気持ちが薄れていくと、もう一方も気持ちが薄れる方向に行ってしまうようというような感じなのでしょう。それは【1】の※9で触れたように、ふたりとも相手から特別視されるとそれに応じてますます相手のことを思うようになるところがあることが影響していると思います。愛情が深まる時はプラスに働いたのが、薄まる時にはまったく逆に作用してしまったのではないでしょうか。

そう考えると、むしろふたりの仲は長続きしたほうではないかとも思えてきます。それは、10年という長い間つきあっていたこと、それほど仲が深かったこと、妨害にもかかわらず必死に行動したことのためではないかと思います。しかしそれでも結局は・・・。

今まで長々と書いてきましたが、簡潔に書くと、この時期のあたるとしのぶは、まだふたりともお互いのことを一番好きに思っていることには変わりはないけれども、それが徐々に少し揺らぎはじめている状態ということでしょう。そういう状態の中で、面堂が登場し、いよいよ大きな変化がおこることになるのです。それについてを、次の【3】で考えていきたいと思います。

 

<補足>ラムの行動について

 

ここで少し触れておきたいのはラムの行動についてです。

この時期のラムの行動は、かなりひどいものです。いくらあたるが好きで、あたるがしのぶとつきあうのが嫌だからといってもやり過ぎです。ラムの行動によってあたるとしのぶはかなりの被害を受けてしまいますが、ラムはまったくといっていいほど気にしていません。まるでしのぶはもちろんのこと、自分が好きなはずのあたるまでをも困らせるためにやっているかのようです。

ただここで考慮に入れておかねばならないことがあると思います。それは、ラムは自分自身の行動がどういうものなのか、どういう影響をもたしているのかをわかっていない可能性が高いことです。もしわかってやっているとしたなら、かなりひどいことです。しかし後の話を見ていくと、とてもそのようには思えません。たしかに良くないことをすることはあるかもしれないけれども、進んでひどいことをどんどんとするような人物ではないと思います。

おそらくラムは自分がしていることがどういうものなのか、どういう結果をもたらしているのかをほとんど理解できていないのではないかと思います。むしろ本人は、人のために、あたるのために一生懸命やっていて、またそうなっていると思いこんでいるのではないでしょうか。ずっと見ているとそう感じられるのです。

わかりやすい例がランに対しての行為です。ランはラムによって何度もひどい目に合わされますが、何もランを困らせるためにやっているのではありませんでした。そして、ラムはランにそれほどひどいことをしたとは思っていないようです。おねしょの罪をなすりつけるなどのひどい例(第59話「思い出危機一髪…」)もありますが、自分が怒られるのが嫌だったため(それも良くないことではありますが、起こられたくなくてつい…といことは誰しもあるこだと思います)で、直接ランを困らせるためにやっているわけではありません。それどころかむしろランのために一生懸命やっていることも多いのです。ただ、それがいつも裏目に出てしまうのです。それらのことは第273話「風邪見舞い」ではっきりわかります。それ以前の話からも何となくそう感じることもできるかと思います。 ※5

さらにしのぶに対してはそれに加えて、しのぶに対する誤解もあった可能性があります。あのあたるの結婚発言を自分に対するものと勘違いするほどなので、少なくとも鬼ごっこの時はあたるとしのぶの関係に気付いていなかったのではないでしょうか。そうなるとラムのほうが先ということになり、あたるがしのぶとつきあうことは“浮気”になってしまいます。しのぶについてもしのぶのほうが自分を邪魔しているとさえ思っていたかもしれないです。

※6

 

 

 

 

※1

実はワイド版・文庫版もサンデーで掲載された順番と違っているところがいくつかあります。数回にわたる話の時に、話の途中で巻が分かれることを防ぐために順番が変えられているようです。サンデーコミックスも同様で、1巻あたりの話数が少ないため、ワイド版・文庫版より多いです。

ただ、本文にも書いたように、ここではワイド版・文庫版の順番はサンデーで掲載された順番と同じです。この頃はまだ数回にわたる話はないわけですから。

しかし、それではなぜこの時のサンデーコミックスはサンデーで掲載された順番と変えられたのでしょうか…。いずれ考察したいと思います。

 

※2

第11話「大勝負」、第16話「幸せの黄色いリボン」あたりでそういうようなところが見られます。特に第16話「幸せの黄色いリボン」では、原作メガネ・原作チビからラムを守ろうとまでしました。また、第18話「さよならを言う気もない」では分裂した片方はラムと暮らしたがります。この場合は地球の生活から離れられるという面があるので、ラムのためというわけではないと思いますが、そういう要素がなかったとは言えないかもしれません。

このようなところがあるので、本当は早めにそう決め付けるのは危険で、もっと詳細に検討する必要があるのかもしれません。ただ、しのぶに対してのものより弱いのは確かだと思いますので…。

 

※3※4

このようなことは、他の場面でも見られることがあります。また、留美子先生の他の作品でも見られます。留美子先生お得意のものなのでしょう。

また、「うる星やつら」においては一時的に大変なことになっても結局は八ッピーエンドになりますが、他作品の場合はそうはいかずに悲劇になってしまうこともあります。言い換えれば、このようなことは深刻な事態に陥りかねないものであったということになります。ただ「うる星やつら」でそれをやってしまえば、雰囲気が壊れてしまいます。それゆえ他作品で描いたとも言えるかもしれません。

 

※5

ランはしばらくこのことに気付いていませんでしたが(うすうすは気付いていた気はします。そうでなければとっくに縁を切っていたと思います。)、その第273話「風邪見舞い」で気付きました。

あたるもランと同様で、はじめは気付いていませんでしたが、やがて気付いたのだと思います。それはランよりもずっと早いことであり、まさしくその時があたるがラムを認めた時なのだと思います。詳しくは【3】で。)

それではしのぶはと言われれば…。基本的にしのぶも同様な気がしますが、ふたりの関係は結構微妙なものなので、そのことと一緒にじっくり考えてみる必要がある気がします。

 

※6

だからと言ってそれで良いのか、許されるのかという問題はもちろんあります。良いか悪いかと言われれば、実際に被害を受けている人がいる以上、悪いに決まっています。しかし上に書いたような事情があるわけで、簡単にそう断罪するわけにはいかないと思います。良いところと裏返しという面もありそうですし。

要は徐々に自分が行っていることの意味を理解させれば良いのですが、急に下手なやりかたでそうしようとすると、第59話「思い出危機一髪…」のラストのようにかえって良くないことになりかねません。何とも難しいところです。

ただ、あたるとのつきあいを中心とした地球での生活で、段々とうまい具合にそれがなされているようにも思えます。そういう意味でも、あたるに出会ったのはラムにとって本当に良かったことなのだと思います。

なんか結論めいたことを早々と書いてしまったような気が…。

 

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