written on : 2007/07/23 
>> 「小学生の英語必修化についてどう思われますか?司馬センセー」

のおおおおおお!なんてこった!このお題だと真面目になっちゃうよ!

アホいテキストをぐだぐだつらつら書き続け早7年近く…数えると何万文字になるのだろうか。ミリオンな数のアホいテキストである。もしかしたらビリオンかもしれない(うそ)。
7年とは…すなわち、365日×7年であるからして、チリも積もって途方もなく長い期間ネットにアホを垂れ流してきたのである。アホなテキストと言え、ここまでくるとなんとなく立派だ(そうか)。


ええと、そんなウン●臭いアホテキストばかり身を削るように書いてきた司馬ですが。
実はほんの数回だけ非常に真面目だった事もありました。当時は「こ…こ…こ…こんな事があっていいのか?!」と自分の真面目っぷりに慄いたものです…ですが、こないだ改めて読み返してみたらあんまり真面目じゃなかった事が判明。え、なにそれ。いやいや、割合と真面目っぽい、レベル。つかフォントで太字使ってないから何か真面目っぽい、レベルでした。真面目=なんらかの羞恥プレイ、と認識してる司馬にとって、アレが限界だったのだろう。チキンめ。


で、だ。
前置きがいつものごとく長いのだが、つまり言いたい事ってのはですね、つまりですね、割合と真面目っぽい司馬ってのは英語に関する事を書いた時に発生する、です。英語に関するって言っても普段の授業とか生徒との掛け合い(漫才か)あたりは至ってアホ。英会話・英語全体に関する意見を書くとどうやら真面目っぽくなるらしいのです。7年の間に数回だけ起こった真面目ッポが、それが今ここで起こりそうなのです。月食とか日食とかより稀有な事態なので我ながら深呼吸が必要。


長くなりましたが、ようやっと落ち着きました。
こっからは真面目ッポで書いていきますんで「そんなバカな…司馬からアホを引くと何も残らんのに」とお思いの方はそっと引き返してやって下さい。読んでやっぺ、と思われた方へ。日本の教育における英語・英会話のあり方は日々変化しています。司馬も日々年を取って考え方や思う事も変化していくと思われます。従ってこれから司馬が書くことは2007年7月現在での意見である事をご了承下さい。





■ 2007年7月現在、小学校における英語の導入量は学校によってかなりの差がある。
■ 私立・公立ともに歌やゲームなどを通した英会話が主である。
■ 今更ですが改めて、司馬は子ども向けの英会話講師を7年やっております。


さて、小学生の英語必修化についてどう思うかと問われると、賛成か反対か、と言う事であろうか。
そういう意味から論ずると基本的に賛成、と答えます。英語は世界共通語だから、とか、これからの子どもたちには必要だから、とか、そういう観点からではなく、ただ単に「人生やって損な事はなにひとつない」と司馬が個人的に思っているからです。どんなしょうもない事であっても、失敗に終わっても、傍から見たら下らない事であっても、ムダな事はなにひとつないと。あらら遠回りしたなァ、と思う事はあっても全く無意味な事ってないと思うのよ。


だから基本的には賛成。
「へー、英語ってこんなモンなんかい」とか「ほほう、面白そう」とか思う人はその後の人生で深く関わっていけばいいと思うし、反対に「うへ、興味あらへん」とか「自分には要らん」と思う人はまあそれなりのお付き合いをしていけばいいと思います。


基本的には、と前置きがあるのは100%賛成と言えない部分もあるから。
今の公立小学校は言わずもがなで週休2日制。ゆとりの時間やらパソコンの時間やら図書の時間やら、主要科目+副教科以外のカリキュラムが多い。図書の時間って何やのソレ、読書ってプライベートな時間でするモンでは、と頑固でぬか臭い昭和産まれの司馬は思うけど、まあいい。とにかくそこへ英語が割り込む訳です。つまりカリキュラムがますます厳しくなる。どんなけキツイかって言うと、公立小学校の話だけですが、昭和っ子が小学2年で習ってた事を今の子は小学4年で習ってる、とか。そんぐらいカリキュラムが押す訳です。ゴリゴリと押されて履修しないまま中学校に上がる。だから中学校がキツイ。生徒だけじゃなく先生もべらぼうにキツイ(カリキュラムに追われるしんどさは身に染みて解る)。そういう意味では後先考えずに良かれと思って小学校でアレコレと必修科目を増やすのはどうかな、とも思う訳です。

また、小学校における英語の授業は英会話が中心。
歌やゲームや簡単なやりとりをメインとした楽しむ存在。しかし中学校に入った途端、ギュンと受験の為の文法英語になる。小学校で「英語って楽しい」と思ったとしても中学校になったら「アレ…難しい」と。中学校においての英語は高校受験用のテストでしかないから文法レベルを下げる事は出来ないし。この多大なるギャップをなくさない限り小学校でいくら楽しい英会話を取り入れたところで「???」と思わざるを得ない。と言うか、小学校で英会話を取り入れる意味が見えない。

しかし英語教育の必修化は始まったばかり。これから長い長い時間を費やして英語教育ってのは改革されてゆくのでしょう。とりあえず言える事は、今の子どもたちはその過渡期なのでどうにも中途半端だと。




…と言う意見は非常に無難で一般的。

↑はまごうことなき本音でもありますが、もうちょっと腹割って書いてみよ。
そもそも必修化とはなんでやの、という所から考えてみる。必修、とはつまり義務であり、小学校に通う子どもたちがみなすべからく受けねばならぬ事を指す。小学校6年、中学校3年、合わせて9年の義務教育期間、英語に触れ続ける訳です。長い。長いと思う。その後、高校・大学と英語に関わるならば人生のほとんど英語を学び続けるって事で。長い。長ッ。興味がない、と割り切った人には地獄だと思う。



ではなぜ必修化するのか考えてみる。
単純に多くの人が「これからの社会に英語は必要だ」と思っているから。必要、ってのはかなり強い言葉である。数学が必要、理科が必要、体育が必要、って思う人は少ないのに英語が必要と思っている人はとてもとてもとても多い。司馬が接する生徒たちの保護者も体験レッスンにやってくる親たちもみな口をそろえて英語が必要になるから、と言う。特にこれといった確固たる根拠はないにも関わらず、多くの人がある種洗脳されているかのごとくそう言う…のが司馬には不思議でならない。


だって必要ってホントに強い言葉である。
必ず要する、って事だから、つまり生きていくうえでそれがナイと非常に難儀するって事で。何十年先の未来がどうなるのかなんて司馬には計り知れませんが、よほどの事がない限り日本国民がすべからく英語を必要とする時がくるとは思い難い。とりあえず現在と予想しえる近未来を想定して考えるに、司馬としては「英語は必要か」と問われると「ノー」と答えます。

なぜかって、とりあえず周囲を見渡して下さい。
日常生活で、仕事で、英語を使う必要性のある人がどれぐらいいるか。英語が出来ない事によって日々不便を感じている人がどれぐらいいるか。あんまりいないと思います。世論はぶわーっと国際化に傾いていますが、今も昔も結局のところ、英語が出来ればいいなァかっこいいなァ便利っぽいなァ色んな可能性が広がりそうだなァ、という感じじゃないでしょうか。


英語産業に就きたいと思っている人ならともかく、それ以外の人にとって英語は必要なものではなく余暇に楽しむ趣味の一環でいいと思います。ピアノとかスイミングとかソロバンとか空手とか、将来必要だからやってる訳じゃないはず。英語だってそういった習い事と同じだと思います。



ここまでの司馬の意見として、

■ 必修化には基本的に賛成だがカリキュラムの見直しが必要である。
■ これからの社会で英語は必要!だとは思えない。



必要性で言えば「ノー」と答えましたが、現実的に英語を身に付けている方が将来的に就職面で有利じゃないかと問われると「イエス」と答えます。けどそれは英語だけに限らず、ピアノであれスイミングであれソロバンであれ空手であれ、なんらかのスキルを身に付けていれば、そりゃ何も身に付けていない人と比べて有利だと思うからです。ただ就職の面で考えると、「英語OKです」という人よりも「ワードとエクセル完璧です」とか「バランスシート余裕で書けます」とか「営業トーク任せて下さい」といった人の方が需要が高いので雇用先の間口がはるかに広い。英語を身に付けているから就職が特別有利だとは言えません。

英語できます、と聞くと「おお!引く手あまた!高給取り!」みたいなイメージがある。
だが実際問題、ぜんぜん引く手あまたじゃないし高給取りじゃないです。いや、ネイティブ並にできますな人は引く手あまたで高給取りですが。だけどそこまでのレベルの人は湧いて溢れるほどいる訳じゃないので、ここでは司馬のように中途半端なレベルの人を取り上げよう。


英語で食っていけるのは一部の人である。
英語関連の仕事が世の中にどれほどあるか。意外に多くはありません。通訳や翻訳、講師といったメジャーな職種ではまずもって固定給を望めません。歩合だったり時給のアルバイトだったりがほとんど。
そして昔と違って留学が珍しくない今、司馬のように中途半端に英語を身に付けた者は掃いて捨てるほどいる。たかだか英語、世界一簡単な言語と言われているとはいえ、安定した職を得るレベルまで身に付けるのは容易くない。いったん時間と金をかけて留学したら、そう簡単に後戻り出来ません。とことん頑張って身に付けるか、さっさと諦めて帰国するか、の2択。アホな司馬はなんも考えずにたいして頑張らんとダラダラ居座り続け、「日常会話はできるよ」なんていう恐ろしいほどの半端レベルで帰国。そして帰国してみれば日本は就職氷河期真っ最中。


半端レベルの英語と氷河期のダブルコンボで職がない。
半端者の司馬が英語系の職を得るのは厳しい。それにバイトでは生活がキツイので英語系を無視する事にしました。だが新卒でもない司馬がいきなり飛び込みで事務職を受けても米国大学卒の肩書きが邪魔をする。面接できまって言われるのが「ほほう…英語ができるんですか…すごいですなァ…でも、ウチでは要らないスキルですので英語系の職に就かれたらどうですか」。アウチ、あいたたたたたた。


英語を手段として仕事をする事が難しい者が取る道はひとつ。
そう、英語そのものを教える、である。英語を使って仕事をするのではなく、英語を仕事にするのだ。教職を取っているとまた違うんですが、そんなステキな免許のない司馬。そんなこんなで民間の英会話学校に就職。半端レベルだけど肩書きのおかげでサックリと採用……事務職ではあんなに足を引っ張る存在だったのに、複雑なモンだ。しかしアルバイトである。時給のアルバイトではやはり食っていけない。固定給の仕事に転職をしたいのだが今更方向転換をするのも厳しい。仕事の合間にちゃんと何らかの勉強をすれば良いのだが司馬は怠け者です。勉強しようかな、と思っても気付いたらゲームとかやっちゃってて。紆余曲折があって、今は運良く固定給の講師職をもぎ取れました。が、それも契約社員なのでいつまでやれるか微妙。




なんだか司馬のヘタレで哀れな人生語りになりつつありますが。
何が言いたいのかと言うと、くどいですが英語はとことん突き詰めたレベルまでやらないと安定した職を得るのが難しい。つまり小学校から必修化(必要化)する意味はほとんどない、と思います。それよりも需要の高い簿記とか会計とかパソコンとかを必修化するほうがよほど将来性があるかと。しかしまあ世の中なにが起こるか解りませんし、色んな経験が人生の肥やしになるもの。やっぱ「人生やって損な事はない」のだと思います。司馬も後悔はしてません。米国滞在期間は山あり谷あり崖っぷちありでしたが振り返ると面白かったです。とりあえず食っていけて、んで余暇にゲームが出来れば司馬はそれだけでそりゃもうハッピーなのですから。



司馬の最終的な結論。

■ 中学校から英語は必修じゃなく選択制にしたらどうかな、と思う。
■ 英語系の安定した就職は大変なので、進路に英語を選んだ人は頑張って。
■ でもやっぱ「人生やって損な事ってない」と思うよ。
■ 司馬さんはゲームがあれば人生ハッピーだそうだ。

>> THANK YOU
184000のお題でした。

ごくごくごく稀に発動する真面目な司馬でお送りするハメになりましたが、どうだろうなァ、コレ。ってのが自分での感想です。読む人が不快に感じないよう、なるべく独断的な極論は避けてオブラートで包もうと思ったんですが、読み返すとどうにもこうにも…。「そりゃ違うだろう」とか「同感できない」などなど、ご意見は様々だと思いますが、いちヘタレ英会話講師の青息吐息なささやきとして見逃してやって下さい。

ええと、とにかく!キリ番もどきを踏んで下さった方へ、どうもありがとうございました!


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