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トイレの穴スペシャル 1
インドネシア道中記

2001年
8月27日(月) Part 1
無事、帰国しました。結構ハードな11日間でした。一度に書くと量が多くなるので、何日かに分けて小出しで書いていこうと思います。

ます、出発・到着編(8月14日)。

14日の朝、一階の両親とレティが見送ってくれる中、予約しておいたタクシーに乗り込む。すると突然、レティがソワソワ、ウロウロ。「え!どこ行くの??」とビックリしてるようだ。なぜだか大きな荷物をもってタクシーに乗るとみんな帰って来なくなるって思ってるのかも。

JR尼崎から出てる関空行きのバスに乗る。ほとんど満席。と、ここで、面白いものをみた。面白いというのとはちょっと違うけど。バスに乗るなり、いきなり大声で携帯をかける40代半ばくらいの女性。「○○(どうやら息子さんの名前)と代わって。」「私は○○と話があるの!!」とバス中の人が聞いてるのもお構いなしのものすごい剣幕。要約すると、お母さん(その女性)が海外旅行に出かける隙をみて、息子さんが、お母さんのパソコンを開けてメールを読んだらしい(どーして、出先でそれがわかったのか分からないけど)勝手に人のメールを読んだことを叱っているだけではなく、どうもメールにはなんか後ろめたいことが書いてあるみたい。とにかくなにかまずいらしい。「おじいちゃんやおばあちゃんには内緒よ」とか、「わかった、お父さんにはお母さんからちゃんとは話す」とか、「どうすればあなたはお母さんをゆるしてくれるの?」とか。その人、自分に非があるみたいなのに、子供を威嚇するような言い方をするしで、朝からなんだかなあって思った。関空に着くまで、ずっと喋ってたんだもん。終わりの方になって、ようやく声が小さくなった。その時はじめて恥ずかしいことに気がついたのかな。世も末だなあって思った。

関空は、大勢の人だった。近くにいたOLさん曰く、「去年よりずっと少ない」そうだけど。JALのカウンターはすぐわかったけれど、JALのどのカウンターにいけばいいのか、さっそく迷ってしまい、いきなりインフォメーションの人に聞いてしまった。久美子はすごく呆れてたけど、この方が安心でしょ!
チェックイン、出国審査、とあっさり通過。行く前にあれこれ気をもんだけど、結局、久美子も出国審査は一人で受けた。ほとんどの人がなにも質問されず、ポンポンと判を押してもらうだけだった。免税店はものすごい人だった。シャトルなんとかっていう電車にのって、搭乗口へ。時間はまだまだたっぷりあるので、持ってきた単行本を読む。こんなにゆっくりできる時間なんてすごく久しぶり。開放感を味わう。

いよいよ搭乗。久美子はウキウキしている。なんたって初の海外旅行だもんね。飲み物や機内食とか、ステュワーデスさんが頻繁に行き来する。アナウンスを聞いて「飛行機の人はみんな英語が喋れるんだねえ」と久美子がしきりに感心していた。窓の外は海と雲。雲は海の水が蒸発してできるってことを実感した。久美子は自分が魔女のキキみたいだと言った。空から街を見下ろせるからって。経由地のデンバサールまで6時間ぐらい。時間は意外と早く過ぎた。

デンバサール着。ほとんどの人がここで降りる。ここがバリの入り口だ。トランジットするのは14,5人だった。その人たちから遅れないようについて行く。トランジットのカードを現地の係員が日本語で話しかけながら手渡してくれた。再び搭乗する時もやっぱり現地の係員が日本語で案内してくれた。

デンバサールからジャカルタまで1時間15分。さあいよいよやってきた。入国審査をうけて税関を通って、ガイドブックで読んだとおり、ぼったくりのポーターから荷物をしっかり守らなきゃ。でも、どーしてもガイドブックって、「人を見たら泥棒と思え」って感じの書き方になるんだろうか。まあ用心に越したことはないけど。外国で日本のガイドブックを買ってもきっとこんな風に書いてあるんだろう。

ジャカルタ着。現地の時間で7時25分。デンバサール同様、ジャカルタで降りる人達の後を遅れないようについて行く。今度はみんなすごく急いでいる。入国審査の列に早く並ばないと、長蛇の列になるからだ。列に並んでいると、他の飛行機も到着したらしく、現地の人(たぶん)がどっとやってきた。で、もうびっくりした。いきなりワサワサと大勢の人が割り込んでくる。あとで聞いたんだけど、インドネシア人には「きっちり並ぶ」っていう習慣はあまりないらしいのだ。そのせいで、他の日本人と離れてしまった。順番がきて、パスポートと帰りの航空券、あらかじめ記入しておいた出入国カードを持たせて久美子が先に審査を受けに行った。台がすごく高いから、審査官には久美子の手しか見えないんじゃないだろうか。ここもなにも質問されず判を押してもらったパスポートと出入国カードの半券を返してもらい無事終了。私の審査も終わり、荷物を取りに行こうとしたが、頼りにしていた他の日本人達はもう見当たらない。でも行けばわかるだろとたかをくくって進んでいった。が、どのレーンにも便名が書いていない。焦った。荷物が流れているレーンにはどうみても日本人じゃない人ばかりが集まってる。JALのはどこだろ。ウロウロしていたら、名札をつけた空港の人が声を掛けてくれた。「JAL?」「イエス、イエス」すると向こうの一番端のレーンを指差していた。見ると、レーンはもう止まっていて、私の荷物がポツンと横に置かれていた。ああ、よかった。

久美子が「かーちゃん、頼りないねえ」って文句を言ってる。これもあとで聞いたのだが、イミグレを過ぎたところの掲示板に、便名とレーンの番号が表示されていたとのこと。ぜんぜん気が付かなかった。他の日本人の後ばかりついて歩いて油断していたのがますかったと反省。税関のところで、係りの人がおいでおいでをしている。税関申告書を渡しただけですっと通してくれた。ああ、やっと終わった。税関の外にでると、ペコキチが手を振っていた。ホッとした。ほんとうに。

ペコキチの所へ近づこうと、スーツケースをゴロゴロ引きずっていたら、いきなり誰かが荷物を持っていこうとした。これか!例のぼったくりポーターは!そう思って「ノーノー」と抵抗した。そしたら、なんとその人は、ペコキチの運転手さんだった。運転手さんには本当に申し訳ないことをしてしまった。初めて会って、いきなり「ノーノー」だもん。気を悪くしただろう。本当にごめんなさい。
ペコキチご自慢の車にのって、アパートへ。さすがにミニカとは違う。車内が広い。夜のジャカルタを快調に飛ばしていく。空港は一番北の端にあるので、ジャカルタの中心部を通り越してアパートのある南の地区へと急ぐ。ジャカルタは渋滞で有名だそうだが、このときはあまり混まなかった。それでも車の流れが遅くなると、道路でいろんな楽器を持った人が演奏しながら近づいてくる。そうしてチップもらうらしい。物を売ってる人もいる。車の間を縫うようにいろんな人達が歩いて行く。

アパートに着いた。入り口にはガードマンが立っている。ロビーは大理石の床。部屋も聞いていた通りとても広い。なかなか優雅な生活なんだね。だた全体にすこし年数が経ってる感じがするけど、それでも贅沢すぎるほどだった。本当にやっと着いた。長い一日だった。

一度に書くと長くなるって言ったけど、これでも充分長いよね(^^ゞ

8月28日(火)Part 2
ジャカルタ2日目(8月15日)。

といっても昨日は到着したというだけなので、実際には今日が初日の感覚。朝8時に代理店の人が迎えにきてくれた。NICE TO MEET YOUと無難な挨拶をする。インドネシア語で、おはようはサラマパギーと言うのだが、なかなか口に出して言う勇気がでない。あとはただニコニコとして頭を下げた。なんか情けないなあ。反対にペコキチはインドネシア語でペラペラと会話をしている。運転手さんや代理店のお兄さんと時々笑ったりしながら。ちょっと凄いんじゃない?感心した。

車でまずボゴールにある植物園へ向かった。そこにはラフレシアがあるという。ラフレシアはインドネシアでしか見られない花で開花すると猛烈な匂いがする。ポケモンのラフレシアのモデルである。植物園に向かう途中、昨日は夜でちゃんと見ることができなかった町並みを見た。いたる所に椰子の木やシダのような木があり、南国にやってきたのだと思った。けれど一番驚いたのはものすごい量の車だった。交通ルールなどまったく無視したような割り込み、追い越し、なんでもありである。一車線のはずなのに、車が2列にも3列にもなっている。その混雑した中をバイクが何台もすり抜けていく。エネルギッシュというのかどうなのか。混沌としたアジアという言葉が頭に浮かんだ。そして昨日と同様、いろんな物売りの人たちがやって来た。高速道路はさすがに入り乱れるってことはないが、なぜだか人が歩いてたりする。横断する人もいる。ここでも物を売り歩く人がいる。この国で、日本人は絶対車を運転することはできないと思った。
植物園はとても広くて気持ちのいい所だった。ラフレシアはつぼみだった。夜開くそうである。しかし本当に大きな花だ。とても大きな木もあった。ジャングルって不思議な所だ。

植物園のあと、久美子の希望でピザハットで昼食をとった。こちらのピザハットは宅配ではなくファミリーレストラン風である。案内をしてくれてる代理店のお兄さんとコミニュケーションをとりたいのだが、いかんせん言葉が。またすこし落ち込む。

食事が済むと、今度は「タマン ミニ インドネシア インダー」というスハルト大統領夫人の提案で造られたテーマパークへ行った。インドネシアの代表的な家屋が並んでいて、その中にはその土地土地の生活の様子が衣装などが展示されている。他にも鳥が放し飼いになってるバードパークや昆虫館があったりして、いろいろと楽しめる。その中で最後に入ったのは、通称、スハルト博物館と言われる、スハルト大統領が受け取った海外からの数え切れない贈答品の展示である。日本商社からのプレゼントも展示されていた。

帰路につき、アパートで休憩。夜は代理店の社長さんが夕食をご馳走してくれるとのこと。社長さんは女の人で、アメリカの大学に留学していたという英語がペラペラの人らしい。なんか不安だ。場がもつんだろうか。

約束の時間がきて、ジャカルタの中心街で一番高いビルの最上階のレストランへ向かった。そのレストランはゆっくりと回転していて、360度、ジャカルタの街が見渡せる。とても上品なレストランだ。しばらくしてその社長さんと、弟さん(取締役)がやってきた。社長さんは小柄な人で、とても綺麗な人だった。イスラム教徒なので、頭にスカーフを巻いていた。弟さんの方は、親しみやすい感じの人だった。またありきたりの挨拶をした。私の隣には社長さんが座った。いろいろと英語で話しかけてくれる。ペコキチが前もって、私が英語の先生の免許をもっていると話したらしいのだ。余計なことを!ちゃんと授業をとりさえすれば資格はもらえるのだ、ただそれだけである。

仕方が無いので、「私は英語がしゃべれません、ごめんなさい」と先に謝った。「日本では英会話の授業は無いのです。ライティングばかりです。それとグラマー。」と。その後もまるでセイン・カミュのファニィイングリッシュのような会話を続けた。かなり落ち込む。ペコキチは英語とインドネシア語を混ぜながら、なんの問題もなく会話を膨らませていく。また感心してしまった。料理はとても美味しかった、久美子なんて300グラムのステーキをペロリと平らげてしまったし。でも私は申し訳なさでいっぱいになった。だからみんな、海外旅行から戻ったら駅前留学するんだなあとしみじみ納得してしまった。社長さんはしきりに久美子に英語の勉強をしなさいと言っていた。インドネシアでは小学3年生から英語の授業があるそうだ。やはり英語は大事だなと思う。確かに身振り手振りだけでも通じ合えるが、それで伝わるのはやはりわずかなことだろう。実際の会話では文法はあまり気にしなくてもいいようだ。自分の気持ちを伝える言葉を覚えなければ。それと、言葉を発する勇気というか、社交性も大事だと思う。だいたい相手が日本人でも初対面の人とはあまり話せないんだから。まして外国人をやなのだ。ああ、やっぱり落ち込む。

8月29日(水)Part 3
バリへ(8月16日)

8時45分発のデンバサール行きの飛行機に乗るため、朝6時にアパートを出発。
最初、ペコキチは8月のバリはすごく込むし高いから、行くのはよそうと言っていた。私も久美子もせっかくインドネシアまで行くならバリ島に行きたいと思っていたが、費用のことを考えるとやむ得ないと諦めていた。けれど、代理店の人達からも、是非バリには行くべきだとペコキチは言われたらしい。それで急きょ、バリ行きが実現したのである。正直とても嬉しい。インドネシアの観光地といえば、やはりバリなのだ。

バリへの飛行機はガルーダ。日本ではあまり評判がよくないみたいだけど、全く問題なかった。朝ご飯なんてすごく美味しかった。朝早くからチキンカレーを食べている私をペコキチと久美子は呆れたように見ていたけど。まだ3日目だが、今回の旅行は胃の調子がすこぶるよい。自分でも少し驚いていた。

デンバサール空港着。一昨日もこの空港へは立ち寄ったが、南国らしい建物でムードを盛り上げている。空港をでると依頼していた日本語ガイドさんが待っていた。大柄だけど、目のクルッとした可愛い顔立ちの男の人だった。日本語ガイドといっても、日本語がすごく上手というわけではないようで、ペコキチがインドネシア語ができるとわかると、ほとんどインドネシア語で会話していた。
バリは少し雨が降っていた。日本よりずっと涼しい。意外だった。ま、今年の夏は日本が異常に熱いんだろうけれど。ガイドさんの車でホテルへと連れて行ってもらう。ホテルはバリ・ガーデン。日本のガイドブックでは中級ホテルの欄に名前が出ていた。場所がクタ地区にあると知って、すこし不安になる。以前ネットで調べているとクタはよく言えば賑やか、悪く言えば物騒な土地柄という感じで紹介されていたから。

ホテルはリゾート地らしい建物で、設備は充分だった。なによりも名前の通り、庭が素晴らしかった。部屋から直接庭に出ることができるし、極端に言えば、この庭を散策していればバリを満喫できる感じだった。庭の端の方にプールがあった。そのプールの向こうにビーチがあり、そのままビーチに出られるようになっていた。

到着したその日は自由行動だったので、そのあたりを散策しながらお昼を食べてこようということになった。けれど考えが甘かったようだ。ホテルのすぐそばにクタセンターというショッピング街があったのだが、足を踏み入れると、物売りの人達の大歓迎を受けてしまった。右も左も分からない状態だし、モタモタしているとなんかつけ込まれそうな気がして、そそくさとそこを後にした。車が通る道沿いに歩いていると、大きなホテルがあった。表に日本料理のお店の旗がでていた。結局、そのお店に入った。なんか有りがちだけど。
値段は全体に高めだが、安心して食べられそうなお店だった。ただ、きっと目玉商品なんだろうが、にぎり寿司が8個(4かんというのかな)で1万ルピアというのがあった。1万ルピアといえば150円くらいだ。他の料理と比べると、それだけが異常に安い。反対に大丈夫なのか、でもそのお寿司がとてもよく出ているみたいで、もちろん、わたしもペコキチもそれを食べた。おいしかった。久美子だけはその値段の3倍する鉄火巻きを食べたけど。

その大きなホテルはロビーもとても広く、落ち着いていて、しばらくそこでのんびりしていた。売店で絵葉書を買って、久美子が両方のおじいちゃん・おばあちゃん宛に出した。帰るころに届くかもしれないが。

ガーデンホテルに戻り休憩。庭を歩いたり、久美子の2人でビーチまで出て、貝殻を探したりした。ちょうど引き潮のようで、奥のほうまで歩いていくことができた。とても気持ちよかった。貝殻を拾っている私と久美子の後を同じように何か拾いながら歩いてくる人がいた。声を掛けられてそっちを見ると、手にいっぱいの貝がらを持っていた。ここが日本なら親切で集めてくれたのかと思ったかもしれないが、たぶん買わないかということなんだろう。それに私達の貝とは全然違う種類のがいっぱいあったし、きっとそれは商品なんだろう。なんだかなあ。。

夜も散策がてら食事をするところを探しに出た。今度はクタスクウェアという所まで行ってみた。昼間の3倍ぐらいの歓迎を受けた。やたら日本語が飛び交っている。中には「おねいちゃ〜ん、元気ぃ〜?」というふざけたのも聞こえる。1時間ほど歩いただけで、そそくさと引き返してきた。夜だと余計危ない感じがする。そしてまた昼間の日本料理店でごはんを食べた。知らない土地というのは、やっぱりオプションを利用すべきなんだなあと痛感する。代理店の人達の有難さがよくわかる。

8月30日(木) Part4
バリ(8月17日・18日)

今日はガイドさんの案内でバロンダンスを見た後、バディク、銀細工、木彫りのお店を巡り、それからキンタマーニという高原地へ。

バロンダンスは獅子舞と歌舞伎と狂言が混ざったような感じ。バリはヒンズー教の島で、ヒンズーというのは、日本の土地土地に根付く土着の宗教と似ているところがあると思う。どこか懐かしい感じがする。
バロンダンスが終わると、ガイドさんの案内で、お店巡りへと向かう。クタの喧騒とは違って、昔なつかしい日本の田舎のようなところを通っていく。お店巡りの手順は、バティクの工程を見た後、バティクのお店でお土産をどうぞ、銀細工の説明を受けた後、さあ、お店でお買物をどうぞ、ということになっている。ペコキチは私に「何も買わないぞ」と行って、すぐに店をでていく。確かにガイドさんが交渉次第で半額になりますと言うお店はなんだか信用できない気もする。最後に寄った木彫りのお店は最初から値段を低く設定しているらしかったので、そこで猫の置物を買った。とぼけた顔がなんとも可愛かった。いろいろ選んでいたら、お店の人が、「これ、かわいい」と選んでくれた。本当に可愛いのでそれも買ってしまった。買物をするとどうしてこんなに嬉しくなるんだろ。

キンタマーニまで車で移動し、そのそばのお店で昼食をとった。お昼の休憩時間を利用して、すぐそこの、湖のがみえる所まで3人で行ってみることに。お店をでると、さっそく「オミヤゲ、センエン、センエン」といって、大勢の人がちかづいてくる。みんな手に手にバティクの布やら、Tシャツやら、木彫りやら、いろんなものを持っている。だいぶ、この雰囲気にも慣れて来た。昨日のクタは、やっぱり初めてということもあって、かなり面食らったってことなんだろう。知らん顔をしていると、諦めて離れていく人もいるし、いつまでも後をついてくる人もいる。最初、3枚千円だったティーシャツが、最後には7枚千円まで値下がっていた。確かに安いんだけど、ペコキチ曰く、一人がら買うと、他の人が「自分からも買ってくれ」って取り囲まれるそうなのだ。だから、「いらない、いらない」と言いつづける。久美子ぐらいの男の子がビーズのネックレスを売り歩いていた。子供にはやはり目が行ってしまう。その子はなにも声を掛けず、黙って私達の前にそのネックレスを差し出す。意思の強そうな目をしていた。

キンタマーニから今度はヒンズーのお寺巡りをして、ホテルへ。ガイドさんはそのまま夕食へというつもりだったらしいのだが、なんせお寺巡りがおわったのが、3時で夕食のレストランまで車で1時間だから4時に夕食ってことになってしまう。なんかちょっと揉めたんだけどペコキチが交渉して一端ホテルに連れて帰ってもらうことにした。
ホテルに休憩して、またちょっとビーチへ。このビーチはかなり気に入った。観光はせずにホテルやビーチでのんびりするのが一番、バリを楽しむ方法なのかもしれない。

夕食はクタ地区にある中華のお店。ホテルから車で10分くらいのところだ。ここの中華はインドネシアっぽい中華でなく、本当のというか中華らしい中華だった。美味しかったが、ペコキチは食欲が減退してるし、久美子は好きな食べ物がないしで、私がせっせと食べた。だって、あんまり残すとお店の人に悪いじゃない。けど、それが仇となるのだった。

朝、胃がものすごくもたれている。朝食も食べられなかった。まあ、胃を休めることが大事だな。今日は午後からジョグジャへ向けて出発する。チェックアウトまで、ビーチとプールで遊ぶことに。ビーチは凄い波だった。クタビーチというのはサーファー達がよく来るビーチなのだそうだ。久美子は大きな波に大喜びだ。来た甲斐があったと思う。

今日でバリともお別れだ。ホテルの向かいにあるマクドナルドで昼食をとる。まだ胃の調子が悪い。それに私はマクドのハンバーガーはちょっとトラウマがあって食べれない。しかし、マクドナルドというのはどこにいっても人気があるようだ。

1時にガイドさんが迎えに来た。空港まで送ってもらい、ジョグジャ行きの飛行機に乗る。

8月31日(金)Part5
ジョグジャカルタ(8月18・19日)

小さな空港だった。外に出るとガイドさんが待っていた。50代くらいの女の人だった。このガイドさんは物凄く日本語がうまい。「揖保郡に行ったことがある」と、とてもローカルな話をしてくれた。宝塚も見に行ったことがあり、劇場が宮殿のようでビックリしたと言っていた。とても親しみがわく。なんか安心できそうなガイドさんで嬉しい。

ホテルへ連れて行ってくれる車の中でガイドさんがジョグジャの町の説明をしてくれる。ジョグジャは古い町で、大学も多く、ジャワの京都といわれてるそうだ。夕食までの時間、ホテルで休憩。その間にペコキチの知り合いのインドネシアの人と会った。家族が日本から来ると聞いて、そちらも家族をつれて、会いに出てきてくれたのだ。相変わらず言葉の壁が。英語で話し掛けてくれたらしいのだが、英語だと思っていなかったので、「????」って顔をしたら、ペコキチに大笑いされてしまった。ああ、駅前留学の文字がちらつく・・・・

夕食はインドネシア料理。今まで何回かインドネシア料理を食べたがここのが一番美味しかったように思う。。料理の後、ラーマ・ヤナというジャワの伝統舞踊劇をみる。あらかじめストーリーを日本語で書いた紙をもらったのだが、それを読んだだけでは意味がよくわからなかった。ちょっと文章もおかしかったし。実際、劇をみて、それでようやく、なんとなくわかった。静かな踊りや激しい動きがあり、なかなか見ごたえがあって面白かった。劇が終わり、表で踊り子さんと記念写真を撮らしてもらった。

明日はジョグジャ観光のメイン「ボロブドゥール」と「プランパナン」へ行く。「結構歩くから、明日は疲れるぞ」と言うペコキチの言葉で、そうそうと眠りにつく。

朝、8時出発。今朝も朝食が食べれない。どうも胃の具合が悪い。ホテルからまず、ボロブドゥールへと向かう。今から1200年前に立てられた、世界最大、最古の仏教遺跡で、世界文化遺産に登録されている。遺跡のまわりは大きな公園になっていて、出店のような御土産物屋がたくさん並んでいる。まだ時間が早いので、物売りの人もまばらである。

公園に入ると、正面遠くに堂々とした石の建築物が見えた。これがボロブドゥール寺院である。近づいていくとその大きさがますますよくわかる。石の回廊が何段も造られていて、その壁面のレリーフには、お釈迦さまの誕生から悟りを開くまでの物語が刻まれている。ガイドさんが丁寧に説明して回ってくれた。頂上には、37個のストゥーバという塔が円形に並んでいて、ストゥーバの中には仏像が納められている。だた中央の一番高い所にある大きなストゥーバは、どこにも窓がなく、中は空洞になっていて、何も納められていないそうだ。

壮大だった。この大きな、そしてたくさんの彫刻が施された石造建築は、大昔、いったいどれだけの人の手によって、どれだけの歳月をかけてつくられたのだろう。そして、ジャングルの中で火山灰に埋もれていたこの建物を再び発見した時の人々の驚きはどれほどだったろう。

昼食をはさんで、今度はプランパナンへと向かう。プランパナンのほうは、ヒンズー教の寺院である。ヒンズー教の寺院には有名なアンコールワットがあるので、どうしても二番煎じ的な扱いになってしまうようなのだが、この建物も凄かった。もちろん世界文化遺産である。シバァ神の像が納めらた堂をはじめとして、繊細な彫刻のなされた6つの堂(というより、塔のように尖った建物)が空高くそびえ立つ。回廊の外側には、昨晩みた、「ラーマヤナ」の物語がレリーフとして刻まれている。とても繊細で美しい彫刻だった。

インドネシアへ来たなら、ぜひこの二つの寺院は見て欲しいと思う。本当に今回、ここに連れて来てもらえてよかった。悠久の時の流れというのがここにはあると思う。

プランバナンの周辺にも御土産屋がたくさんあった。ここには昼から来たので、物売りの人の数もずいぶん増えていた。ガイドさんの後を遅れないように歩いていると、小学1年生くらいの女の子が首かざりを持って、「オミヤゲ」と小走りで後を追ってくる。私達に買う気がないとわかったのか、突然「カエルピョコピョコ、ミピョコピョコ・・・」と早口言葉を言い始めた。妙に切なくなってしまった。ガイドさんがどんどん進むので、私達も急いで歩いていってしまったのだが、立ち止まってチップをあげればよかったと思った。あのコどうしているだろう。

プランバナンを後にして、ジャカルタへと戻る。ガイドさんには本当に御世話になった。仏教の話もヒンズー教の話も、聞くのはとても楽しかった。もともと私は宗教の話を聞くのが好きなのだ。信仰心とはかけ離れて不謹慎と思われるかもしれないが、宗教は文学だと思う。文学というより、もっと優しい感じの物語と言おうか。子供の時、御伽噺や、昔話を聞かせてもらった時と同じような喜びが私にはある。
ジョグジャには大満足した。本当に楽しかった。

9月1日(土)Part 6
ジャカルタ、バンドン(8月19・20・21・22日)

ジョグジャから飛行機でジャカルタへ戻ってきた。もうすっかりジャカルタは暗くなっていた。出迎えてくれたユディさん(ペコキチの運転手さん)が、なんか大慌ててペコキチに話し掛けている。4日前、空港に私達を送った帰り事故にあったそうなのだ。幸いけが人はでなかったのだが、後ろの右側のドアがドアごと取り替えないといけないほど壊れたとのこと。ペコキチはちょっとショックだったみたい。なんせ何億ルピアだったか、途方もない額で買った(と言っても会社が買ったんだけど)新車だもんね。まあ、誰にもケガがなくて本当によかった。
翌日はペコキチは仕事なので、久美子と私はアパートでのんびりすることに。3泊4日のバリ、ジョグジャの旅は結構ハードだったし。

朝、10時近くになっても久美子は起きてこない。よほど疲れたんだね。そろそろボーイさんが部屋の掃除や洗濯をしにきてくれる時間なので、久美子を起こす。それにしても、家事は全部ボーイさんがやってくれるので物凄く楽だ。さすがに下着は自分で洗ったけど。
食事は家賃の中に朝と夜の分が含まれていて、一階のレストランで食べられる(もちろん、私と久美子の分は別料金だけど)。頼めば部屋まで持ってきてくれるし。申し訳ないくらい楽。

ボーイさんが掃除をしてくれてる間に下のレストランで遅い朝食を久美子ととりにいく。胃の調子は相変わらずよくない。久美子はハムのホットサンドとオニオンスープ。私は明石焼きを頼んだ。ここの明石焼きはたぶん小麦粉がものすごく多いんだろう。なぜかものすごくお腹にたまる。ちょっと後悔。レストランで本を読みながらゆっくりと時間を過ごす。なんか優雅だなあ、罰があたりそう。。

次の日、バンドンへ。ジャカルタからバンドンまで車で4時間くらい。ペコキチの車は修理中なので、代理店の他の車を貸してもらった。運転手さんも別の人だった。ユディさんは事故の後処理で出かけているらしい。今度の運転手さんは、ワシスト(運転手さんの名前)さんという少し年輩の人。ホッとするような笑顔を見せてくれる人だ。途中お茶畑を通っていく。インドネシアに来てから、ジャワティーをよく飲む。日本でペコキチが持って帰ってきたジャワティーを飲むと、少し香りがきついような気がしていたのだが、こっちでは、一緒に食べる料理との関係なのかなあ、全く気にならない。それどころが、とてもおいしい。

車の中で爆睡してしまったので、あっという間にバンドン市内へ。もうすぐホテルというところで、なんとまた事故に遭ってしまった。今度もこっちは被害者なのだが、うちの車を追い越していこうとした車が、後ろにくっ付けていた荷台みたいなのをうちのバンパーに引っ掛けてしまったのだ。バンパーは真中でバキッと折れてしまった。なんとか応急手当をして、ホテルへむかう。動くから大丈夫みたい。ジャカルタもそうだが、バンドンも車の量が多い。事故は日常茶飯事なのだそうだ。怖いなあ。

バンドンは日本でいうと軽井沢みたいな所で、週末や休みになると、ジャカルタなどからたくさん人が訪れるらしい。高地のなので、随分涼しい。お昼は、代理店のバンドン支店の人とスンダ料理というインドネシア料理を食べに行った。相変わらず食欲はないのだが、代理店の人も一緒なので、食べないと悪いような気がして、一生懸命食べた。ご飯はバナナの葉っぱに巻かれてでてきた。それにウシのしっぽのスープを掛けて食べると美味しいと言われたが、油っぽいので、あまり食べられなかった。チキンは美味しいと思った。胃の具合がよければもっと食べられたかもしれない。あと、すごく辛い、においのある魚もあった。これはちょっとつらかった。

食事のあと、町をすこしブラブラした。ジョグジャでも見かけたが、人力車の自転車版のような「ベチャ」という乗り物があった。ジャカルタでは渋滞の原因になるからか、禁止なのだそうだ。いろいろカラフルに色を塗ってたりして、楽しそうだった。

夜は、バンドンにあるもう一つの代理店の社長さんが夕食をご馳走してくれた。この人はインドネシア生まれの中国人で、物腰の柔らかな、優しそうな男の人だった。なぜだか、日本語が物凄く上手。日本語を話してくれるとほんと助かる。バンドンに新しくできたアウトレットのお店を何軒か連れて行ってくれた後、山の上のほうのおしゃれなレストランで夕食を食べた。あいにく天気が悪かったのだが、もし晴れていたら、どんなに星空が綺麗だったろう。この社長さんはバリが大好きのようで、「バリはいいところだったでしょう」と何度も言っていた。ジャカルタで暴動があった時、一時避難するために2,3週間、バリにいたそうなのだが、あっさりと「だから家を向こうにも買いましたよ」って話していた。インドネシアのお金持ちって、ほんとにお金持ちなんだなあと思った。貧富の差がはっきりしている。
食事が済んでホテルまで送ってもらった。「また必ず来ますね?」と念を押された。「はい、来ます」と答えたけれど、また行くことはあるかなあ。だって、先立つものがね。

翌日は火山を見学してから、一路ジャカルタを目指す。火山へ行く前に、ベチャを運転している人にお願いして写真を撮らしてもらった。久美子がものすごく嬉しそうな顔をして乗っているところも撮った。一体、街中で何をしてるんだろうと道行く人が不思議がっていたかもしれない。

火山は、ぎりぎりまで車で行ける。硫黄の匂いがきつくなって、靄もかかっているようだ。火口が覗けるようになっていた。ここにも御土産を売る人達がたくさんいた。なぜだか、イチゴをパックで売っていた。名物なんだろうか。
ここでは日本人を全く見かけなかった。ヨーロッパ系の人が大きな観光バスでたくさん来ていた。ヨーロッパの人たちはバスでジャワ島のあちこちをまわりながらバリ島まで行くというツアーが多いらしい。日本人の観光はものすごく慌しいというので有名だそうだ。お国柄を感じる。

火山を後にして帰る途中、ジャカルタの近くの工場地帯にあるレストランで昼食をとった。そのレストランは日本人がたくさん滞在しているアパートの中にあった。入り口は厳重にカードされていた。そこで、日本茶を飲んで月見うどんを食べた。インドネシアに来て九日目、日本が急に懐かしくなった。と同時に申し訳なかった。ペコキチはまだまだ日本に帰れないんだもんね。久美ちゃん、お父さんは本当に家族のために頑張ってくれてるよ。

9月2日(日)Part 7
ジャカルタ市内観光(8月23日)

昨日、バンドンから戻ってきた。今回の旅行も今日と明日の後二日を残すのみとなった。今日、ペコキチは仕事があるので、私と久美子はまたアパートでのんびり過ごす予定にしていた。ところが、朝の9時ごろ、客先に行ったペコキチから電話がはいった。代理店の社長さんが私と久美子を市内観光に連れて行ってくれるというのだ。え!そんな、言葉が通じないよ!慌てたけれど、せっかくの申し出を断るのは悪いので、出掛けることにした。まあ、なんとかなるだろう。最悪、筆談という手だってあるし。しかし、この申し出がもし昨日分かっていたら、きっと昨日の夜、私は眠れなかったろう。それがせめてもの救いかな。

10時にアパートの前で運転手さんのワシストさん(彼は社長さんの運転手だった)が待っていてくれた。車でまず事務所を連れていってもらった。そこで社長さんに会い、How are you ? I'm fine thank you , and you? ていう基本中の基本の挨拶。けれど 驚いたことにその私の挨拶に久美子は感心したようだった。まあ、いいか、これで親の威厳が保てるってもんね。

車に乗って市内観光へ。道はとても込んでいた。これがジャカルタの有名な交通渋滞と笑いながら社長さんが説明してくれた。そのあとも車の中から、あれが、最高裁判所。これがジャカルタのメイン道路。あれが東南アジア最大のモスク。大統領宮殿といろいろ説明してくれた。なんとか会話も成立している。やれやれだ。

ホテルインドネシアで昼食、このホテルは数日前に殺人事件があったところ。けど何事もなかったように、大勢の人で賑わっている。そのなかの日本料理店に入った。ちょうど政府関係の人が来ていたらしく、そちらが優先になったようで、料理がでてくるのに随分時間がかかった。そこで、天ぷらうどんを頼んだ。もっとさっぱりしたものの方がよかったんだけど、暖かいおうどんはそれだけだったので。でてきたら、おうどんが見えないくらい天ぷらがのっていた。なぜかピーマンの天ぷらまでのっている。不思議。

食事のあと、ホテルからすぐの歓迎の塔で記念写真をとった。それから独立記念塔のある広場まで車で向かった。独立記念塔はモナスとよばれていて、とても高い塔だった。そしてそこでもパチリと記念写真。そこから、ジャカルタ北部にある、アンチョール・ワールドというテーマパークに連れていってもらうことになった。道が込んでいたし、昼食に時間がかかったしで、もう2時近くになっていた。

そのテーマパークは、遊園地あり、水族館あり、ショッピング街ありとなんでもある所なのだそうだ。その中の水族館にはいった。日本でもよくあるように、いろんな魚が泳いでいる大きな水槽がいろんな角度から見られるようになっていた。小さな水槽もあって、いろんな魚がいた。ジュゴンもいた。これは珍しいんじゃないかな。それと、ちょっとウケてしまったのは、タッチプール。日本のタッチプールといえば、せいぜい、ヒトデやカニが触れるくらいだと思うのが、なんと、ここにはサメのタッチプールがあったのだ。もちろん、まだ小さい、子供のサメだったけど。水族館は楽しかった。心配していけど、なんとかコミュニケーションも取れてるじゃない。

水族館の出口近くに、水族館のグッズ売り場があった。そこでなぜか社長さんが久美子にあれこれ物を薦めてくれるのだ。帽子やTシャツ。キーホルダー。これはどお?こっちは?どっちか選びなさいと次から次へ。そんなにいいです。もう結構です。充分です。と伝えたいのだか、No thank you .とか Enough くらいしか言葉が浮かばない。社長さんは熱心に貝がらのセットをすすめてくれていたのだが、もう帽子もTシャツも買ってもらったし、いいです、いいです、と断った。さっきまで、少しでてきた私の余裕はどこかに吹き飛んでしまった。

表に出ると、3時をまわっていた。随分疲れてきたので、アパートへ連れて帰ってくださいと頼んでみた。少し驚いたみたいだったけど、そうしましょうということになった。ああ、もうすぐ終わる。と思っていたら、今度は「貝がら、みたいですか?」と聞いてきた。久美子に聞くと見たいという。どこですか?と聞くと、すぐ近く。というので連れていってもらうことに。

私は貝が展示されているのかと思っていたのだが、連れていってくれたのは、貝殻を売ってるお店なのだ。嫌な予感がした。社長さんはまた久美子に、これにする?これはどお?と次々薦めてくれる。どうやら、水族館で貝柄のセットを買ってくれようとしたのに、いらない、いらないといったので、その貝がらは気にいらないのだと思ったのかもしれない。もうどうしよう。ここで断るとまたややこしくなりそうなので、今度はあまり断らなかった。結局、2軒もお店をまわってたくさん買ってくれた。どう見ても水族館で薦めてくれていた貝がらよりも、こっちの方が高そうだ。悪いことをしたなあと思う。車に戻ると、社長さんが運転手さんに何か話している。「マハール」という言葉が聞こえる。「マハール」というのは、高いってこと。やっぱり高かったんだぁ。もうどうしよう。車の中で小さくなってしまった。

午後4時過ぎにアパートに着いた。ああ、やっぱり英語くらいちゃんと話せないとだめよね〜とドヨ〜ンとした気持ちで部屋にもどる。いろいろ親切にしてもらったのに、この感謝の気持ちもうまく伝えられないんて、本当に情けなかった。
ペコキチが仕事から戻って、今日のいきさつを話した。大笑いしていたが、とにかくよくお礼を言って、失礼を謝ってと頼んでおいた。

いよいよ明日は最終日だ。

9月3日(月)Part 8
最終日(8月24日)

今日の夜9時20分発のJALで帰国する。今日は、市内のデパートでお土産をかって、どこかでランチ、そのあと、代理店の事務所によって最後の挨拶をして、一旦、アパートに戻る。荷造りの再確認をして、6時には、空港にむけて出発という予定だ。

一階のレストランで朝食を取った後、久美子とペコキチをロビーの図書室というか、本(マンガもいっぱい)がおいてある部屋に残して、私は荷造りのために先に部屋へ。

10時、サリナというインドネシアのお土産品が充実しているというデパートへ向かう。お土産は今までにもちょこちょこと買っていたのが、あの人と、あ、この人も・・といろいろ考え出したらなんか足らないような気がしてきて、またいろいろと買ってしまった。久美子もまたペコキチになにか買ってもらったようだ。この11日間、ずっと、ペコキチは久美子にすぐ、「これがほしいのか?」「どれがいいんだ?」と何でも買ってやってるようだった。今度のは、銀細工の船。他のどの人のお土産よりも値がはっていた。ま、仕方ないか。

サリナの後は、ブロックMという日本人駐在員がよく利用するという場所へ。ここには、例の看護婦さんの格好の女の子がいるというカラオケ屋さんもある。店の前だけ通った。本当は行ってみたかったんだけどね。
ここにはメガパサラヤという大きなショッピングセンターもあって、その中のペコキチがよく行くお好み焼き屋さんでランチ。この店は、めずらしく日本茶がサービスだった。食事がすんで、地下の食料品売り場をのぞく。飛行機に乗るまでのむし抑えのお菓子と近所に配るジャワティーを買った。うちの近所の人はみんな、海外旅行に行くと必ずお土産をくれる。それがなぜだかいつも2種類。だから、今回、うちもお土産の定番のチョコはすでにカタログで購入していて、帰国する日に自宅に届くことになっているんだけど、あともう一つ、あまり高価でなく、ちょっとしたお土産がいるのだ。ジャワティーは、ものすごく安かったのでビックリしてしまった。でも、まあいいかな。

一応、お土産は全部揃った。アパートに戻る前に、本当にお世話になった代理店のみなさんに挨拶に行く。今日はペコキチが一緒なので、会話の心配はいらない。「毎年、必ずいらっしゃい」と社長さん。久美子には「英語、勉強しなさい」って。もし、また来年行くことがあったら、ちょっとは英語、上手になってないとなあ。事務所の皆さんと記念撮影をして、アパートへ戻った。

アパートで、最後の荷造り。お土産はなんとか全部スーツケースに入った。重い。いよいよ帰るんだな。

6時に空港へ向けて出発。道は少し込んでいたが、ユディさんが飛ばず飛ばす。日本に戻ってから気がついたんだけど、ユディさんて、ちょっと鈴木亞久里(字、あってるかな)に似てない?

空港に着いたのが、ちょうどフライトの2時間前。インドネシアの空港は搭乗する人しか入れないので、入り口のところでペコキチともお別れ。久美子の頭をゴシゴシとペコキチが撫ぜる。またちょっと寂しくなるね。

帰りはJALなので、係りの人は日本語を話してくれるから助かる。なんか頼りなさそうに見えたのか、チェックインカウンターの人がものすごくゆっくり丁寧に説明してくれる。「これが、搭乗券。これが、空港利用税の領収書。これが、荷物の券。イミグレは、あっちですよ」って、最後なんて身を乗り出すようにして、指をさしてくれた。イミグレもなんの問題もなく通過。免税店で、少し買物をして、搭乗口へ。デンバサールからのトランジットの日本人があちこちにいた。ああとうとう終わったんだなあ。後は、日本での日常が待ってる。

飛行機の中では、ぜんぜん眠れなかった。窓の外は満天の星だった。久美子は晩御飯を食べたあと、すぐ眠ってしまったようだった。間で目が覚めた時に、星のことを教えたけれど、半分 夢の中だったかもしれない。
飛行機の中は、日本人がほとんど。夜で疲れてるからかもしれないが、なんとなく日本人ってみんな横柄な感じがした。インドネシアの人がふっとみせてくれる笑顔がとても貴重に思えた。あんな風に笑える日本人は子供以外ではほとんどいないと思う。

朝、4時半、朝食のアンパンが配られた。コーヒーと一緒に食べた。帰ってきたんだなあと思う。
予定より、10分早く、関空に着いた。入国審査も税関もすんなり終わり、バス乗り場へと向かう。まだ朝早いのに、湿気が身体にまとわり付く感じ。バスとタクシーを乗り継いで、自宅へ。

家の前で、植木に水をやっていたばーちゃん(一階の母)を久美子が見つけて、声をあげる。ばーちゃんも駆け寄ってくる。じーちゃんとレティは散歩に行っていて、すぐには会えなかった。散歩から帰ってきたレティは、久美子のサンダルの匂いを嗅いで、とんとんとんと2階に上がってきた。留守の間は一度も2階に上がってこなかったそうだ。荷物を開けてる私をペロペロと舐めてくれる。レティ、帰ってきたよ。ペコは、久美子をみるなり、いきなりタンスの上に逃げたけどね。じーちゃんにもただいまを言う。久美子はつぎつぎと喋りだす。帰ってきたなあ、本当に。

お終い。