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ミャンマー編
2013年1月28日~1月31日



2013年

1月28日(月)ヤンゴン到着
アウンサンスーチー女史が軟禁状態から開放され、欧米が経済制裁を解除、日本もODA復活を訪問した麻生副総理が約束。軍事独裁政権による鎖国体制から急 速に市場開放に舵を切ったミャンマー。隣国タイや中国沿岸部の1/5~1/10とも言われる 5,000円/月の魅力的な低賃金労働力を武器に外資の受け入れを進めている。

とりあえず、市場調査のために初訪問。もちろん、そんなことはこの日記には関係ないけどね。今回はミャンマーの旅行代理店の社長が通訳(ミャンマー語→英語)。で、来る前に下記の注意事項が連絡されていた。

1.クレジットカードは使えない。
2.ホテルの支払いやレンタカー代はドル決済だが、100ドル紙幣は偽札対策で交換できないホテルが多いので、20ドル札を持ってくるように。。。。。 それも折り曲げてもダメで新札として持ってくるように。

クレジットカードはイランでも使えなかったから、どってことないけど、20ドル札にはまいった。すぐに会社の総務経由で20ドル札 100枚を手配。帯付きだよ。

さてと、バンコクからわずか45分くらいのフライトなんだけど、時差が変。日本と2時間半(バンコクは日本と2時間)。この「半」って時差は何なんだ?  知ってる限り、インドが3時間半だけど、こういうのは国際的に取り決めて1時間単位にすべきだな。で、空港で手持ちのドルを現地通貨(KYATT)に交 換。さすがに、国際空港だから100ドル札も交換可能だけど、試しに20ドル札1枚だけ折り曲げたやつを混ぜてみた。。。。 見事に1枚だけ突き返され た。。。。 KYATTはコインは無い。一番大きいお札が5,000 KYATT。200ドル交換したら168,800KYATT。ちなみに、新札じゃないのも混ざってた。

ホテルへ向かう車の中から見てると、ボロボロの車が多いけど、レクサスも2台見た。そのうち1台はナンバープレートが無い。理由を通訳に聞いたら「新しい から」って。?? 詳細を聞くと、今、ミャンマーは急激に車の台数が増えており、その登録業務が追っつかないらしく、ナンバープレートもらうのに1ヶ月と かかかるらしい。普通ならその間は走ったらダメだろうけど、お金持ちは走って良いとか。。。 マクドもケンタも見なかったけど、なぜか、ドコモショップが 1軒あった。docomoが音声ローミングやってるんだよね。でも、まだデータ通信はできない。ホテルのWI-FI頼み。

ホテルのレストランで通訳さんと夕食。中華料理。この通訳さん、台湾出身でミヤンマ語・中国語・英語ができる。でも、英語はちょっと心もとない。ま、それはお互い様ということで。そのレストランで横のテーブルでビールを飲んでたのが、この2人。



私に「日本人か?」と英語で聞いてきた。2人とも80歳超のインド系英国人。ミヤンマ生まれだけど、第二次大戦後に英国に移住したんだとか。で、毎年、親族や旧友に会うためにミヤンマに来ているそうだ。そんな話をしていると、1人が急に日本語の曲を歌い出した。

♪白地に赤く日の丸染めて。。。。。♪ 時々、助詞がおかしかったけど、最後までちゃんと日本語で歌ってた。戦時中、ミヤンマ(ビルマ)は日本に4年間ほ ど占領されていた。当時、小学生だった彼らは日本語教育を受け、今でも、この歌はソラで歌えるとか。日本人に対して悪いイメージは無いとのこと。「英国と 日本がビルマ領土で戦争をした」という認識らしい。侵略者でも解放者でも無い。ただ、「知人が1人も鉄道工事に行かなかったので良かった」と言っていた。

これなぁ。若い人は意味がわからないだろうなぁ。連合軍捕虜・ミヤンマー人など数万人が過酷な労働と劣悪な環境で死んだと言われる「泰緬鉄道」建設のこと なんだよな。映画「戦場にかける橋」の元となった実話。アジアの国々でいろんな人と話をしていると、やっぱりこういう話題は避けて通れない。今回のおじい さんたちは明るいし、何の恨みも無いって感じで助かったけどね。

和気あいあいと一緒に飲んだのが、このミャンマービール。



冷えてて普通に美味しい。で、王冠の裏のシールを剥がすと文字が書いてある。アタリだと、 500kyattとか1,000kyattのキャッシュバックがあるそうだ。ちなみに、下記写真の文字は「THANKS A LOT」だそうだ。つまり「ハズレ」。3日で15本空けたけど1本も当たらなかった。(ビールはどこで飲んでも2,000KYATT/本だった。日本円で 200円くらい。)




1月29日(火)首都ネピドー
5・6年前に軍事政権が突然、転移を発表した新首都。森を切り開いてできたそうだ。ヤンゴンから車で約3時間(途中昼休憩があったから4時間弱)。一本道だし、車少ないし、渋滞無しってのは気持ちが良い。

サービスエリアで食べたミャンマー料理。何の特徴も無い。辛くもなく甘くも無く。



首都ネピドーは、ほとんどゴーストタウンだった。新築らしきホテルや店はあるのだが、人の気配がほとんど無い。



政府機関だけが先行して移ってきてるのだが、商売関係は今までどおりヤンゴンが中心だから、こんな感じになってるのかな。訪問目的はもちろん政府機関。日本の経済産業省みたいなところ。高層ビルを想像してたけど、平屋か2階建てばっかりだった。



ミャンマー語は、なんかチェーンの飾りのような文字。とにかく丸い。文字種は33文字だとか。





仕事を終えてちょっと観光に。英語だとパゴダと呼ばれる仏教の建物。日本語だと「仏塔」かな。お釈迦様の骨(仏舎利)か、その代わりのものが保管されている。で、超巨大なんだけど、ここのパゴダはヤンゴンにある築後1000年以上の有名なパゴダのレプリカ。名前は忘れた。



晩飯は現地人で賑わうカフェテラスのようなレストランへ。冷えたビールさえあればどこでも良い。その店の女の子達。ほっぺたに泥のようなものを塗ってるけど、これって化粧品なんだって。「タナカ」って言ってた。別に女性だけでなく、小さな男の子なんかもつけてた。




1月30日(水)ヤンゴン再び
朝から1軒、客先回って、そのままヤンゴンへ。昼食は昨晩と同じカフェテリア。そこしか開いてない。ヤンゴンにたどり着いたら夕方だった。アウンサンスーチー女史が軟禁されてた自宅へ行きたかったけど、時間が無いってことで、2度目の観光は「お墓」。



TAUKKYAN WAR CEMETRY。何の墓かよくわからんかったが、戦没者墓地だな。



そこに並んでた観光バス。発展途上国ではこういう中古バスが良く走っている。日本の福井鉄道バス?と韓国のバスが並んでた。

この国は英国統治時代が長かったことも有り、未だに距離はマイル表示だし、ガソリンはガロン単位で価格が表示してある。重さもポンド。で、ここに来て初め て知ったのだが、マイルの下の単位はハロンと言って(ヤードだとばっかり思ってた)、8ハロンで1マイルだとか。。。なんで8進法なんやら。

翌日の便でバンコクへ帰還。空港で久美子用のマグネットを買ったら「7ドル」した。過去最高値のマグネット。。。 

以上