イエス・キリストについて 




このイラストはすずらんさんの作品です

たったひとつの生涯



世に知られぬ小さな村に
ユダヤ人を両親として生まれた一人の男がいた
母親は百姓女であった
彼は別の
これはまた知らぬ小さな村で育っていった
彼は30になるまで大工の小屋で働いていた
それから旅まわりの説教師となって3年をすごした

1冊の本も書かず
決まった仕事場もなく
自分の家もなかった
家族をもったことはなく
大学にいったこともなかった
大きな町に足をふみいれたことがなく
自分の生まれた村から
200マイル以上外に出たことはなかった

偉大な人物にふつうはつきものの
目をみはらせるようなことは、なに一つやらなかった
人に見せる紹介状なぞなかったから
自分をみてもらうことがただ一つのたよりであった
はだか一貫、もって生まれた力以外に
この世とのかかわりをもつものはなにもなかった

ほどなく世間は彼に敵対しはじめた
友人たちはみな逃げ去った
その一人は彼を裏切った
彼は敵の手に渡され
まねごとの裁判に引きずり出された
彼は十字架に釘づけされ
二人の盗人の間に立たされた
彼は死の寸前にあるとき
処刑者たちは彼が地上でもっていた唯一の財産
すなわち彼の上衣を籤で引いていた
彼が死ぬと
その死体はおろされて
借り物の墓に横たえられた
ある友人のせめてものはなむけであった



長い19の世紀が過ぎ去っていった

今日、彼は人類の中心であり
前進する隊列の先頭に立っている
かつて進軍したすべての陸軍
かつて建設されたすべての海軍
かつて開催されたすべての会議 
かつて統治したすべての王たち
これらをことごとく合わせて一つにしても
人類の生活に与えた影響において
あの孤独な生涯にとうてい及びもつかなかった
といってもけっして誤りではないだろう
たったひとつの生涯・・・・・・

(作者不詳、W・バークレー、柳生直行訳「歴史の中のイエス像」テキストより)

たった一人の生涯から、キリスト教がはじまりました


イエスの誕生については、「クリスマス」ということで、よくご存知でしょう。
ヨセフとマリアという夫婦の子として、ユダヤのベツレヘムの馬小屋に生まれました。

古くから、救い主が生まれると預言され、旧約聖書に記されていました。
イエスは、その預言通りに、ダビデの家系から、処女マリヤに宿り、
この世にお生まれになったのです。
またその生涯も、旧約聖書にある預言通りでした。

きょうダビデの町で、あなたがたのためにに、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。(ルカによる福音書2章11節)
イエスは30歳すぎから、家を出て説教活動を始められました。
悲しんでいる人をなぐさめ、病人をいやされました。
死んだ者を生き返らせ、水の上を歩かれ、嵐を沈められたなど
さまざまな奇蹟も行われました。

しかし、ユダヤ人たちは、イエスの教えをきらい、ねたみました。、
そして十字架につけて殺す方向にもっていきました。

イエスは一度も罪を犯したことがありませんでした。
一度も偽りを言ったこともなく、ののしられても、ののしり返したこともありませんでした。
イエスを裁判したローマの総督ビラトは、「この人には罪はない」と言いました。

しかしイエスは、ゴルゴダの丘で十字架にかけられて殺されました。

なぜでしょうか?

私たちの「罪」《人間の弱さ、醜さ、エゴイズム(自己中心性)=神から離れていること》のためです。
私たち人間の「罪」を一人で背負うため、身代わりになって死んで下さったのです。


キリストも一度罪のために死なれました。
正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。
それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、
私たちを神のみもとに導くためでした。(Tペテロ3:18)



さらに、十字架で死なれたイエスは、3日目の朝、復活されました。

イエスが、単なる人間ではなく、神であられることが証しされました。

復活イエスこそ神のみ子十字架の罪の赦しの成就−でした。

死を打ち破ってよみがえられたイエス・キリストは、死に打ち勝って下さったのです。
そしてその勝利を、イエス・キリストを信ずる者にも、与えて下さいます。

死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ、おまえのとげはどこにあるのか。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし、神に感謝すべきです。
神は、私たちの主イエス・キリストによって、
私たちに勝利を与えて下さったのです。
        (第一コリント15章55〜57節)

神の子どもであるイエスは、あえて人間の姿をとって、
特に弱い者の立場で、地上での生涯をおくられました。

キリストは、神の御姿であられる方なのに、
神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられたのです。
(ピリピ2:6,7)。



神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)を
お与えになったほどに、世を愛された。
それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、
世をさばくためではな く、
御子によって世が救われるためである。」
(ヨハネの福音書3章16節-17節)

神は、イエス・キリストを救い主としてこの世界にお送りになり、
それによって人類を救おうとしてくださいました。

イエス・キリストこそ、神様の私たちへの、最大の愛の贈り物なのです

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