クリスマスに思う


クリスマスを待ち望む、「アドベント」に入りました。
どこへ行っても、クリスマス・ソングが流れ、きらびやかなイルミネーションが競って飾られ、様々なクリスマス・グッズが、あふれています。
そして各家庭でも、クリスマスの飾りつけが、楽しまれています。
至る所が華やいでいて、なんだか、ワクワクする頃です。

でも、心の病いや、心の傷を受けている方、様々な困難を抱えている方にとっては、世間が浮かれているクリスマスのシーズンが、とてもつらい時だと聞きます。私自身もここ数年鬱病をわずらっています。
自殺の件数も増えるようです。

「クリスマス」は、そのように、誰かにつらい思いをさせるためのものでしょうか。
生きることを絶たせてしまうようなものでしょうか。

いいえ、「本当のクリスマス」は、そういう、何かのつらさ、弱さをもっている方々のために、あります。

今から2000年前、イエス誕生の頃、ユダヤの国では、王、祭司長、律法学者等、多くの「立派」と言われる人々が、救い主の出現を待ち望んでいました。
しかし「救い主誕生」の喜びの知らせは、最初に「羊飼い」に告げられました。
当時「羊飼い」は、職業として軽蔑され、貧しく、ユダヤ教を守ることもできない、社会的にも宗教的にも、差別された存在でした。
世間の価値判断では、「立派」とは言えない、「立派」から最も遠い所にいる人たちでした。

「救い主誕生」の良い知らせは、そういう羊飼いに伝えられたのです。
それは、救い主「イエス・キリスト」は、そういう人たちを救うために、来られたからです。

「貧しい者に良い知らせを伝え、
心の傷ついた者をいやすために、
わたしを遣わされた」
(イザヤ書 61:1)

私たちは、世間の価値観にしばられて生きています。
なんとか、自分で自分の価値を見出すことに、必死です。
世間の波にのれている人が○で、そうでない人は×というような、世の中の風潮があります。
でも、そうではありません。

イエス様の誕生を御存知ですね。
馬小屋で生まれられました。どんなに臭くて、寒くて、不潔だったことでしょう。
イエス様が生まれて、すぐに味あわれた貧しさは、きっとこの世で最低の貧しさだと思います。
そういう中を通られたイエス様は、貧しさ、惨めさ、苦しさ、悲しさ、弱さ、などなど、私たちの心の痛みを、分かってくださいます。
心の痛みの中にあるからこそ、心の謙虚さ、純真さをもっていることも、知っておられます。
野宿で夜に羊の番をしていた羊飼いは、世間の価値観、私利私欲から離れた所にいる、純真な心のもち主だったのでは、ないかなと思います。

イエス様は、そのような羊飼いのような者を、特に愛して下さいます。
世間の価値観を超越して、むしろ、世間の価値観と反対です。
そのイエス様に、やすらぎをおぼえるのは、私だけでしょうか。


世にしばられて苦しい方、心に何かを抱えていらっしゃる方、クリスマスが嫌いな方、どうぞイエス様の心を知ってください。
そして、神様からの、「救い主イエス・キリスト」のプレゼントを受け取って、「本当のクリスマス」の歓びに満たされてください。




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