「神様とのあゆみ」(わたしの信仰のプロフィール) 

神様とのはじめての出会い

私がはじめて神様に出会ったのは、小学校5年生の時に友達に誘われて行った小さな伝道所の教会学校でした。

私の家庭はごく一般的な宗教(広く浅く仏教でも神教でも・・・)でした。
でも誰の影響なのか、背後に何か絶対者の存在を感じるようになり、何かあると「神様・・」と祈るような子供でした。

そんな私が教会で神様と出会ったことは、ピッタシ。
それまで漠然としていた祈る対象がはっきりして、教会での教えをすべて素直に受け入れ、喜んで教会学校に通うようになりました。

でも6年生の秋に、通っていた小さな伝道所がなくなってしまいました。
先生が去られる前に近くの教会を紹介してくださると言われ、私はぜひその教会に行きたいと思いました。しかし友達がもう教会には行かないということで、内気な私は一人で行く勇気は無く、あきらめました。いつもそこの教会の前をあこがれて通ったものです。

しかし一人で聖書を読んだり、賛美したりして、私の中での神様は生き続けていました。
汎神論者の父親が言ったからだと思うのですが、「聖書の神様も八百万(やおよろず)の神様も同じ一つのもの」というとらえ方をするようになっていました。
家族と一緒に神社に初詣に行って、「天の神様、守って下さい」と祈っていました。
しかしその帰り道になんでもない所で転んで、「間違った事をしている」とハッと気づかされたことを覚えています。

求めて教会へ 

中学3年生の時新聞に「聖書をさしあげます」という日本ミッションの広告をみつけました。
求める気持ちが高まっていましたので、すぐに申し込み、教会を紹介してもらいました。
それが現在通っている教団の教会です。

初めてその教会に行ったのは、クリスマス礼拝の日でした。
民家と変わりない建物で、若い人はほとんどいない集まりで、私の心の中で広がっていた「教会」のイメージとは全然違っていました。
でも私は教会の雰囲気に再び触れることができて、なつかしくまた嬉しくて、通い続けました。
内向的で、自分に全く自信がない私のことを、「あなたは高価で尊い」と愛して下さる神様の存在は、どれだけ私を安らげてくれたことでしょう。
その後高校の友達も一緒に通うようになりました。

「きれいな心の人になりたい」というのが、私の幼い頃からの願いでした。
しかし教会に通いながらも自分の心の汚さにいつも失望していました。
外でおとなしい分、家で思いが爆発して両親に暴言を吐いたりする自分自身にあいそをつかしていました。
高校2年生のクリスマスに友達と一緒に洗礼をすすめられました。
洗礼を受ければ自分自身が変われるかもしれないと、期待をもって受けました。
しかし内面に何も変化がないままの状態ですから、何も変わりませんでした。
神様を信じていましたが、自分の尺度で自分の都合のいいように神様を信じ、礼拝に出席することで安心を覚える。形だけのいい加減なクリスチャンでした。


放浪時代


大学生になって視野が広がった時に、自分の信仰が偏ったもののように思えてきました。
神様を信じていることは、私にとって絶対的な事実としてありましたが、教派教団などによって異なる信じ方に、疑問を感じたのです。
「あなたは世間に負けている」というある方の言葉によって、「私にあう教会を、信じ方を探そう」と決意して、教会に通うことをやめました。

まずはじめに道で誘われるままに通ったのは、統一協会でした。
聖書を読み賛美しながらの学びに、はじめは浸透していきました。
しかし次第に受け入れられない部分が出てきて、教えを聞けば聞くほど、頭がガンガンと割れるような思いをするようになりました。
突然決心して私の方からきっぱりとやめました。
背後で主が統一協会に繋がらないように守って下さっていたことを思います。
本当にまじめな良い人達の集団でしたが、信ずる支柱が何であるかの大切さを思わされ、心が痛みます。

「教会」という形をもたない、「集会」にも通いました。
大学がカトリック系だったので、ミサにも出席しました。
キリスト教から離れる気持ちはありませんでしたが、宗教全般を知りたかったので、仏教の勉強をしている友達や先生の話を積極的に聞きました。
キリスト教や宗教に関する本もいろいろと読みました。キリスト教年鑑で、様々な教団教派の教義や教理を調べました。
しかし「私の求めていたのは、ここだ」というものには出会いませんでした。

そして、私の得た結論は、「自分で選ぶものではない」ということでした。

「世の中には様々な宗教があり、様々な形があるが、”どれが一番良いか”など人間が判断するものではない。そういう価値判断を下してはならない。絶対者が前に備えてくださっているものに従うべきだ」と自分の中で結論づけました。

大学卒業・就職と同時に神様がわたしに用意して下さっていたはじめの教会に戻りました。

しかし相変わらずのいい加減なクリスチャンぶりでした。日曜日に礼拝に出席することだけで安心を覚え、教会の交わりは避けていました。
でも信仰をやめる気持ちは全くありませんでした。
私にとって聖書の神様だけが絶対であり、「クリスチャンである」ということが私の信念でした
今から思えば当時の私の信仰は、「信仰」というよりは「信念」、何よりもまず「自分」があり、「自分」の中に神様を閉じこめていました。
  


結婚して現在の教会へ


「結婚」についても、まず私の信仰を認めてくれる人と結婚したいと考えていました。
でも私の信仰が幼いため、熱心なクリスチャンとは結婚したくありませんでした。

主人はキリスト教とは無縁の人でしたが、私の信仰に対して大きな理解を示してくれました。
結婚と同時に関西に来ました。はじめに住んだ宝塚で紹介された教会は、結婚当初の雑事にかまけてあまり通えませんでした。

半年後に大阪に引っ越した時に、はじめの教会に新しい教会を紹介してくれるようにはがきを出しました。
ちょうどその地図入りのはがきをその教会を訪れておられた、現在通っている教会の牧師夫人がご覧になって、
 「距離は離れているけれど、同じ電車の沿線で通いやすいと思うので、うちの教会にいらしたら」
と言って下さったそうです。
そして現在の教会に通うことになりました。

私の信仰は現在の教会で変えられました。
当時住んでいた住まいから現在の教会へは、普通に考えるなら、紹介されるような位置にありませんでした。
しかしはがきを牧師夫人が見られたという不思議な巡り合わせで導かれました。
背後で働いて下さった主の導きに感謝しています。

通い始めた当初は、私の人見知りのせいで礼拝が終わるや否や階段を駆け下りて帰っているような状態で、ただ礼拝に出席するだけでした。

しかし結婚してから、私にはどうすることもできない問題があって、悩んでいました。強く求める心が芽生えていました。
ちょうどその頃同郷の方が結婚して教会に転入されてきました。
そのことをきっかけに彼女と共に教会の交わりの輪の中にも入れてもらうようになり、礼拝以外の集いにも出るようになりました。
毎日聖書を読むことをすすめられ、日々聖書を通して神様との交わりをもつようになりました



「十字架」を深く知った時


ある日の夜、NHKの教育テレビの「歴史の中のイエス像」という番組の中で、イエス様の十字架の意味が懇々と語られました。
それまで「十字架」を深くつきつめたことはありませんでした。
その時「こんな私のために、イエス様は十字架にかかって下さったのだ」という事実がはじめて自分のこととして受け止められました。
「このようなどうしようもない私を、イエス様は命を捨てる程までに愛して下さったのだ」ということをはじめて心の深い部分で理解することができたのです。

それまで私の中では、まず「自分」が第一優先だったのですが、その「自分」が十字架の前では砕かれ、神様を第一にすることができるようになりました。 

「きれいな心の人になりたい」という思いと、実際の自分自身の汚さとのギャップに心を痛め、自分で何とかしなければと思い続けていました。
しかし「神様は汚いこのありのままの自分を受け入れて下さり、さらにお任せすれば私を変えて下さる」ということを教えられました。

本来なら洗礼を受ける時に、「イエス・キリストの十字架」を自分のためだったと深く受けとめるべきなのですが、私の場合は十年かかりました。
でも主は、その間背後でやさしいまなざしで私を見守り、道を踏み外さないように、導いて下さっていたと思います。



現在まで

それからもう十数年たちました。イエス様の十字架が深くわかるまで、洗礼後十年かかったような私ですから、この十数年の歩みも本当に遅々たるものです。

「ディボーション(毎日心を静めて聖書を読み、神様と交わること)」の大切さを教えられ、ここ十数年その時を持ってきました。雑事にかまけて形だけの日々も多かったです。
しかし主は私が求める気持ちをもって臨むなら、必ずそれにこたえ、道を示して下さいました。
ディボーションの深まりが、私の信仰状態の深まりと比例していたように思います。

子供が与えられることを待ち望み、6年目に祈りにこたえて与えられました。そしてそれからは育児に奮闘してきた日々でした。
私は元来大変な心配性で、神経質な性格です。はじめての子育てはわからない事だらけで、オロオロしやすいものですが、私もそうでした。
しかし神様を信じ、神様に従えば間違いがないと信じています。何事においても最終的な「拠り所」があるということは、本当に心強いものでした。

さらに日々聖書を読むことを通して、神様の御心をさぐり、御心を受けとめることができました。
自分の日々の歩みに、確固たる基盤があるということは、本当に私にとって大きな支えとなりました。

「受ける立場」について教えられた日々でもありました。何かあると自分であくせくしてしまいます。自分の中で後悔したり、思い悩んだりしてしまいます。
しかしすべてのことは、主より出ていること、主のご計画のうちにあること、主のご計画にないことは何もおこらないこと。そして人間はただ受ける立場にしかないこと。教えられました。
主より受ける人生ととらえた時から、肩の力を抜いてゆったりと歩めるようになりました。


幼い頃、何か困ったことがあると「神様・・・」と祈っていました。
教会学校でその神様が、”聖書の神様”であることを教えられました。
今の私にとっても「いつも一緒にいて下さる、助けて下さる神様」というその時の感覚のままの神様です。いつまでたっても幼い信仰です。

私は今でも自己中心で、自己憐憫が強く、砕かれても砕かれても、砕かれきれない傲慢な者です。ともすると道をはずれそうになる愚かな者です。
でも神様はこんな私を決して見捨てることはなさいませんでした。

こうして神様との歩みを振り返る時、こんな私でもいつも神様が見守り、助け、導いて下さっていたことを、どんな時も背後にやさしい神様のまなざしがあったことを思わされます。

今の混沌とした世の中、先が読めない時代です。
でも私はどんなことがあっても、この信仰の道を全うしていくでしょう。
人生のゴールがはっきりしています。そのゴールにむかって、主にゆだねて、主と共に歩んでいくでしょう。

まことに、わたしのいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、わたしを追って来るでしょう。
わたしは、いつまでも、主の家に住まいましょう。
     (詩篇 23:6)


最後まで私の拙い長い文章を読んで下さってありがとうございます。
主を知り、主に信頼して歩む人生はすばらしい」これが私の伝えたかったことです。