戻る

「──と、言うわけで今夜は肝試しでもしようか」
 朝食の納豆を捏ねながら、オレはキッパリと言った。
 10個の瞳が一斉にオレを捕らえる。
 多香子は訝しげに、
 亜美は脅えの色を携えて、
 凛はキラキラと興味を示して、
 京華は特に関心なさそうに、
 有里さんは静かに微笑んで…。
 ちょんまげの少女、舞奈だけは朝食の納豆をジッ…と見つめていた。
「あのさぁ宮司…なんでいきなり肝試しなのさ?」
 多香子が手にしていた箸をテーブルの上に置いて聞いてくる。
「いや、特に大きな理由はないんだけどな、みんなとの交流を深めようかと」
 とりあえず、もっともらしい理由を言ってみる。
「宮司さぁん…肝試しってアレですよね…? その…びゃ〜で、ひょ〜の、きゃーなヤツですよね…?」
 亜美はビクビクと脅えた視線をオレに向けながら、ちょっと理解に苦しむ肝試しの例えを表現して言ってくる。
 それでもなんとなく言ってる意味が解ってしまうのは、それだけ彼女との付き合いが長い証拠なんだろうか。
「何言ってるんですか亜美さん。肝試しってアッチですよね宮司さん」
 ニコリと嬉しそうにオレを見て凛が言ってきた。
 何故よだれが垂れている…?
「…アッチってなんだ?」
 訝しげに目元を引きつらせながらオレが聞き返すと、凛は満面の笑みを浮かべ手にした箸を強く握り締めながら言った。
「いろんな肝を順番に食べていって、何の動物のかを当てるんですよね!」
 その言葉に微塵のためらいもなかった。
 オレは眉間に手を当て、フルフルと頭を振る。
 そんなオレに気づいてかどうかは解らないけど、凛はうっとりと虚空を見つめながら、何かを懐かしむように口を開いた。
「…楽しかったなぁ〜」
 過去形!?
 舞奈を除く全員がビクリと身体を震わせて凛を見る。
「やっぱ生ですよナマ〜…」
 け…経験済みなのかその『肝試し』!?
「あんた…、それかなり間違ってない…?」
 京華が、目尻を引きつらせながら凛にツッコミをいれた。
 みんな(舞奈を除く)その言葉に静かに頷く。
「え?」
 凛はきょとんとした顔でみんなを順に見ていく。
 そして顎に手をやり、天井を仰ぎながら何かを考える素振りを見せた。
 しばらくして…。
 みんなが見守る中、ハッと目を見開き、パチン★と指を鳴らす。
「肝ってレバーの事ですよぉ!」
「もっと根本が間違ってるんだよ!」
 オレの間髪入れぬツッコミの合いの手が凛の胸に入る。
「ひゃあ〜、宮司さん、それセクハラですよぉ!」
「手の甲で触れたからノーカウントだ」
 悲鳴(?)をあげる凛を、無茶な理屈でねじ伏せる。
 何やら視界の端で多香子が、拳を握り締めて妙なオーラを放っていた気がしないでもないが、気づかないフリをしておこう。
「凛さん、肝試しと言うのは、自分の度胸を試す、我慢大会のようなものですよ」
 これが正解。肝試しの正しい解釈だ。
「我慢大会…ですか…?」
 有里さんの説明を聞いて、まだ少し首をかしげる凛。
 きっと度胸を試す我慢大会ってのが、具体的にどんなのなのか理解できないんだろう。
「簡単に言っちゃえば、お化けや幽霊なんかが出そうなところに行って、怖がらずに我慢するんだよ」
 多香子が得意そうに胸を張って言った。
 それを聞いて『肝試し』を理解したのか、凛は手にしていた箸をカラン…とテーブルの上に落とす。
 実にわかりやすい反応だ。
「ねぇ宮司さぁん…止めましょうよ〜こわいですよぉ〜」
 亜美が目に涙を溜めながら訴えてきた。
「そうよ。別に賞金とかが出るわけじゃないんでしょ? 週一の休みくらいゆっくりさせてよね」
 それに便乗して、京華も声をそろえてくる。
「とりあえずコースは…そうだなぁ…」
「ちょっと! あんた人の話を──」
「うちの先祖が残した遺産の眠る洞穴ってのもコースの一部だ」
「肝試しってスリルがあってサイコーよね。夜が待ちどおしいわ」
 目をキラキラと輝かせながら、拳に力を込めてオレを見る京華。
 扱いやすい女だぜ。
「そんなぁ〜、京華さぁ〜ん一緒に反対してくださいよぉ〜」
 亜美は京華の袖にしがみついて、首をブンブンと横に振りながら訴える。
 そんな彼女の顔を見ながら京華はため息混じりに言った。
「そんなに怖いんだったら、参加しなきゃいいでしょ?」
「うぅ〜…そうですね…そうしますぅ〜」
 決壊しかけの涙をこらえて小さく頷いた。
 がっくりと落とした肩に限りない哀愁を感じる。小さな身体がさらにコンパクトになった感じだ。
 フッ…甘いな…。
 わざわざこのオレが考えた企画、そう簡単には逃がしゃしねぇぜ。
 オレはチラリと京華を見る。
「あ、ちなみにこれ全員参加な。一人でも欠けるようなら肝試し企画はヤメにするから」
 京華は、この言葉に耳をピクピクっと動かす。
 そしてそのまま一瞬だけオレを見て、その後に亜美を見た。
「なぁに言ってんの。夏は肝試しに決まってるでしょ。あんたも参加するのよ」
「ふぇぇぇぇ〜ん、そんなぁ〜〜」
 泣き出す亜美。
 京華は箸を握り締めて、まだ見ぬ(っていうか、本当にあるのかどうか怪しい…)ウチの遺産の勘定をしていた。
 しばらく沈黙が続いた。ちょっと不自然な沈黙だ。
 カチャカチャと、箸が皿やお碗を行き来する音だけが、静かに部屋を支配する。
 みんな何を考えているんだろう…。
 ふと、オレは思い出したように舞奈をみる。
 ………。
 まだ納豆と交信中か…。
 今日のはちょっと長いな、一体何を語りあっているんだろう。
 …納豆、か…。
 豆を箸で摘まんで、目の高さまで持ち上げた。
 そしてオレも彼女にちなんで、納豆を見つめてみる。
 …こんな納豆菌に支配された腐りかけの豆野郎に、会話するだけの自己性って存在するのか?
 ジッと目を凝らして納豆見る。
 納豆を見る。
 見る。
 …見る…。
 『なんかさぁ〜』
 『となりの豆がさぁ〜、私にくっついてきて離れないのよね』
 『離れたと思ったら糸で繋がってるしィ〜』
 『なんかもっと自由を〜ってカンジぃ〜』
 …ムカ…。
 思わず、手に力を込めて箸先で豆をプチュリと潰してしまう。
 頭の中で勝手に浮かんだ妄想にムカついてしまった…。
 ふぅ〜…また罪もない納豆を殺ってしまった。
 オレは一人目を閉じて、潰してしまった納豆を惜しむ様に頭を横に振る。
「あ、あのぉ宮司さん…質問があるんですけどぉ…」
 不意に、凛がおずおずと手を上げて言ってきた。
「ん? なんだ? 納豆の気持ちか?」
「い、いえ…なんですかそれ…?」
「いや、気にしないでくれ…ひょっとしたら凛なら解るかと思ったんだが…」
「はぁ…なんだかよく分かりませんけど、ご期待に添えれなくてスミマセン」
 何故か謝る凛。
「で? 質問て…?」
「あ、その…肝試しの事なんですけど…」
 『肝試し』の単語が再びこの席に現れた。
 かすかに全員の箸の動きが鈍る。
「全員参加だと…お化けの役とかって誰がやるんですか?」
「お化けの…役?」
 オレは“役”の部分のイントネーションを強調して首をかしげて見せる。
 けどすぐに…。
「…なんで、必要ないじゃん?」
 さらりと言い切ったオレに凛は絶句する。
 いや、凛だけじゃないな…京華も有里さんも箸を止めてオレを見る。
 亜美はいまいち意味を理解仕切れなかったらしく、泣きながら卵焼きを箸で突っついていた。
 あ、醤油こぼした…。
 オレは事も無げに茶碗に盛られたご飯に箸を入れ、適量を摘まむと口に運んだ。
 甘みのある良い米だ。手水舎から取れる、地下深くに眠る天然水を利用しただけの事はある。
 と、カチャ…と箸を置く音がした。
 チラリとそちらに視線をやる。
「あの…宮司様…」
 今度は有里さんがおずおずと手を上げた。
「ん? なに?」
「あの…お化けがいないのでは、肝試しが成立しないのでは…?」
「いや、いるよ」
 凛の時と同様に、サラリと答える。
 一つのテーブルを囲んだ、平和な朝の食卓風景。
 その時間が凍り付く。
 カラ…カラン…。
 京華の手から箸が滑り落ちてテーブルの上を踊った。
『…え?』
 いくつかの声がハモる。
「…なぁ、多香子ぉ別にわざわざ用意する必要もないよなぁ?」
 納豆をご飯にかけようとしていた彼女は、きょとんとした顔でオレを見た。
「コースはどんな感じなのさ?」
「とりあえず、もう使っていない裏参道を通って、奥の風間洞穴の中を経由して帰ってくる…くらいかな?」
 思い付きの簡単なコース説明をしてみる。
 多香子は言われたコースを深く思慮するように、箸を咥えて腕を組むと、ゆっくりと首を傾けていく。
 多分、頭の中で自分が歩いているというシミュレートを行っているんだろう。
 全員(いまだ舞奈は納豆とピピピ中)、ジッ…と多香子の動きを見守る。
 シン…と静まり返った部屋の中、ゴクリと誰かの喉が鳴った。
 今、多香子はドコらへんを想像しているんだろう。
「わ、ヤバ…」
 目を閉じたままボソリとつぶやく。
 みんなの顔に動揺が走る。
「…あ…」
 さらにつぶやく多香子。
 何に対してどう『…あ…』なのかとっても気になる。
「…ま、いっか…」
 うわ〜…、想像の中で自己完結しやがった…。
 そしてまたしばらく沈黙が続く。
 想像の道をゆっくりと歩きはじめたんだろう。
 と、不意にビクリ!と肩を大きく震わせた。
「あ…ぁ…」
 そして何かに脅えるように、身体全体をブルブルと震わせる。
「た…多香子…?」
 さすがに不安になって声をかける。
 そんなに危険な順路なのか? オレの言った肝試しの道順は?
 多香子の様子を見て、みんなはオレに責めるような視線を向ける。
 と、とりあえず多香子を戻さなきゃ…。
「多香子、シミュレート終わりだ。こっちの世界に帰ってこい」
「う…うぅ…」
「多香子?」
「うう…うぅぅ…」
「多香子? おい? 多香子!?」
「と…」
 と…? “と”の続きは一体なんだ?
「と、トイレどこかな…」
「どこまでシミュレートしてんだよっ!!」
 思わず反射的に多香子の頭をはたいてしまう。
「ハッ!」
 その衝撃に目を覚ます多香子。
 何かを求めるように右を左をみて、そして最後にオレを見た。
「宮司、あのコースはトイレがないよ」 
「あぁ…とってもリアルなシミュレートありがとよ…」
 オレは疲れた口調で言いながら、ゆっくりと部屋の外を指差す。
「トイレはこの部屋をでて右にまっすぐだぞ…」
「そんなこと解ってるよ」
 彼女は顔を赤くしながらそれでも席を立ち、何故かペコペコとみんなに頭を下げて部屋を出ていった。
 ったく…食事中だぞ…。
 シン…と静まり返った食卓。誰も声を出そうとしない。
「ン…こほん…」
 オレはわざとらしい咳払いを一つして、
「な、特になんの問題もないだろ?」
 ──と、可能な限り明るい声で言った。

						──続く…