バディ・ロジャースについて



今年の4月にジョニー・バレンタインが亡くなりました。猪木や馬場と激戦を繰り広げた往年の名選手です。特に、東京プロレス旗揚げ戦での猪木との一騎討ちは、今でも猪木が誇りに思っている一戦の一つです。
使う技はエルボー(バレンタインが元祖です)だけだったのですが、髪を針金のように逆立たせ、目をカッと見開きながら放つエルボーには、えも言われぬ迫力がありました。

さて、そんな彼が最高のレスラーと思っていたのが、バディ・ロジャースだそうです。
以下、週刊プロレスNo.519掲載のインタビューから抜粋です。
バディは私にとって、“こうありたい”というレスラーの象徴だった。彼が出場するアリーナはいつでもソールドアウトになった。センセーショナルでレスリングに説得力があって、誰をも唸らせることができた。エブリシィングさ」


バディ・ロジャースは未来日のまま他界した選手ですので、実際に見たことがあるという日本人はあまりいないと思われます。さらに実際に戦ったことがある日本人というのは、只一人しかいません。
その只一人というのが、ジャイアント馬場です。

馬場のロジャースへの評価(「16文が行く」より)は、
美しい金髪、彫りの深いハンサムな顔、見事に鍛え上げた体、豊かなスピード、足4の字固めやパイルドライバーを切り札とする華麗なテクニック、派手でゴージャスな雰囲気、MSGの二万人余りの観客を圧倒する威圧感。とにかくロジャースは、全ての面で世界最高のレスラーだった」
というものでした。

馬場が対戦したことのある選手といえば、ルー・テーズ、 キラー・コワルスキー、 ザ・デストロイヤー、 カリプス・ハリケーン、 ビル・ロビンソン、 フリッツ・フォン・エリック、 ボボ・ブラジル、 ジン・キニスキー、 ディック・ザ・ブルーザー、 ドリー・ファンクJr.、 ジャック・ブリスコ、 ハーリー・レイス、 ブルーノ・サンマルチノ、 ブルーザー・ブロディ、 ゴリラ・モンスーン、 ビル・ミラー、 ドン・レオ・ジョナサン、 アブドーラ・ザ・ブッチャー、 スタン・ハンセン……と、これだけ挙げてもまだ一部です。
この顔ぶれの豪華さは、アメリカンプロレスの全盛期(レスラーの数と質という点での)を日本人トップレスラーとして体験している馬場ならではですが、この馬場が「史上最高」と評するのがバディ・ロジャースなわけです。

ここでは、バディ・ロジャースとは一体どういうレスラーだったのか、さらに馬場はロジャースを史上最高という根拠は何なのかについて、考えてみたいと思います。



まず、日本ではロジャースがどのように知られているかですが、
パット・オコーナーからNWA世界ヘビー級を奪取し、ルー・テーズに奪われた。
そのNWA王者時代に、カール・ゴッチとビル・ミラーの二人に腕を折られた。
nature boyと名乗っており、そのスタイルはリック・フレアーが盗んだ。
等が一般的に知られています。
基本的には、ロジャースはショーマンシップ派のレスラーであったという内容です。まぁ実際に、ショーマンシップ的要素を多分に持った選手だったそうですが(ロープに走るという行為は、彼やゴージャス・ジョージというレスラーが元祖になるそうです)。

ミラーに腕を折られた事件に関しては諸説ありますが、日本に入ってきた話では、「チャンピオンなのに腕を折られた」というロジャースの実力に疑問を抱くような内容でした。
また、ロジャースのギミックを盗んだフレアーが、「最強」というイメージの選手でなかったことも、我々がロジャースを想像する上でマイナスの要因になっていると思います。

しかし、ロジャースは学生時代にはアマレスの州チャンピオンにまでなっている実力者だったそうで、またレスラーとしては遅咲きの部類には入り、ブレイクを果たすまで随分と下積みを積んでいるそうです。また、チャンピオンになる以前にはルー・テーズと引き分けを何度も演じているそうです。
このことからも、決して実力のなかった選手ではないと思われます。


それでも、これだけでは馬場が史上最高という評価を下した理由にはなりません。そこで、再び馬場の証言です。
彼はね、バスで移動しているときは、他のレスラーがグーグー寝ていても、一人だけじっと考え込んでいた。『今日の試合はどうしようか? あいつと当たったらここを攻めよう。こいつの場合はこうしよう』といつも考えていた。暇があったら次の試合のことを考える。何も考えていない人間と、毎日考えている人間では、当然差が出るよな」
つまり、リング上の実力以外に(当然それも含まれるでしょうが)24時間プロレスのことを考えていたという、プロレスに取り組む姿勢も、馬場がロジャースを世界最高のレスラーとする根拠の一つなわけです。

また、当時の馬場はまだまだグリーンボーイでしたが(初海外遠征中)、遠征中の馬場の師匠であるフレッド・アトキンスもロジャースの実力を認めていて高く評価していたそうです。
自分の師が高く評価していた選手に対して、漠然と尊敬の念を抱いていたのも、ロジャースへの評価が高くなった理由の一つではないかと思います。

もう一つ考えられるのが、ロジャースの観客動員力です。
この頃のロジャースはライバルだったアントニオ・ロッカと同じサーキットだったそうです。ロッカという選手は、アルゼンチン・バックブリーカーの元祖であり、派手な空中技で一世を風靡した選手です。しかし、レスリング技術というのが伴っておらず、ロッカを誉めるレスラーというのは、私は一人しかしりません。それもジャイアント馬場です。
とはいえ、馬場のコメントをよく聞くと、馬場がロッカを評価する最も大きな要素は「観客動員力」であったような感じです。つまり、各会場を満員にし、多くの配下レスラーを引き連れてサーキットする様を(当時アメリカでのレスラーのギャラは興行収益の歩合制だった)、若き日の馬場は羨望の目で見ていたのでしょう。
同じように、巨大なマーケットであるNYの各会場を次々ソールドアウトにするロジャースの姿も、十分に素晴らしいレスラーであると評価するだけの根拠となったのでしょう。


以上より、馬場がロジャースを世界最高のレスラーとしていたのは、リング上での姿だけではなく(勿論それもあります。ロジャースはヒールで、観客を煽るのがすごく上手かったそうです)、リング外の彼を見て「プロレスラーとはかくあるべき」というのをロジャースの姿から学んだというのが大きいと思われます。



さて、我々ファンがプロレスラーを評価するとすれば、最も注目するのがリング上での試合です。
ファンがリング外のことを知るには限界がありますし、プロレスラーなのですからプロレスの試合で評価されるのは当然のことと言えるでしょう。

一方レスラーのインタビュー等を聞いていると、レスラー本人は意外と名勝負のことは覚えていないものです。
他のレスラーについて評価する際にはそれよりも、圧倒的な練習量に驚いたとかスパーリングの強さに舌を巻いたとかプレイベートでの親交などが根拠となったりするものです。

つまりプロレスを観る立場は大きく分けて二つあります。「ファン(含むマスコミ)」と「レスラー」です。
どちらが正しい・間違っているというものではなく、また共に相容れない立場です。このことが、プロレスをより深くしていると思いますね。




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